日南海岸風景
酒谷
酒谷
日南市の市街地から国道222号を西へ辿り、飫肥を過ぎてさらに山間へと進むと、酒谷地区へ至る。現在の酒谷は日南市の西部を占める地域だが、1956年(昭和31年)4月1日に日南市に合併される以前は南那珂郡酒谷村だった。そのほとんどを山林が占め、酒谷川に沿ったわずかな平地に家々と水田が点在するばかりの、山深いところだ。

国道222号は酒谷川に沿うように東西を結び、東は飫肥から吾田、油津へと、西は峠を越えて都城へと辿っている。昔の国道222号は酒谷川の河岸にくねくねと続く細道で、交通の面でも不便なところだったのだが、現在は国道も広く整備され、気軽に訪れることができる。かつては山中の辺鄙なところという印象もあったが、今の酒谷にそのようなイメージはない。かえって山深い自然の表情が美しく、日南市の「奥座敷」的な魅力を放っているようにも思える。
酒谷
-
飫肥から国道222号を辿り、酒谷地区に入るとやがて小さな集落に至る。国道から右に逸れる旧道へ入り込んだところに酒谷中学校が建っていた(酒谷中学校は平成27年度を最後に廃校になった)。旧酒谷中学校の門のすぐ脇に、大きなクスノキが枝を広げている。日南市の「郷土の名木」に指定された樹木で、指定番号は第23号とある。「郷土の名木」に選ばれるだけあってなかなかの大木だ。夏空を背景に緑濃く枝を茂らせる姿は堂々として美しい。樹木に興味のある人なら見ておきたいところだ。
旧酒谷中学校のクスノキ
-
酒谷小学校などの建つ集落を過ぎてしばらく国道を辿ると、眼前にダムが現れる。日南ダムだ。日南ダムは治水ダムで、酒谷川の氾濫の被害を防ぐために造られたものだ。竣工は1985年(昭和60年)のことだ。酒谷のあたりは降雨量の多いところで、大雨になると重畳する山々に降った雨を酒谷川が集め、洪水となって下流域の家々に多大な被害をもたらしてきた。このダムはその対策のために17年の総工期を費やして建造されたものだ。ダム湖の河畔は公園のように整備されている。満々と水を湛えた湖が緑の山々と空や雲を映し出すのを眺めるのも楽しい。
日南ダム
-
日南ダムを過ぎて山肌に沿ってカーヴを描く国道を上がってゆくと、茅葺き屋根の建物の意匠が特徴的な「道の駅」酒谷がある。「道の駅」は一般道路に於ける無料休憩所で、高速道路のサービスエリアなどに相当する施設だが、その中に地域の特産品などを用意した売店を備え、地域振興、地域情報発信といった役割も大きい。「道の駅」酒谷でも、地場産の野菜や草団子など、さまざまな地場特産品を販売し、なかなか好評だという。ソフトクリームも人気が高く、買い求める人の姿も多い。軽食も可能だから、ドライヴ途中の一休みに立ち寄りたい。また「道の駅」酒谷は日南ダムのダム湖を北から見下ろす位置にあり、奧へ進むと眼下に碧の水を湛えたダム湖を一望する。なかなか壮大な眺めだ。立ち寄ったときにはこの眺望も楽しんでおきたい。
「道の駅」酒谷
-
「道の駅」酒谷の入口近くに、北の山中へと入り込む細道があり、「坂元棚田」を指し示す案内標識が立っている。この道を辿ってゆくと、やがて坂元の集落に至る。坂元の集落には「日本の棚田百選」にも選ばれた美しい棚田がある。ほぼ長方形の水田が雛壇状に山の斜面に並ぶ姿は、一般的な「棚田」のイメージとは少々異なるものだが、緑濃い山々に抱かれるように横たわる棚田の見せる風景は心安らぐような風情がある。以前は荒廃の兆しもあったようだが、近年では地元有志の努力もあって「観光名所」としての役割も担っている。訪れる人のために駐車場も設置されているから、足を延ばして訪ねてみたい。
坂元棚田
-
