東京都調布市の深大寺は733年に開創されたという古刹だ。観光地としても人気を集め、名物の深大寺蕎麦が広く知られる。風薫る五月の半ば、深大寺に参拝した。
深大寺
深大寺
深大寺
深大寺を開いたのは満功上人(まんくうしょうにん)という人物だそうだ。かつて満功上人の父である福満が、土地の豪族の娘と恋仲になったが、娘の両親はこれを許さず、娘は湖の小島に離されてしまった。福満は深沙大王(仏教の於ける守護神、水神)に祈願し、霊亀の背に乗って島に渡り、これを知った娘の両親がついにふたりの中を認め、やがて生まれたのが満功上人であるという。満功上人は父福満の願いに従い、出家してこの地に一宇を建て、深沙大王を祀った。733年(天平5年)のことという。それが深大寺に伝わる縁起である。深大寺という名も、深沙大王に由来しているそうだ。

深大寺が開かれて百年ほど経った頃、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こす。この降伏を祈念するため、比叡山の恵亮和尚が東国に下り、深大寺を道場に定めて逆賊降伏の密教修法を行なったという。乱が平定された後、朝廷は恵亮和尚の功績を讃え、深大寺を与えた。この時、深大寺は法相宗から天台宗に改宗し、その後は東国随一の密教道場として栄えたという。

中世の頃には存亡を危ぶむほどの危機を迎えたこともあったようだが、やがて徳川の時代になると、家康によって領地が与えられ、深大寺は再び繁栄の時代を迎えた。しかし1865年(慶応元年)、深大寺は火災に見舞われ、山門と常香楼を残して焼失したという。時代が明治維新を迎える中、深大寺は再興されてゆくが、本堂が再建されたのは焼失から50年を経た1919年(大正8年)のことだったという。
深大寺
深大寺
深大寺
開創から1300年ほど、深大寺は東京都内では浅草の浅草寺に次ぐ歴史の古さだという。今も近郷の人々の深い信仰を集め、その名を広く知られている。3月初旬には厄除元三大師大祭が執り行われるが、境内で併せて行われる「だるま市」は「日本三大だるま市」にも数えられるほど有名なものという。もちろん正月には初詣の人々で賑わい、他にも節分の豆まき式や5月に行われる薪能など、さまざまな年中行事があり、それぞれに多くの参拝者を集めている。
深大寺
深大寺の境内はそれほど広大な敷地ではないように感じるが、実は北側に隣接する神代植物公園もかつては深大寺の寺域だったという。神代植物公園は深大寺からは一段高くなった地形で、両者の間には小さな“段差”が存在する。これがいわゆる国分寺崖線である。国分寺崖線は各所で豊かな湧き水を生んでいるが、ここでも例外ではなく、古代から清らかな湧き水に恵まれていたようだ。水は人々の暮らしになくてはならないものだから、清水の湧く泉を霊場として祀り護ってきた。それが信仰の場としての始まりではないかという。
深大寺
境内は豊かな緑に包まれ、その中に本堂や元三大師堂、釈迦堂などの堂宇が建っている。幕末に火災に遭ったため、すべてが古い建物ではないが、お参りを済ませた後はそれぞれのお堂を見学しておきたい。中でも山門は1695年(元禄8年)に建立されたものだそうで、見応え充分の佇まいだ。ひととき、敬虔な気持ちで深大寺の空気を感じたい。
山門
深大寺の山門は1865年(慶応元年)の火災で焼失を免れたもののひとつだ。1695年(元禄8年)に建てられたもので、現存する建物の中で最古のものという。本柱の後ろに控え柱を立て、男梁と女梁をかけて切妻屋根を載せた構造だそうだ。木々に包まれるようにして建つ姿は蒼古たる佇まいで、古刹としての風格を象徴しているようだ。
深大寺山門
鐘楼と梵鐘
鐘楼は1870年(明治3年)に再建されたものだそうだ。現在の梵鐘は2001年(平成13年)に鋳造されたものだそうだが、旧梵鐘は鎌倉末期に製造されたもので、都内で三番目に古いものらしく、国の重要文化財である。1922年(大正11年)に当時摂政官だった昭和天皇が深大寺を行啓された際、「古いものは大切に」との旨を仰ったことにより、戦時中の金属徴発も免れたのだそうだ。
深大寺鐘楼と梵鐘
本堂
深大寺本堂は1919年(大正8年)に再建されたものだ。焼失前の本堂は茅葺き屋根だったそうだが、再建されたものは瓦葺き、さらに2003年(平成15年)に屋根の大改修が行われ、現在は銅板葺本瓦棒葺きとなっているそうだ。永い歴史を誇る古刹に相応しい、堂々とした風格を漂わせる本堂である。また、本堂前の常香楼は元々は大師堂前にあったもので、1833年(天保4年)の建立、慶応の火災での焼失を免れたもののひとつである。
深大寺本堂
深大寺門前
深大寺と言えば深大寺蕎麦が有名だ。この辺りの土地が稲作に向かなかったため、昔から蕎麦の栽培が盛んで、土地の小作人たちが蕎麦を深大寺に献上、それを参拝の人々に振る舞ったのが「深大寺蕎麦」の発祥だという。深大寺蕎麦が生まれた背景には、ここが清らかな湧き水に恵まれていたこともあるのだろう。現在、深大寺の門前には深大寺蕎麦を商う店が数多く建ち並んでいる。深大寺参拝の際には、やはり深大寺蕎麦を味わっておきたい。
深大寺門前
深大寺門前
深大寺門前
蕎麦屋や土産物店の建ち並ぶ深大寺門前の通りは豊かな木々に覆われ、清水の流れる小川もあり、古い時代を彷彿とさせて風雅な佇まいを見せる。そうした風景も人気を集めるのだろう。深大寺への参拝の後は、門前の通りをのんびりと散策するのがお勧めだ。少しばかり観光地的な喧噪も感じられるが、そうした賑わいもまた一つの興趣というものだろう。
深大寺門前
深大寺門前
深大寺の位置する調布市には「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の水木しげる氏が在住している(氏は調布市の「名誉市民」である)。2010年(平成22年)の4月〜9月期のNHK連続テレビ小説(いわゆる「朝ドラ」)で、水木しげる氏夫妻の半生を描いた「ゲゲゲの女房」が放送された。水木しげる氏の奥方である武良布枝さんが2008年(平成20年)に出版した同名のエッセイ「ゲゲゲの女房」を原作としたもので、ヒロインは松下奈緒が、水木しげる氏役は向井理が務めていた。戦後から高度成長期にかけての、“古き良き昭和”を舞台にしたドラマだが、その中で度々深大寺周辺の風景が印象的に登場した。ドラマ自体の評判も良く、“古き良き昭和”への郷愁もあってか、放送中はドラマに登場する風景に惹かれて深大寺を訪れる人々が多かったという。以前から深大寺の知名度は高かったが、このドラマによってさらに広く知られるようになり、“観光名所”としての人気がさらに高まったようだ。
追記 水木しげる氏は2015年(平成27年)11月30日、満93歳で亡くなられた。この場を借りて弔意を表しておきたい。

