佳景探訪
拾ケ堰
長野県安曇野市の平地部を貫くように、総延長15kmにも及ぶ用水路が流れている。拾ケ堰と呼ばれる水路で、江戸時代末期に農地の灌漑用に開削されたものという。晴天に恵まれた九月上旬、拾ケ堰を訪ねた。



拾ケ堰

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拾ケ堰
安曇野の土地は河川によって運ばれた土砂が堆積した、扇状地と呼ばれる地形だ。北アルプスから流れる河川が形成したいくつもの扇状地が重なり合って複合扇状地を成している。扇状地の地質を構成するのは砂礫で、河川の水は地中に染み込んで伏流水となって流れてゆく。扇端部に当たる東側では豊富な湧水に恵まれるが、扇央部に当たる西側は水にも土地の栄養分にも乏しく、農地には適していない。それを克服するために安曇野に開削されたのが拾ケ堰と呼ばれる用水路だ。拾ケ堰は「じっかせぎ」と読む。疏水、すなわち人工的に開削された水路のことを、この地方では「堰(せぎ)」と呼ぶ。

拾ケ堰が開削されたのは江戸時代末期、1816年(文化13年)のことという。奈良井川(現在の松本市島内)から取水し、梓川を横切り、安曇野を貫くように流れて烏川に注ぐまで、その総延長は約15kmに及ぶ。拾ケ堰は正式には「拾ヶ村組合堰」という。この用水によって吉野村、成相町村、新田町村、上堀金村、下堀金村、柏原村、矢原村、等々力町村、保高町村、保高村の十ヶ村が灌漑されることから、その名がある。

この用水が計画されたのは1812年(文化9年)のことらしい。扇状地の地質のために荒れ野だった土地を灌漑し、水田とすることを目的にしていたことは言うまでもない。計画の立案と初期の測量は柏原村の中島輪兵衛と下堀金村の平倉六郎右衛門が協力して行い、これに保高組大庄屋の等々力孫右衛門とその養子の等々力孫一郎、吉野村庄屋の岡村勘兵衛、等々力町村庄屋の白澤民右衛門、柏原村庄屋の関与一右衛門といった人々が実務面で協力、彼らを中心に松本藩の役人や多くの地元民が力を注いだ。1816年(文化13年)2月11日(旧暦)に着工した拾ケ堰はわずか三ヶ月後の5月10日に竣工したという。工事参加延人員67,112人、総工費816両だったそうである。

拾ケ堰は標高570mの等高線に沿って流れており、奈良井川の取水口から烏川に注ぐ終点までの標高差は約5m、1km進んで30cm余り下がるだけという緩やかな傾斜である。その流路には奈良井川から取水した用水が梓川と交差する部分もあるわけで、江戸時代末期の簡素な測量器で行われたことを考えれば当時の人々の技術力の高さには改めて敬服する。そしてまた驚くべきは着工から竣工までわずか三ヶ月という事実である。現代のような重機も土砂運搬の車両もなく、すべては延人数67,112人の人力によって行われた。彼らの熱意と労力に敬意を表したい。拾ケ堰の完成によって300haほどの新田が開かれ、安曇野の土地は豊かな稲作地帯に姿を変えてゆくことになる。現在、拾ケ堰の恩恵を受ける水田は1000haに及ぶという。

今回訪れたのは、県道316号線(千国街道)が拾ケ堰を跨ぐ橋から1kmほど下流側(西)の宮じり橋の辺りだ。宮じり橋の200mほど上流川(東)には平成橋という橋が架かっているが、この平成橋から宮じり橋までの区間、拾ケ堰の右岸(北側)には小公園のような佇まいで遊歩道が整備されており、四阿やトイレも設置されている。この遊歩道には「じてんしゃ広場」という名があるようだが、拾ケ堰沿いには「あづみ野やまびこ自転車道」というサイクリングロードが整備されており、その一部としてサイクリングを楽しむ人たちのための休憩所としての役割を担っているのだろう。サイクリング中の休憩でなくても、拾ケ堰の流れと周辺の景観を楽しみながら散策するには絶好のところだと言っていい。遊歩道内には拾ケ堰についての概要を記したパネルを埋め込んだ石碑も設置されているから、訪れたときには目を通しておきたい。

拾ケ堰は堂々たる流れだ。宮じり橋周辺では拾ケ堰は真っ直ぐの流路で、傾斜が緩やかであるために流れはゆったりとしており、その水面に遠い山並みのシルエットを映す。満々と水を湛えて流れる姿は1000haに及ぶ耕地を潤す用水の基幹としての風格のようなものさえ感じさせる。用水開削のために尽力した先人たちの苦労と一大事業を成し遂げたことの誇りが、その流れの向こうに見える気もする。そしてまた、拾ケ堰の流れが周囲の景観と織り成す表情がたいへんに美しい。疏水ならではの表情が周囲の景観に調和し、岸辺を歩けば水辺散歩の愉しみを存分に堪能することができる。

