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八王子市高月町〜丹木町
滝山公園
May 2018
滝山公園
八王子市の最北部、多摩川左岸の丘陵地に、北条氏の名城として知られる滝山城の城跡がある。滝山城は天然の地形を巧みに活かして築城された丘山城で、中世城郭の傑作と言われる。現在は城跡の大半が東京都立の「滝山公園」として整備され、土塁や空堀の施された城址の様子を気軽に見学することができる。公園内には多くの桜が植樹されており、花見の名所としても知られ、多くの花見客を集める公園でもある。
滝山公園
滝山城は1521年(永生18年、大永元年)頃に大石氏によって築城されたとされる(他説には1560年代に北条氏照によって築城されたとも言われる)。大石氏はこの頃、武蔵国守護として現在の多摩地域一帯を治めていたが、やがて大石氏の養子となった北条氏照が治めることになる。滝山城はその頃に北条氏照によって大規模な改修が施され、ほぼ現在まで残る城郭の形が出来上がった。

足掛かりを得た北条氏はさらに関東北部へと勢力を広げてゆく。関東管領上杉氏を越後に追いやり、最後まで抵抗を続けた三田氏を滅亡に追い込む。そうなると、脅威は上杉氏が頼った越後の長尾景虎、後に上杉氏の名跡を継いた上杉謙信と、甲斐の武田信玄である。彼らの関東侵攻からの防御のために、滝山城が重要な軍事拠点だったのだ。

1569年(永禄12年)、小田原攻略へ向かう甲斐の武田信玄が滝山城を攻めた。世に言う「滝山合戦」である。武田軍本隊2万が多摩川対岸の拝島に陣取り、小山田信茂率いる別動隊が小仏峠を越えて侵攻、対する北条軍はわずか2千の兵で滝山城に籠城した。熾烈を極めた攻防は三日間に及んだという。落城寸前まで追い込まれながらも何とか北条軍は持ち堪え、小田原城攻略が本来の目的であった武田軍はここで時間と兵力を浪費するのは得策ではないと判断したのか、本軍を小田原に向けるのである。

落城は免れたとはいえ、苦戦を強いられた「滝山合戦」は北条氏照にとって大きな教訓となったのだろう。天然の地形を活かして見事な縄張りの施された滝山城だったが、その防御態勢は完全ではなかった。特に地理的な要因は小さくなかったのだろう。北条氏照は甲州道の監視に適した地に八王子城を築き、城下ともども本拠を移すのである。

滝山公園
滝山城が北条氏照の本拠として使われた期間は短い。にも関わらず中世の名城として広く知られているのは、関東随一とも言われたその規模の大きさと、往時の土塁や空堀などの遺構が良好な状態で残っているからだろう。1951年(昭和26年)には国の史跡の指定を受けている。2017年(平成29年)には公益財団法人日本城郭協会が選定した「続日本100名城」のひとつに選出され、知名度もさらに高くなり、マニアの注目を集める城跡である。
滝山公園
滝山公園
滝山城跡の一帯はその大半が現在は東京都立の「滝山公園」として整備され、都民の憩いの場として親しまれている。園内は鬱蒼と木々が茂り、ちょっとした森林浴気分で楽しめる。園内には土塁や空堀など、滝山城の縄張りの遺構が良好な状態で残っており、それらを見学しながらのんびりと樹林を縫って散策を楽しむのがお勧めだ。要所には図を添えた簡単な解説パネルが設置されているから、マニアならずとも興味を持って見学できるだろう。

滝山城址へのアクセスルートは複数あるが、丘陵の南側、滝山街道に面した大手口から入ってゆくのが最も順当なルートだろう。滝山街道の「丹木町三丁目」交差点のすぐ東側、「滝山城址下」バス停前に「滝山城跡入口」を示す標識が立てられているのでわかりやすい。「丹木町三丁目」交差点の角には観光用駐車場も設けられている。
滝山公園
丘へ続く小径を辿ってゆけば、竹林の間を抜けて「天野坂」を上り、やがて周囲に鬱蒼と木々の茂る丘の上だ。「山の神曲輪」への分岐を過ぎれば、周囲には土塁や空堀などの遺構が見られる。そのまま「中の丸」へ向かってもいいが、「コの字型土橋」や「小宮曲輪」といった遺構を見学していきたい。