深大寺門前
深大寺は北側に神代植物公園が隣接していることもあって、その両方を目的に訪れる人も多いのだろう。深大寺とその門前、神代植物公園とを併せて一つの“観光地”として成立しているような側面もあるのだろう。歴史ある古刹と名物の蕎麦、そして花々の咲く広大な公園、魅力的な組み合わせであることは間違いない。鬱蒼と茂る木々に包まれての散策は癒しのひとときである。
参考情報
深大寺の縁起や歴史等について、本頁記載の内容は主として深大寺公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)の内容に拠っている。公式サイトも参照されたい。

交通
深大寺へはJR中央線の三鷹駅や吉祥寺駅、京王線の調布駅やつつじヶ丘駅などからバスを利用しなくてはならない。バス路線など、詳細は深大寺公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

車で来訪する場合は、国道20号の「下石原交番前」交差点から「武蔵境通り」へ折れて北上、あるいは東八道路(都道14号)の「野崎八幡前」交差点で「武蔵境通り」へ折れて南下し、「武蔵境通り」の「深大寺入口」交差点から東へ辿るのがわかりやすい。東側を南北に辿る「三鷹通り」も利用できる。中央自動車道を利用するときには調布ICで国道20号の上り方向へと降りれば300mほどで「下石原交番前」交差点だ。

深大寺境内の駐車場は法事の人のみの利用に限られ、観光を兼ねた参拝のときには利用できない。周辺には観光客向けの民間駐車場もあるので、利用するといい。

飲食
深大寺周辺には有名な深大寺蕎麦を商う店が多数ある。休日には人出も多く、お昼時には店は順番待ちとなるが、せっかく深大寺に訪れたなら深大寺蕎麦を味わっておきたい。

お弁当持参で訪れて、深大寺参拝の後で隣接する神代植物公園へと足を延ばし、公園内でアウトドアランチを楽しむのもお勧めだ。

周辺
深大寺の北側には神代植物公園が隣接している。バラ園の有名な公園だが、さまざまな木々の茂る魅力的な公園だ。入園料が必要だが、ぜひ楽しんでおきたい。

深大寺から南へ十数分歩けば野川の河岸に出る。野川に沿っての散策も楽しい。野川を上流川へと辿ってゆけば調布飛行場や国立天文台へもそれほど遠くない。
社寺散歩
東京多摩散歩