「道の駅」酒谷からさらに国道222号を西へ辿ると、すぐに酒谷キャンプ場だ。酒谷川の河畔にキャンプ場があり、その下流側には子どもたちのために河川プールが設けられて夏は子どもたちの歓声がこだまする。
酒谷キャンプ場
酒谷キャンプ場の上流側に少し行くと、小布瀬の滝がある。国道222号から案内標識に従って左手斜めに細道を降りると、駐車場が設けてあり、そこから徒歩で向かう。滝へと続く遊歩道の入口には鳥居があり、昔はこうした場所が一種の霊場であったことを物語る。小川に沿った小径を奧へ進むと、轟々と響く滝の音が聞こえ始め、やがて眼前に小布瀬の滝が現れる。小布瀬の滝は落差23m、滝巾3m、水量は毎分12tだそうだ。滝壺脇の岸辺に立って見上げれば、やはり迫力ある自然の造形に畏怖するような思いがする。小径を辿って回り込んでゆけば、少し高みとなった場所から滝壺を見下ろすことができる。その眺めもなかなか素晴らしい。
小布瀬の滝 小布瀬の滝
小布瀬の滝の近くに、酒谷川の支流である大谷川を跨いで美しい石橋が架かっている。「大谷橋」という。1889年(明治22年)に造られた石橋で、緑濃い風景の中に美しいアーチを描いてひっそりと横たわっている。現在ではこの橋を通る車はほとんどないが、かつてはこれが国道で、交通量もそれなりに多かった。1971年に新国道が整備された後は、役目を終えたかのようにそのまま放置されて荒廃してしまったという。その石橋の歴史的価値を再評価し、地域の歴史遺産として遺そうという動きが近年になって高まり、宮崎県による改修工事が施されたのが2000年初頭のことだった。本来の役目を終えた石橋が、今は歴史遺産として、また観光資源として新たな命を与えられたのかもしれない。小布瀬の滝と大谷石橋は、7月下旬から8月にかけての夏季の夜、ライトアップされて幻想的な風景を現出する。涼を求めて訪れる人も少なくないという。
大谷橋 大谷橋
-
酒谷地区は現在でも過疎化と住民の高齢化は進んでいるという。そうした状況に危機感を抱いた地元若者有志によって、「やっちみろかい酒谷」という地域興しグループが組織されたのは1994年(平成6年)のことだった。「やっちみろかい」とは、「やってみようか」という意味の方言で、「何事にも挑戦してみよう」という思いを込めたネーミングであるという。自然溢れる故郷の活性化のため、「やっちみろかい酒谷」は坂元棚田でのれんげ祭りや小布瀬の滝祭り、オカリナコンサートといったさまざまな活動に取り組んでいる。忘れ去られようとしていた大谷石橋を復活させたのも「やっちみろかい酒谷」だ。その努力の甲斐あってか、近年の酒谷地区は何やら活気に溢れているような印象がある。

かつて酒谷と言えば辺鄙な片田舎というイメージがあった。山深く、交通は不便で、その中で人々が細々と暮らしを営んでいるという印象があった。有るものと言えば重畳する山々とその谷間に流れる川だけだった。しかし、そのことこそが、実は酒谷の魅力であり、財産であり、誇りではないのか。その中に暮らす人々にはそれなりに苦労もあり、不便もあるのだろう。自分たちの暮らす土地が如何に素晴らしいものであるのかということにはなかなか思いが及ばないものかもしれない。しかし、坂元棚田の最上部に立って、そこからの雄大な景観を見下ろすとき、つくづくと思う。この幾重にも重なって連なる緑の山々の美しさはどうだ。その潔く清涼な佇まいの美しさはどうだ。この美しさこそが酒谷の誇るべきものではないのか。忘れ去られようとしていたのは、古い石橋だけではなかったのかもしれない。
酒谷
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2002年夏、2003年夏、2004年夏に撮影したものです。本文は2007年12月に改稿しました。