佳景探訪
下田歴史の散歩道
静岡県下田市は日米和親条約によって開港した港のひとつだ。開港の後、ペリー率いる米国艦隊が下田に入港、使節団が上陸し、いわゆる“下田条約”が締結された。ペリー一行が歩いた道は「ペリーロード」という散策路に整備されている。日本開国の舞台のひとつとなった下田の町、「ペリーロード」周辺を訪ねた。



ペリー上陸の碑

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

ペリーロード周辺

了仙寺
1853年(嘉永6年)、ペリーに率いられた米国艦隊、いわゆる“黒船”が浦賀沖に来航する。開国を求める合衆国大統領国書を日本に提出し、翌年、その回答を求めて再び来港、そして日米和親条約が締結され、日本は開国する。これによって開港されたのが箱館(現在の函館)と下田だった。

日米和親条約締結の後、ペリー一港は下田に入港、ペリーに率いられた使節団が下田の地に上陸する。日米和親条約附則の細目、いわゆる「下田条約」を取り決めるためだった。その交渉の場に選ばれたのは港に近い了仙寺、上陸したペリー一行は砲兵隊や軍楽隊を含む、三百人を超える大行列だったという。このときペリー一行が上陸した地点には、現在「ペリー上陸の碑」が建てられており、この上陸地点から了仙寺までペリーが大行列を率いて辿った道が、現在「ペリーロード」と名付けられた観光名所になっている。

「ペリー上陸の碑」と「ペリーロード」は下田の町の南端部に位置している。「ペリー上陸の碑」は下田公園下の海岸部に建てられ、そこから西へ了仙寺までの平滑川に沿った河岸の道が「ペリーロード」だ。

「ペリー上陸の碑」には台形の台座の上にペリーの胸像を据えた「ペリー艦隊来港記念碑」が設置され、その傍らに錨が置かれている。「ペリー艦隊来港記念碑」のペリーの胸像は、昭和初期に活動した彫刻家、村田徳治郎の作品という。「ペリー艦隊来港記念碑」の傍らに置かれた錨はアメリカ海軍から寄贈されたものだそうだ。ペリーの胸像は西へ向かって立ち、下田の町を見つめている。ペリーが初めて日本を訪れてからすでに百数十年が経ち、日本とアメリカとの間にはさまざまな歴史があった。ペリーの像は何を思って下田の町を見つめているのだろうか。

現在の「ペリーロード」は下田公園下から了仙寺まで、平滑川河岸に整備された散策路だ。道沿いには古い町並みが残り、“歴史ロマン”を感じさせて良い風情だ。もちろんペリー一行が歩いた時代の町並みが残っているというわけではないが、一角に建つ「土佐屋」の建物は安政元年(1854年)、すなわちペリーが下田を訪れた年に建てられたものというから少し驚く。ギャラリーと喫茶を商う「草画房」の建物は大正3年(1914年)に建てられたもので、大正時代には自転車屋だったそうだ。ところどころで平滑川を跨ぐ橋の姿も素敵だ。河岸に植えられた柳もいい。今回訪れたのは六月、柳の下には紫陽花が咲いて景観に彩りを添えている。古い景観を活かして整備された「ペリーロード」はどこから眺めても“絵になる”風景だ。道沿いにはさまざまな店舗なども並んでいる。のんびりと散策を楽しみ、どこからのお店でお土産を買い求めたり、一休みするのもいい。

「ペリーロード」の西端には、当然ながら「下田条約」調印の場となった了仙寺が建っている。了仙寺は国指定史跡である。外観にはそうした歴史を偲ばせるところはないようだが、かつてペリー一行がこの寺を訪れたという歴史的事実に思いを馳せながら参拝するとやはり特別な気分になる。また了仙寺の境内から「ペリーロード」にかけて数百株のアメリカンジャスミンが植えられており、「ジャスミンの寺」としても知られているという。アメリカンジャスミンは5月中旬から下旬にかけて満開になるそうだ。また了仙寺宝物館はペリーと黒船に関する資料では日本最大級という。当然のことかもしれない。歴史に興味のある人はぜひ見学しておきたい。

