佳景探訪
聖橋界隈
東京都文京区と千代田区の境、神田川を跨いで聖橋という橋が架かっている。聖橋の北東には湯島聖堂が、南にはニコライ堂が建っている。そのことから「聖橋」と名付けられたものという。聖橋から湯島聖堂、ニコライ堂など、聖橋の周辺を歩いてみた。



聖橋

聖橋

聖橋
JR中央線御茶ノ水駅のほぼ真上に架かる橋が聖橋だ。御茶ノ水駅と神田川を跨いで本郷通り(都道403号線)を渡している。聖橋は関東大震災の復興橋梁として1927年(昭和2年)に完成した。総工費72万4807円、2年8ヶ月の期間を要したという。橋長90メートル強、幅員22メートル、美しいアーチ構造のデザインには特に気を遣ったのだそうだ。聖橋という名は橋の北側に湯島聖堂が、南側にニコライ堂があることに因んだものだ。そうした橋の由来を刻んだ石碑が聖橋の袂に設置されている。訪れたときには目を留めておきたい。

聖橋の美しい姿を堪能するには聖橋の西で神田川に架かるお茶の水橋から眺めるのがお薦めだ。お茶の水橋の中ほどに立って東へ目を向ければ、正面に聖橋が見え、下を流れる神田川の水面にその姿が映る。北側の河岸には木々が茂って緑濃く、南側河岸には御茶ノ水駅があり、ときおり中央線の車両が行き交う。聖橋の向こうには秋葉原の繁華街が遠く見えている。なかなか素敵な風景なのだ。




湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂
聖橋の北東側には湯島聖堂が建っている。江戸時代中期に昌平坂学問所が置かれていたことでも知られるところだが、その歴史は江戸時代の初期に遡る。

1632年(寛永9年)、儒学者林羅山が上野忍ヶ丘(現在の上野恩賜公園)の私邸内に孔子廟を建てた。1690年(元禄3年)、五代将軍徳川綱吉がこの霊廟を神田台(現在の湯島)に移し、先聖殿を「大成殿」と改称、附属の建物などを総称して「聖堂」とした。これが現在の湯島聖堂の始まりだ。ここには林家の私塾も置かれ、儒学の講義は庶民にも開放されたという。しかし「聖堂」はその後、度重なる大火によって焼失、その度に復興がなされたが次第に縮小、荒廃していったようだ。

綱吉が「聖堂」を創建してからおよそ百年後の1797年(寛政9年)、幕府は敷地を拡張し、幕府直轄の学校を開設する。有名な「昌平坂学問所」である。「昌平」は孔子の生地の名に由来するという。「昌平坂学問所」は直参の子弟の教育が本来の目的だったようだが、幕末に近くなる頃には諸藩の藩士や浪人にも広く聴講が許され、多くの人材が集まって栄えたという。湯島聖堂の西側には東京医科歯科大学があるが、その敷地のほとんどはかつて昌平坂学問所の敷地であったらしい。

やがて時代が明治を迎え、昌平坂学問所は明治政府に引き継がれた後、1871年(明治4年)には閉鎖されている。廃止の後、ここには文部省が置かれ、博物館(現在の東京国立博物館)や東京師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学、お茶の水女子大学は文京区の北西部、豊島区に近い大塚二丁目にあるが、発祥となった東京女子師範学校が御茶ノ水にあったことがその名の由来だ)などが設置された。

1922年(大正11年)、大成殿を含む湯島聖堂の敷地全域が国の史跡に指定されたが、翌1923年(大正12年)の関東大震災で入徳門と水屋を残してほぼ全焼してしまった。現在の大成殿は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものという。東京帝国大学の工学博士伊東忠太による設計、寛政時代の旧制を模して造られたものだそうだ。1986年(昭和61年)からは文化庁による改修工事が行われ、1990年(平成2年)には聖堂創建三百年を祝う記念事業が行われている。

