佳景探訪
別所温泉と北向観音
長野県上田市、中心街から南西へ向かった山裾に別所温泉がある。有名な北向観音をはじめ、温泉街周辺には古刹が多く点在し、「信州の鎌倉」とも呼ばれているという。九月の初旬、別所温泉と北向観音を訪ねた。



別所温泉

別所温泉

別所温泉

別所温泉

別所温泉

別所温泉別所温泉

別所温泉

別所温泉
長野県上田市の中心街から南西に10km余り、夫神岳の山裾に別所温泉がある。別所温泉の開湯がいつ頃だったのかははっきりとしないようだが、かなり古いことは確かなようで、日本最古の温泉のひとつであるとも言われる。温泉街の一角に設けられた「別所温泉の由来」には、日本武尊が東征した際に発見したと記されている。その解説板によれば、泉質は女性の肌によく、かつては近郷の娘が嫁入りする際に別所の湯に入って肌を整えてから嫁いだと言われているそうだ。別所温泉の東方、すなわち上田市中心部の南西側に広がる盆地を「塩田平」というが、塩田平は古代から肥沃な土壌と穏和な気候に恵まれ、人々の営みが盛んな土地柄だったようだ。北向観音をはじめとする古刹、古社が点在するのもそのためだろう。

この辺りはかつて信濃国塩田荘と呼ばれたところだ。鎌倉時代、北条義政を祖とする北条氏の支流がこの地に居を構え(北条氏の居城である塩田城は現在の上田市前山にあった)、塩田荘を治めた。いわゆる塩田北条氏である。塩田北条氏は義政の孫である俊時の代まで三代に渡って塩田荘を治めたが、やがて鎌倉幕府の終焉と共に滅亡した。北条氏滅亡の後、塩田荘は村上氏が領有していたが、戦国時代になって武田信玄の侵攻を受け、その勢力下となる。しかしその武田氏もやがて滅亡、その後の塩田荘は真田氏の治めるところとなった。真田氏は新たに上田城を築城、それに伴って塩田城は廃城となったという。江戸時代に入ると、真田信之が上田藩を治めるが、すぐに松代藩へと移り、上田藩には仙石氏が入封した。さらに1700年代になって間もなく、仙石氏は但馬国出石藩へと移り、松平忠周が入封、以後明治の版籍奉還まで松平氏が治めたという。

古社、古刹が点在し、かつて北条氏が治めていたという歴史的背景からか、別所温泉は近年では「信州の鎌倉」と呼ばれているという。特に外国人観光客の間で人気があるらしい。今回訪れた時(2011年9月)にも、夕暮れの迫る別所温泉には大勢の外国人観光客の姿があった。

別所温泉の温泉街の辺りは行政上の住所表記でも「別所温泉」だ。夫神岳の麓、山々に囲まれるようにして温泉街がある。夕方には大勢の観光客の姿があったが、日が暮れてしまうと温泉街の中にはほとんど人の行き交いはなく、開いているお店もほとんどないようだった。翌朝、朝食前に温泉街の散策に出かけてみた。早朝の温泉街はひっそりと静かだ。北向観音に参拝し、のんびりと朝の温泉街を巡る。朝日を浴びた風景が清々しい。駅へ向かう高校生の女の子が「おはようございます」と挨拶して通り過ぎてゆく。早朝の温泉街散策、お勧めである。


北向観音

北向観音

北向観音

北向観音

北向観音
北向観音は温泉街のほぼ中央部に位置している。近隣にある常楽寺の管理下にあり、千手千眼観世音菩薩を本尊として祀る。北向観音の名はもちろん御本尊が北向に立っておられるからで、南向きの善光寺(長野市)と相対している。善光寺は「来世の御利益」、北向観音は「現世の御利益」があるということで、昔から両方にお参りしなければ「片参り」になると言われているらしい。「厄除け観音」として広く知られ、芸能人の参拝も多いという。

北向観音は平安時代に慈覚大師によって開創されたという。境内に設置されている案内板に記されているところに拠れば、「常楽寺背後の山が激しく鳴動を続けた末、地裂け人畜に被害をあたえたので、これを鎮めるため慈覚大師が大護摩を厳修すると紫雲立ちこめ金色の光と共に観世音菩薩像が現れた」そうである。825年(天長2年)の出来事という。どのような現象だったのか興味を覚えるところだ。

寺は木曽義仲挙兵の際に焼失したそうだが、源頼朝が再興し、北条義政以後の代々の藩主から寺領の寄進を受けて庇護されたという。江戸時代に入って1713年(正徳3年)、火災により焼失したが、1721年(享保6年)に再建、その後は度々の修復、改築を受けて現在に至っている。

境内は決して広大な敷地というわけではないが、鬱蒼とした木々を背負って建つ本堂の姿は風格ある佇まいで、歴史の重みが感じられるところだ。崖上に立つ薬師堂も見事なものだ。特に寺院建築に詳しくなくても興味を覚える。

