日南海岸散歩
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日南海岸風景海と緑の風景
坂元棚田

坂元棚田
日南市街から国道222号線を西へ、都城方面へと向かって走ると、カーヴの続く国道を辿ってやがて「道の駅」酒谷に至る。その「道の駅」酒谷への入口を少し過ぎた向かい側に、右手の山間へと入り込む細道があるのに気づく。道の入口付近に「坂元棚田」を示す案内板が立っている。道はうねうねと山肌を辿り、やがて坂元の集落に着く。この集落に、山裾の斜面を利用して造られた美しい棚田がある。
坂元棚田坂元棚田
「坂元棚田」と通称するこの棚田は、大正末期に測量が始められ、昭和3年から昭和8年まで、五年の歳月を費やして造られたものという。この場所は日南市の最高峰である小松山の山裾にあたり、棚田が造られる以前には茅の生い茂る原野であったらしい。原野に茂る茅は集落の家々の屋根を葺くために用いられ、そしてまた茅の原野は子どもたちの遊び場でもあったという。

一般に「棚田」というと山肌の急斜面に造られた不規則な形状の小さな水田が段々に並ぶ風景を思い浮かべるが、この「坂元棚田」はそうしたイメージとは少し違っている。「坂元棚田」の水田はほぼ長方形をしており、その水田がまさに「階段状」に並ぶ。その意味では近代的な人工物としての印象を伴うものだが、その佇まいには幾何学的な美しさもあり、緑濃い山々の中に横たわる様子には独特の興趣がある。

棚田横の道脇に「坂元棚田」に関する解説板が設置されている。それによれば、棚田は一枚あたりが5アールで、その面積や畦道の幅などもすべて馬耕農業を前提としたものであるという。確かにそうした目で見ると現代の機械化された農耕には不便であるように見える。「坂元棚田」が造られた昭和初期は馬耕農業の終焉期にあたり、ある意味では馬耕農業を前提に開墾された最後の水田のひとつであるかもしれない。
坂元棚田

棚田の並ぶ横の道路を最上部まで歩くと相応の距離があるが、棚田の風景や石垣の佇まい、その向こうに横たわる山々を眺めながらの散策はなかなか楽しい。棚田の石垣は自然石と大石を割ったものを積み上げたものだそうだが、なかなか難しいものだそうで、初めのころには専門の技術者を雇って工事を始めたと解説板に書かれている。やがて地元農家の人々が見よう見まねで技術を習得し、途中からは地元の人々が中心になって工事が進んだという。石垣に積まれたさまざまな形状の石を見ながら、棚田造成に汗を流した人々の姿に想いを馳せるのも楽しい。

日南市の平野部あたりでは4月初めに田植えをして7月終わりから8月初めにかけて稲刈りをする早期作が通常だが、酒谷あたりでは6月初めに田植え、10月初めに稲刈りという一般的な耕作が行われている。夏に棚田を訪れると青々と稲の育った水田の風景を見ることができる。田植え直後の水田の風景や、秋の黄金に実った風景なども美しいものだが、夏の日差しの下に輝く稲の様子もとても美しい。

道を上ってゆくと、次第に周囲に視界が広がり、やがて棚田のほぼ全貌とその周囲に重なる山々の風景を一望する。この風景がとても素晴らしい。棚田の佇まい自体も美しいものだが、その棚田が山間の斜面に横たわり、それを深い山並みが囲んでいるという風景は、それでひとつの芸術作品として成り立つほどの美しさがある。街の暮らしに慣れた人々にとって、この風景こそ郷愁を誘って心和むものなのではないかという気がする。絶景、と言って差し支えない。
坂元棚田坂元棚田

坂元棚田
解説板によれば、現在は12戸の農家が70枚の棚田を耕作しているという。近年では棚田のオーナー制度も導入されている。年会費を納めて棚田の「オーナー」となり、田植えや稲刈りなどの農作業を体験、収穫した米一俵(約30kg)を受け取ることができるというものだが、「農」というものへの回帰願望というのか、郷愁のようなものに惹かれるのか、なかなかの人気であるらしい。

「坂元棚田」は1999年(平成11年)に農林水産省が認定した「日本の棚田百選」のひとつとなり、また地域興しに取り組む地元有志グループの努力もあって、最近では知名度も増して観光客の姿も見るようになった。車やバイクなどでなければ訪れることも容易ではないが、駐車場も設けられているから観光の途中に立ち寄ってみるのもいい。国道222号から坂元地区に至る道はカーヴの続く狭い道なので、そういった道に慣れていない人は慎重な運転を心がけて欲しいと思う。そしてまた棚田を見学する際には、勝手に農地に立ち入らないよう、農作業の邪魔をしないよう、くれぐれも留意されたい。
坂元棚田
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INFOMATION
坂元棚田
【所】日南市酒谷
【問】日南市観光協会
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この近辺
酒谷酒谷キャンプ場日南ダム
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ここから東へ
飫肥飫肥城址竹香園
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ページ内の写真は2003年夏に撮影したものです。本文は2009年6月に改稿しました。
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