現在見ることのできる湯島聖堂はそうした歴史を経た後の“史跡”だ。敷地の中には大成殿をはじめ、杏壇門、仰高門、入徳門などの建造物があり、なかなか見応えがあるが、入徳門だけが1704年(宝永元年)の建造、他のものは近年になって再建されたものだ。それでも充分に歴史の重みを感じる佇まいで、特に間口20メートルという杏壇門と大成殿の堂々とした姿には圧倒される思いがする。

湯島聖堂は本来孔子廟であるから孔子を祀っているわけだが、他にも孟子や顔子、曾子、子思といった古代中国の賢人たちが祀られているという。湯島聖堂の敷地内には巨大な孔子像がある。これは1975年(昭和50年)に中華民国台北市のライオンズクラブから寄贈されたものという。丈高約4.6メートル、重量約1.5トンという大きさで、これは世界最大の孔子像なのだそうだ。

湯島聖堂は都心の立地でありながら木々が茂り、緑濃い佇まいだ。孔子縁の楷樹(カイノキ)やハクショウ、カヤ、スダジイなど、大きく育った木々そのものも見応えがある。現在の湯島聖堂にかつての昌平坂学問所の跡を見つけることは難しいが、散策しながら遠い昔の出来事に思いを馳せるのも楽しい。足早に見て回るのではなく、古い時代の面影を探しながらゆったりとした気分で見学したい。




相生坂

相生坂
湯島聖堂の東側の坂道は「昌平坂」、南側の坂道は「相生坂」という。昌平坂の舗道脇には「古跡 昌平坂」と記した石柱が立っている。相生坂の歩道脇、文京区教育委員会が設置した「相生坂(昌平坂)」についての解説パネルがある。“神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という”のだそうだ。相生坂から聖堂の東側に沿って湯島坂に出る坂が昌平坂だが、昔はその西側にもう一本の坂道があり、それを昌平坂と言っていたということだが、寛政の聖堂再建の際、本来の昌平坂は境内地に入ってしまったらしい。そうした経緯がパネルには記されている。訪れたときには目を通しておきたい。




淡路坂
聖橋の南東側の袂、神田川の南側を東へ下りてゆく坂が淡路坂だ。坂上の聖橋近くには「淡路坂」を示した名標が立ち、簡単な説明が記されている。それに拠れば、坂の上に太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があったため、淡路坂と呼ばれるようになったものという。太田姫稲荷は通称一口(いもあらい)稲荷といったことから、一口(いもあらい)坂とも呼ばれたそうだ。




ニコライ堂

ニコライ堂

ニコライ堂

ニコライ堂
聖橋から本郷通りを数十メートル南へ下ると右手にニコライ堂が見えてくる。「ニコライ堂」というのは愛称で、正しくは日本正教会東京復活大聖堂である。「ニコライ」は日本に正教の教えを伝道した聖ニコライの名に因んだものだ。

ニコライ堂は1884年(明治17年)に起工、工期7年を要して1891年(明治24年)に完成した。関東大震災では被災したものの、後に修復され、1962年(昭和37年)に国の重要文化財に指定されている。ロシア工科大学教授のシチュールポフ博士が原設計を行い、実施設計を担当したのはジョサイア・コンドルである。

ジョサイア・コンドルは1877年(明治10年)、24歳のとき、いわゆる「お雇い外国人」として来日、工部大学校造家学科(後の東京大学工学部建築学科)の教師の任に就いている。その後は民間の建築事務所を開業、教師時代から晩年まで、数多くの建物を設計した。鹿鳴館や旧海軍省本館、上野博物館、岩崎家茅町本邸(現在の「旧岩崎邸庭園」に残る洋館)、島津家袖ヶ崎邸(後の清泉女子大学本館)、古河虎之助邸(現在の「旧古河庭園」に残る洋館)、三井倶楽部など、コンドルが手がけた建物は数多いが、ニコライ堂もそのひとつに名を連ねている。