平成橋から宮じり橋の間の区間は右岸側の遊歩道に樹木が植栽され、さらに左岸側にも岸辺に立つ樹木の姿があり、宮じり橋から上流側を眺めるとき、あるいは平成橋から下流側を眺めるとき、それらの樹木がアクセントになって美しい景観を演出してくれる。宮じり橋から下流側を眺めれば真っ直ぐに延びる拾ケ堰の流れの向こうには北アルプスの峰々が連なり、これもたいへんに美しい。遊歩道内には花壇も整備されて景観に彩りを添えてくれているが、これは「拾ケ堰景観形成プロジェクト」によるボランティアで整備されているものという。訪れたのは9月上旬、宮じり橋の袂ではコスモスが風に揺れていた。岸辺を歩いていると、堰の流れの中、岸近くにアオサギの姿を見つけた。しばらくしてアオサギは飛び去っていったが、悠然と飛翔する姿が安曇野の風景によく似合って美しかった。

拾ケ堰の周囲は広大な水田地帯だ。もちろん、その水田地帯は拾ケ堰の恩恵によるものだ。訪れた9月上旬、稲は黄金に実って刈り取りを待っていた。秋の日差しを受けて輝く景観が美しい。広がる水田の向こうには山並みの稜線が横たわり、その景観も素敵だ。耕地の中には稲作の水田に混じって蕎麦畑もあった。蕎麦はちょうど花の時期、白く可憐な花が畑地を埋める景観も美しいものだ。この農地の景観と共にあってこその拾ケ堰だろう。先人たちの偉業を讃えつつ、拾ケ堰の流れと周囲の農地、遠い山並みの織り成す美しい景色を愉しみたい。
参考情報
拾ケ堰の表記は「拾ケ堰」と「拾ヶ堰」が混在しているようだ。基本的にどちらでもかまわないのだろうが、本頁では安曇野市公式サイトで使用されている「拾ケ堰」の表記に統一した。

交通

「拾ケ堰」は総延長約15km、さまざまな場所で見ることができる。本頁に記した「じてんしゃ広場」は拾ケ堰のほぼ中間辺りに位置し、JR大糸線南豊科駅から近い。南豊科駅から南南西の方角へ向かい、平成橋までおよそ1km、徒歩で20分ほどか。車で訪れるなら県道316号線の「拾ケ堰」交差点から西へ入り込んで行けばよいが、道は狭くルートはわかりにくい。県道321号線の中堀公民館横から拾ケ堰南岸に沿って東へ入り込むのがわかりやすいかもしれない。

電車を利用して訪れた際には、他の駅も利用できる。JR大糸線柏矢町駅からなら県道309号線を西へ辿って1.5kmほど、穂高駅からなら県道432号線を西へ辿って1.5kmを少し超える程度か。島内駅から東へ600mほどで奈良井川だが、奈良井川の左岸を北へ600mほど辿れば拾ケ堰の取水口が見られる。

車で訪れた際は、道の駅「アルプス安曇野ほりがねの里」を利用すると便利かもしれない。道の駅「アルプス安曇野ほりがねの里」は国道147号線の「成相」交差点から県道57号線を西へ2.6kmほど辿った「堀金」交差点を南へ折れたところに位置している。道の駅「アルプス安曇野ほりがねの里」東側の道路を南へ下れば300mほど、途中で西へ折れても500mほど、北へ上って「堀金」交差点から西へ折れても400mほどで拾ケ堰に着く。

また長野自動車道に設けられた梓川SAは拾ケ堰の上流部に近い。梓川SAには「ぷらっとパーク」が設けられていて一般道からも利用できるので、梓川SAを利用したついでに拾ケ堰の岸辺まで散策してみるのも一案だろう。

飲食

拾ケ堰そのものは観光地ではなく、水田地帯の中を流れる用水であるから、基本的には河岸に飲食店などはない。電車で訪れた際には駅周辺で、車で訪れた際は主要道沿いに点在する飲食店を探すのが賢明だ。

「じてんしゃ広場」には四阿なども設けられているから、陽気の良い季節であればお弁当やサンドイッチなどを購入しておいて、長閑な田園風景を眺めながらのランチタイムも楽しいかもしれない。

周辺

当然のことながら、拾ケ堰の周辺には広々とした水田地帯が広がっている。散策の足を延ばして、その美しい景観を堪能するのがお勧めだ。

道の駅「アルプス安曇野ほりがねの里」の裏手には臼井吉見文学館が建っている。興味のある人は立ち寄ってみるといい。

穂高駅周辺では穂高神社や碌山美術館などが安曇野観光の定番として立ち寄っておきたいところだろう。さらに大王わさび農場安曇野わさび田湧水群「憩いの池」などにも、安曇野に訪れたなら足を延ばしておきたい。
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