東京都北区西ヶ原に「旧古河庭園」という庭園がある。かつて古河財閥が所有していた庭園だという。洋風庭園と日本庭園とを併せ持ち、特に洋風庭園はバラの名所として名高い。バラの咲き誇る五月の半ば、旧古河庭園を訪ねた。
旧古河庭園
旧古河庭園は東京都北区の南端近く、豊島区に隣接した西ヶ原一丁目に位置している。武蔵野台地の斜面の立地という地形の特徴が巧みに利用された造りで、北側が高く、南側が低い、すなわち南向きの斜面であるため、庭園内は常に陽光に満ちている印象がある。北側の高所には瀟洒な洋館が建ち、その南側に階段状に造られた洋風庭園があり、さらにその南側の低地に木々に包まれて日本庭園が横たわる。
旧古河庭園
旧古河庭園
旧古河庭園の建つ場所は、明治初期の政治家、陸奥宗光の別邸があったところだという。その陸奥宗光の次男潤吉が古河財閥の創業者である古河市兵衛の養子となったことから古河家の所有となった。ちなみに潤吉は1903年(明治36年)に市兵衛が亡くなった後、古河家の二代目当主となり、1905年(明治38年)にはそれまでの個人事業経営を会社組織に改め、古河鉱業会社を設立、その社長に就任しているが、残念ながらその年の暮れに急逝している。ちなみに潤吉が社長に就任したとき、副社長を務めたのが、後に首相になる原敬である。潤吉の死後、跡を継いで三代目当主となったのは市兵衛が晩年にもうけた実子虎之助で、この虎之助の代の1917年(大正6年)、現在まで残る洋館と庭園が造られている。
旧古河庭園
その後、太平洋戦争中は陸軍に、戦後は連合軍に接収され、返還後は国の所有するところとなり、現在も所有権は国が有している。それを東京都が無償で借り受け、1956年(昭和31年)に都立公園として一般公開を始めたものだ(但し、洋館は財団法人大谷美術館の管理下にあり、内部の見学には事前の申し込みが必要という)。2006年(平成18年)には国の名勝の指定を受け、都内に残る名園のひとつとして、また洋風庭園はバラの名所として広く知られ、特にバラの花期には多くの来園者を迎えて賑わう。
旧古河庭園
旧古河庭園 旧古河庭園
旧古河庭園
旧古河庭園
洋館と洋風庭園はジョサイア・コンドル(Josiah Conder)の設計による。ジョサイア・コンドルは1852年、ロンドンに生まれ、ロンドン大学で建築を学んだ。1877年(明治10年)、24歳のときに工部大学校造家学科(後の東京大学工学部建築学科)の教師として来日している。いわゆる「お雇い外国人」だった。やがて1888年(明治21年)、独立して建築事務所を開設、数多くの作品を残している。ジョサイアの作品で特に有名なものは1883年(明治16年)竣工の鹿鳴館、1891年(明治24年)竣工のニコライ堂、1897年(明治27年)竣工の旧海軍省本館などだが、他にも政財界要人の邸宅を数多く手がけている。東京都台東区の都立公園「旧岩崎邸庭園」内に建つ洋館もジョサイアの設計によるものだ。ジョサイアが黎明期の日本建築界に果たした功績は計り知れない。特に人材育成に於ける貢献は大きく、辰野金吾や曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎、妻木頼黄といった著名な建築家がジョサイアのもとから巣立った。ジョサイアは1920年(大正9年)に東京で亡くなっている。67歳だった。旧古河庭園に残る洋館と庭園は1917年(大正6年)に竣工、ジョサイアの最晩年の作品である。

洋風庭園はイタリア式庭園とフランス式庭園の双方の特徴を上手く取り入れたものという。階段状に並ぶテラス庭園が幾何学的でシンメトリックな美しさを見せる。その洋風庭園を、初夏と秋にはバラが彩る。バラの名所として広く知られ、バラを目当てに訪れる人もたいへんに多い。バラの開花期には「バラフェスティバル」が開催され、いっそうの賑わいを見せる。バラ園としては規模の大きなものとは言えないが、バラの咲き誇る庭園はたいへんに美しく、特に洋館を背景にして見るときの景観はまるで一枚の絵画のようだ。バラの花そのものももちろん美しいが、「バラの咲く庭園」というものの景観美を堪能するのが旧古河庭園の愉しみ方の醍醐味と言っていいのではないかと思う。
旧古河庭園
旧古河庭園
旧古河庭園
南側の低地部分には木々に包まれて日本庭園が横たわる。この日本庭園は京都の著名な庭師、小川治兵衛による作庭という。小川治兵衛は通称を「植治(うえじ)」という。「植木屋の治兵衛(じへえ)」を縮めて呼んだものだろうか。「植治」は宝永年間(1700年代中頃)から続く植木屋、庭師で、その当主が代々「小川治兵衛」を名乗るのだという。旧古河庭園の日本庭園を作庭した「小川治兵衛」は七代目で、平安神宮や円山公園、西園寺公望邸(清風荘)、山県有朋邸(無鄰菴)などをはじめ、住友家、三井家、細川家、岩崎家などの庭園の作庭を手がけ、京都御苑、桂離宮、二条城、修学院離宮、清水寺、仁和寺、南禅寺などの復元修景も行い、近代日本庭園の先駆者として名を残している。「植治」は現在も続いており、現在(2008年5月)、第十一代目の「小川治兵衛」が活躍しておられる。