中央部を辿る園路は舗装されており、雨上がりの際にも歩きやすいのが嬉しい。その園路をさらに北へ辿れば左手に「千畳敷」が現れる。今は公園内の草地の広場という様相で、木製のテーブルも設置されている。「千畳敷」の北側の窪地は往時は弁天池と呼ばれる池が設けられていたという。「千畳敷」を過ぎると右手に「二の丸」跡がある。その奥の「行き止まりの曲輪(ふくろのねずみ)」などの遺構をぜひ見ておきたい。そこからさらに東へ道が延びている。時間と体力に余裕があれば辿ってみるのもいいだろう。
滝山公園滝山公園
滝山公園
「二の丸」跡を過ぎれば右手には「枡形虎口」を経て「中の丸」、その先には「中の丸」と「本丸」を繋ぐ「引橋」が園路を跨いでいる。その手前で左手に入り込むと「枡形虎口」を経て「本丸」だ。「中の丸」と「本丸」を繋ぐ「引橋」は「曳橋」とも書き、当時はもう少し下に架けられており、「中の丸」に敵が侵攻してきた際には「本丸」へ引き込むことができる構造だったようだ。もちろん現在の「引橋」はしっかりとした造りだ。その下は石畳となった園路だが、当時は現在よりさらに深く掘られた「大堀切」だったという。「本丸」がいわゆる“最後の砦”として機能する造りだったことがわかる。
滝山公園
「二の丸」跡は、今は丘の上の広場という様相だ。木々に包まれながらもほどよい開放感も感じられるのがいい。ベンチやトイレも設置されているから、お弁当を広げて“青空ランチ”を楽しむには好適なところだ。

一角に残るお堂のような建物は通称「旧滝山荘」、国民宿舎「滝山荘」の遺構だそうである。「滝山荘」は2000年(平成12年)頃には閉鎖、建物はほとんど取り壊されてしまったようだ。現在残っている建物がその遺構で、2015年(平成27年)から2016年(平成28年)にかけてリニューアル工事や塗装工事が行われたようである。

「二の丸」跡の北端部、パーゴラの設けられたところからは北に視界が開け、多摩川と秋川の合流点付近から昭島市西部、福生市南部の町並みを眺望する。なかなか爽快な眺めである。滝山公園を訪ねた際には、ぜひこの眺望を楽しんでおきたい。
滝山公園滝山公園
滝山公園
「二の丸」跡から「引橋」を渡って「本丸」に進めば、そこは鬱蒼とした木々に包まれた密やかな空間である。今は草地の広場の様相で、脇の方に「史蹟 滝山城跡」と刻まれた碑が建っている。北側部分には一段高くなって霞神社が鎮座している。霞神社は日露戦争の戦没者を祀るために建立された、いわゆる戦没者慰霊碑である。その後の戦争で戦死した英霊も祀り、加住地区の遺族会が管理されているらしい。“神社”とは言っても都立の公園内であるから(政教分離の原則から)おそらく宗教法人格はなく、あくまで慰霊碑なのだろう。「霞」の名は「加住」に由来するものか。
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「引橋」の下の石畳となった園路を北へ辿れば下り坂となって、丘陵の北側、多摩川の河畔へと降りてゆくことができる。以前は北西側の集落へと抜け出る昔ながらの道しかなかったが、今は「滝ヶ原運動場」脇へと降りてゆくルートも設けられている。滝山城址から多摩川河畔へと降りて、少し北へ進むと高月町の水田地帯だ。東京都内最大級の水田地帯だという。6月の田植えの頃から9月末の稲刈りの頃まで、美しい田園風景を堪能することができる。滝山城址と併せて散策を楽しむのもいい。
滝山公園滝山公園
中世の名城と名高い滝山城の遺構が良好な状態で残る滝山公園は歴史好きの人、“城マニア”の人なら必ず訪れておきたいところだろう。それほどのマニアでなくても、現地に設置された案内板を見ながら往時の様子を想像しつつの散策は楽しい。鬱蒼と木々の茂る丘はちょっとした“森林浴”気分でハイキングを楽しむにも好適だ。春には桜の名所として人気を集める公園でもあるが、秋の紅葉や初夏の新緑も美しい。高月町の水田地帯と共に散策を楽しむのもお勧めだ。
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