「下田条約」締結の後、下田には「欠乏所」が設けられ、航海上必要な水、食料といった物資の外国船への販売が開始される。また米国総領事としてハリスが着任、玉泉寺が米国領事館として使われた。ハリスは日米間の貿易交渉の任を負っており、やがて1858年(安政5年)、日米修交通商条約が締結されることになる。これによって神奈川(横浜)、新潟、兵庫(神戸)、長崎の四港が開港、いよいよ自由貿易の時代がやってくる。下田欠乏所は神奈川(横浜)の開港によって存在意義を失う形で役割を終え、閉鎖、日米和親条約締結によって歴史の表舞台に登場した下田の町は、わずか5年でその座から退くことになるのである。
欠乏所跡


欠乏所跡
了仙寺からほど近い町中の一角に、「欠乏所跡」の碑がひっそりと建っている。「欠乏所」とは、日米和親条約締結と下田開港に伴って設置された施設で、水や食料、石炭といった航海上必要な物資、すなわち“欠乏品”を外国船に供給するための役割を負っていた。傍らに設置された解説板によれば、“欠乏品供給”の名目で陶器や反物なども売られており、事実上の貿易が始まったのだという。当時の幕府は“貿易”を認めなかったが、これらの売り上げから税収を得ていたため、黙認する形だったらしい。「欠乏所跡」は下田市指定史跡である。




なまこ壁の家々

なまこ壁の家々

なまこ壁の家々

なまこ壁の家々

安直楼

港の風景

下田の町
「ペリーロード」沿いにも歴史を感じさせる古い建物が多く残っているが、下田の町にはこうした古民家が数多く残されている。町中を歩いていると目に付くのが黒地に斜めの白格子の漆喰を施した、特徴的な壁だ。これは「なまこ壁」といい、土を何層にも塗り重ねた上に平瓦を張り、防水のために漆喰で塗り固めたものという。漆喰のかまぼこ形の盛り上がりが「なまこ」に似ているので「なまこ壁」と呼ばれるようになったものらしい。「なまこ壁」の町並みは全国各地に残っており、岡山県倉敷市や山口県萩市などのものがよく知られている。伊豆半島西側の松崎町も「なまこ壁」で知られるところだ。下田市の観光リーフレットによれば、下田の「なまこ壁」は度重なる大火の延焼防止策として旗本屋敷の外側に使ったのが始まりで、“安政の大津波(1854年)”からの復興の際、美観と防火のために幕府が奨励したという。

下田の町には、この「なまこ壁」と使った古民家が多く残っている。「ペリーロード」沿いに建つ土佐屋や旧澤村邸、市街地南寄りに位置する安直楼や丸宮家、松本旅館、市街地北寄りに位置する雑忠(さいちゅう)や石原家、加田家など、それぞれに美しい「なまこ壁」を見ることができる。これらの古民家のほとんどは観光施設ではないので、その外観を見学することができるだけだが、古い時代の佇まいの残る町並みの散策は楽しい。「なまこ壁」は下田の町の象徴として捉えられ、新しい建物にもデザインのモチーフとして使われているようだ。そうしたものを探してみるのも面白い。

「ペリーロード」からほど近いところに建つ安直楼は「唐人お吉」が一時期小料理屋を営んだ建物で、見学も可能だ。建物の傍らに安直楼と「唐人お吉」についての解説が設けられている。それによれば、1857年(安政4年)、お吉は恋人鶴松との仲を裂かれて領事館に出仕し、米国総領事ハリスに仕えた。以後、町の人々から「唐人お吉」と蔑まれ、酒浸りの日々を過ごしたという。しばらく姿を消していたお吉だったが、年月を経て1882年(明治15年)、この安直楼で小料理屋を開業、しかし数年で店をたたんだ。1890年(明治23年)、お吉は稲生沢川に身を投げたという。領事館に出仕した際のお吉の年齢は記されていないが、48歳で亡くなったということだから十五、六の年頃だったことになる。お吉の没後は安直楼の建物で寿司店が開業、108年にわたって営業を続けたという。現在は下田市の史跡として保存され、二階には安直楼時代の客間とお吉の遺品も残されている。それらを見学しつつ、時代に翻弄された女性の生涯に思いを馳せてみるのもいい。