堂々とした建物は頂上までの高さが30mを超えるそうで、日本最大のビザンチン様式の建物だそうだ。ビザンチン様式はいわゆる東ローマ帝国の勢力下でコンスタンチノープルを中心に興った建築様式のことで、このようなキリスト教の教会建築の様式として発展した。ビザンチン様式の特徴である頂上部のドームがニコライ堂でも見ることができる。今では周囲に高いビルが林立し、その中に埋もれるようにして建つニコライ堂だが、その威厳に満ちた姿は他を圧倒する存在感を放っている。




紅梅坂

幽霊坂
ニコライ堂横(北側)の坂道には紅梅坂という名がある。その紅梅坂と相対する形で本郷通りの向かい側には幽霊坂という坂道が淡路町に下っている。容易に推測できるが、かつては紅梅坂と幽霊坂とは一続きの坂道で、1924年(大正13年)の区画整理の際に本郷通りができて二つの坂に分かれたという。幽霊坂と紅梅坂との一続きの坂は、江戸時代には埃坂(ごみざか)とか光感寺坂(こうかんじざか)などと呼ばれていたようだが、明治維新後、この辺りが紅梅町という町名であったために紅梅坂という坂名になったらしい。

幽霊坂という名には興味を覚えるところだが、樹木が鬱蒼と茂って昼でも薄暗くひっそりとした坂であったために幽霊坂という俗称が生まれたようだ。もちろん今ではその名の起こりとなった鬱蒼とした樹林はまったく残っていないが、ビルの林立する都会の真っ直中の坂道に、その名の由来となった風景を想像してみるのも楽しい。




聖橋
シンガー/ソングライターのさだまさしが1978年に発表したアルバム「私花集」に収録されていた「檸檬」という楽曲をご存じだろうか。男女の別れ、愛の終焉を描いた楽曲だが、梶井基次郎の短編小説「檸檬」をモチーフに作られた楽曲らしい。この楽曲の歌集中に「湯島聖堂」と「聖橋」が登場する。特に聖橋は曲想の重要なテーマの舞台として使われる。聖橋と湯島聖堂と訪れるときには、さだまさしの「檸檬」を一聴しておくと、また格別の味わいがあるだろう。
参考情報
湯島聖堂は入場無料、公開時間内なら自由に見学することができる。詳細は「史跡湯島聖堂」サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

ニコライ堂も敷地内への入場、外観の見学は自由だ。内部の拝観も可能だが、基本的に午後の時間帯に限られる。なお「拝観献金」を“聖堂の維持、修復のためにご協力お願いします”とのことだ。拝観時間の詳細は「日本正教会」サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通

聖橋はJR御茶ノ水駅のほぼ真上、湯島聖堂は聖橋の北東側、ニコライ堂は聖橋の南側に位置している。訪ねるならJR中央線御茶ノ水駅や東京都メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅、東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅などが近い。

車で来訪する場合には御茶ノ水駅周辺から東方の秋葉原駅周辺にかけて点在する民間駐車場がを利用すればいいが、車での来訪はあまりお薦めしない。

飲食

付近にはピクニック感覚でのんびりとお弁当を広げられる場所はなく、食事は街の飲食店を利用するのがいい。JR御茶ノ水駅の周辺には数多くの飲食店が点在している。秋葉原方面へと足を延ばしても数多くの飲食店がある。気に入ったお店を見つけて食事を楽しむといい。

周辺

湯島聖堂の北側には神田明神が建っている。併せて参拝してゆくのがお薦めだ。神田明神の西に隣接する宮本公園には昭和初期に建てられた材木商の店舗兼住宅の建物が移築復元されている。これも見ておきたい。さらに北へ辿れば湯島天神へも歩ける距離だ。東へ数百メートル行けば秋葉原の繁華街、あるいは西へ、これも数百メートル辿ると東京都水道歴史館があり、施設の屋上を利用して造られた本郷給水所公苑では初夏のバラが美しい。

聖橋
聖橋

聖橋

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