境内の一角、鐘楼の横手には「愛染カツラ」と呼ばれるカツラの巨木がある。平安の時代、観世音菩薩が影向したのがこのカツラの木らしく、古くから霊木として崇められてきた樹木だそうだ。樹齢は1200年だそうだが、伝説から逆算した数値だろう。実際にも300年を超える樹齢はあるようで、樹高は20m超、目通り周囲5.5m超、枝張り約14メートルという立派な姿だ。上田市指定の天然記念物である。川口松太郎の代表作「愛染かつら」が、境内の一角にある愛染堂とこのカツラの木にインスパイアされて書かれたことは有名である。


別所温泉/湯かけ地蔵

別所温泉/大師湯

別所温泉/七苦離地蔵尊堂

別所温泉/将軍塚

別所温泉/温泉街の風景
歴史の古い温泉だけあって、別所温泉の温泉街を歩いているとさまざまな史跡や伝承の地に出会う。

北向観音のやや東側の川岸には小さな広場があり、一角に「湯かけ地蔵」という地蔵尊が祀られている。設置された解説板によれば、上田に住んでいた春蔵という信心深い男が佐渡に流刑になった日蓮上人を慕って佐渡へ渡った際、沼地を通りかかると呼ぶ声が聞こえた。「泥にまみれて永いこと此所にいる。一度信濃の湯につかりたい。身を清められたらお前の願いをかなえよう」と言われたそうだ。驚いて沼に入った春蔵は泥の中から一体の地蔵尊を取り出した。春蔵は急いで信濃に戻り、地蔵尊を湯に入れた。春蔵はその後、美しい女人と結ばれ、子宝にも恵まれ、幸せに暮らしたという。

北向観音の北側、参道入口近くの河岸には大師湯という共同浴場がある。別所温泉に三つある共同浴場のひとつで、観光客にも人気の湯だという。北向観音堂建立の際に慈覚大師が好んで入浴したので「大師湯」というのだそうだ。昔、矢傷を負った雉が湯浴みをして傷を癒したので「雉子湯」と呼んだこともあると、解説には添えられている。

北向観音参道入口から県道82号線を300mほど東へ下ってゆくと、七苦離地蔵尊堂と将軍塚がある。別所温泉は昔は「七久里の湯」と呼ばれていた(清少納言が「枕草子」の中に記した「七久里の湯」が別所温泉ということだが、これには異説もある)といい、「七久里」が「七苦離」に通じ、それが地蔵尊信仰と結びついたもののようだ。常楽寺の地蔵尊が祀られているという。その斜向かいの「将軍塚」は古墳時代後期に築造された円墳で、この地方の豪族の墓らしい。平安の昔、戸隠山に棲んでいた鬼女を北向観音に参拝の後に討ち滅ぼした将軍平維茂の墓という伝承もあるらしく、そこから「将軍塚」の名があるようだ。

今回は温泉街の周囲に点在する寺院群を回ることはしなかったが、寺社巡りの好きな人なら時間を設けてゆっくりと巡ってみるといい。「信州の鎌倉」の魅力を堪能できるに違いない。
参考情報
交通

長野新幹線やしなの鉄道の上田駅で上田電鉄別所線に乗り換えれば終点が「別所温泉」駅、上田駅から別所温泉駅まで30分ほどだ。別所温泉駅から北向観音や温泉街の中心部へは少し距離があるが、温泉街の風情を楽しみながらのんびりと歩けばいい。

車で来訪する場合は上信越自動車道を上田菅平ICで降り、国道144号線から国道141号線へと辿って上田市中心部を抜け、県道77号線から県道65号線、県道177号線と経由して西へ向かえば別所温泉だ。上田市街地を抜けるのを避けて、国道144号線から国道18号線(上田バイパス)と国道143号線(築地バイパス)を経由して県道177号線へ向かってもいい。他にもさまざまなルートがあるから地図などで確認しておくことをお勧めする。

温泉街の中に観光客用の駐車場が設けられているようだ。宿泊する人は宿の駐車場を利用してもいい。上田駅周辺の駐車場に車を止め、別所電鉄に揺られての来訪も一興だろう。

飲食

それほど多くはないが、温泉街の中にさまざまな飲食店が点在している。

周辺

北向観音の他にも別所温泉の周辺にはさまざまな古刹が点在している。寺社巡りの好きな人にはお勧めだ。上田電鉄別所線の別所温泉駅はなかなか素敵な佇まいの駅舎だ。特に鉄道ファンでなくても楽しめるだろう。

温泉街から少し足を延ばして塩田平の長閑な田園風景を楽しむのもいいし、さらに上田市街へと足を延ばせば上田城趾旧北国街道沿いの町並みなど、見所がたいへんに多い。鉄道ファンなら上田電鉄別所線そのものが魅力あるものに違いない。
別所温泉と北向観音

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