庭園は心字池を中心にした回遊式庭園で、緑濃くしっとりと落ち着いた佇まいは都心の庭園であることを忘れてしまうほどだ。池の周囲には大滝や枯滝を配した枯山水などが配され、それらを巡って歩けばさまざまに表情を変える日本庭園の魅力を存分に味わうことができる。池の岸辺に置かれた巨大な石灯籠も目を引く。それほど広大な庭園というわけではないが、それをうまく活かす作庭が行われているのだろう。細部に至るまで入念に仕立てられている様子が窺え、庭園というものにあまり詳しくない身でもその美しさに感動を覚える。のんびりと時間をかけて景観を楽しみたい庭園だ。
旧古河庭園
訪れた五月の半ば、バラの最盛期とあって来園者は多く、カメラを携えた人の姿も多かった。バラばかりが有名な旧古河庭園だが、早春の梅や秋の紅葉なども美しく、初夏には花菖蒲、初秋には彼岸花なども見ることができるようだ。冬には松の木に「雪吊り」も行われるという。四季折々の表情を訪ねてみたい庭園だ。
参考情報
本欄の内容は旧古河庭園関連ページ共通です
旧古河庭園は入園料が必要だ。またペット連れの入園はできない。その他の注意事項、入園料金や開園時間については東京都公園協会サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

また園内に建つ洋館は財団法人大谷美術館による管理が行われており、館内の見学には原則として往復葉書による事前申し込みが必要だ。2008年5月に訪れたときはバラの最盛期で来園者が多いことを考慮してか、当日受付の見学が可能なようだったが、例外的な措置なのだろう。

交通
旧古河庭園へはJR京浜東北線上中里駅や東京メトロ南北線西ヶ原駅、JR山手線駒込駅などが近い。JR京浜東北線上中里駅や東京メトロ南北線西ヶ原駅からなら徒歩で10分足らず、JR山手線駒込駅からでも本郷通りを歩いて15分ほどだ。庭園の駐車場は無く、民間の駐車場も付近には少ない。電車での来訪が便利だ。

飲食
園内にはお菓子やドリンク類を扱う売店があるのみで、レストランは無い。洋館一階には喫茶コーナーがあるが、メニューはドリンク類とケーキなどに限られ、食事はできない。園内にお弁当を持ち込むのはかまわないようだが、シートを敷くのは不可とのことで、ベンチを利用しなくてはならない。日本庭園西側の広場などにベンチが設けられているから、木々に包まれてのんびりとお弁当を広げるのもよいかもしれない。

旧古河庭園前の本郷通り沿いにはあまり飲食店が見当たらないようだが、道を挟んで向かいに建つ「滝の川会館」の地下にレストランがある。上中里駅周辺にもあまり飲食店はないが、駒込駅付近にはさまざまな飲食店がある。

周辺
旧古河庭園のすぐ南側には霜降銀座商店街がある。西へ辿ってゆくと染井銀座商店街へとつながっている。どちらも下町風情溢れる商店街だ。町散歩の好きな人は足を伸ばしてみるといい。

旧古河庭園から本郷通りを南へ20分ほど歩くと六義園だ。併せて訪ねてみるのがお薦めだ。旧古河庭園と六義園との双方に入園できる「園結びチケット」を購入すれば入園料が割安になる。

本郷通りを北へ歩くと数分で滝野川公園、15分ほど歩けば飛鳥山公園に着く。飛鳥山公園は歴史の古い公園で、明治期には実業家渋沢栄一が邸宅を構え、貴重な建物が一部残っている。さらに飛鳥山公園の周辺の音無親水公園赤レンガ酒造工場に立ち寄ってみるのも楽しい。飛鳥山公園も音無親水公園も桜の名所だ。桜の季節にはぜひ訪ねてみたい。桜の季節であれば、さらに石神井川河岸の桜並木へと散策の足を延ばすのもお勧めだ。
薔薇散歩
庭園散歩
東京23区散歩