「なまこ壁」の古民家や、あるいは「安直楼」などの史跡だけでなく、下田の町はその佇まいそのものにも小さな港町としての興趣があって散策は楽しい。古い建物が建ち並ぶ町の中を、狭い道路が縦横に抜ける様子が昔からの町であることを物語り、郷愁を誘うような風情がある。町の中には料理店も点在しているから、それらの店のひとつを選んで食事を楽しむのもいい。町を東へ抜け出て、ひととき港の風景を楽しんでみるのも悪くない。

日本の開国に際しての一時期、歴史の表舞台に登場した下田の町、その歴史の足跡を辿りながら、のんびりと散策を楽しむのがお薦めだ。
参考情報
「ペリー上陸の碑」や「ペリーロード」、「なまこ壁」の古民家などを巡る散策ルートは「下田歴史の散歩道」と名付けられ、詳細なイラストマップを添えたリーフレットが用意されている。散策の際にはこのリーフレットを入手(下田市観光協会サイトからダウンロード可能)しておくことをお勧めする。このウェブページのタイトル「下田歴史の散歩道」もこのキャッチフレーズを使わせていただいた。

下田開港やペリー一行の下田上陸時の経緯やエピソードなど、詳細については下田市観光協会サイト(頁末「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)などを参照されたい。

交通

下田に電車で訪れるには伊豆急行を利用しなくてはならない。伊豆急行は伊東と下田を繋いでおり、伊東まではJRを利用する。東海道新幹線で熱海まで、熱海から伊東までJR伊東線を利用するのが一般的なルートだが、東京近郊からならJR東日本が運行する「踊り子」号や「スーパービュー踊り子」号を利用すると便利だ。「踊り子」号、「スーパービュー踊り子」号はJR東海道本線、JR伊東線、伊豆急行線の線路を経由して東京駅や新宿駅などから伊豆急下田駅までを結んでいる。運行状況の詳細などはJR東日本のサイトを参照されたい。

下田市は伊豆半島の南端近くに位置している。小田原方面から伊豆半島の東海岸に沿って国道135号線を南下、あるいは三島、沼津方面から国道414号線を南下するなどのルートがわかりやすい。下田市内には観光客向けの駐車場が点在しており、特に困ることはないが、街中の狭い道路には入り込まない方が無難だ。

飲食

下田市市内にさまざまな飲食店が点在している。観光案内サイトやパンフレットなどで予備知識を得ておくのがお勧めだが、のんびりと散策しながらお店を探してみるのも楽しい。

周辺

「ペリーロード」の周辺には、「吉田松陰拘禁の跡」や「唐人お吉」に関わる稲田寺や宝福寺といった史跡や寺社が点在している。観光パンフレットなどを片手にひとつひとつ巡ってみるのも楽しい。

「ペリーロード」の南東側には下田公園がある。紫陽花の名所であり、椿の群生地もあるそうだ。下田公園内には「開国記念碑」や「下岡蓮杖の碑」などが設置されている。下田公園の南側の海岸には下田海中水族館がある。

伊豆急下田駅横からロープウェイで寝姿山に上ってみるのも楽しいだろう。歴史に興味のある人ならハリスの領事館として使われた玉泉寺も訪ねておきたいところだ。

車で訪れたなら周辺の海岸線へ、ドライヴを楽しむのもお勧めだ。爪木崎龍宮窟なども訪ねてみるといい。
下田歴史の散歩道

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