日南線の旅〜駅の横側
飫肥駅
飫肥駅
飫肥駅はその名が示すように「九州の小京都」として知られる飫肥(おび)の町への玄関口だ。飫肥は1500年代の終わり頃から明治までの約280年間、飫肥藩伊東氏の城下町として栄えた。飫肥には今でも苔むした石垣などが当時のままに残り、大手門などの復元された建造物とともに往時の城下町の佇まいを偲ばせる。飫肥の町は南へ大きく蛇行する酒谷川に囲まれた平地に広がっており、飫肥の駅はその町からは川を隔てた東に位置している。地図を見ると、北郷と油津を結ぶ日南線の線路が飫肥へ立ち寄るために大きく迂回していることがよくわかる。

駅舎は飫肥城のイメージでデザインされた象徴的な意匠の建物だ。駅舎内の待合所には飫肥杉で造られたテーブルとベンチが置かれ、売店もあり、観光地の玄関口としてしっかりと機能している。飫肥駅は委託駅となっているために日南線には数少ない有人の駅のひとつで、事務室には駅員さんの姿がある。ホームの写真を撮るために入場券を買おうとしたのだが、列車の到着時間ではなかったためか、「写真を撮るだけならいいよ」と、そのまま入場させて頂いた。
飫肥駅
飫肥駅 飫肥駅
飫肥駅
駅前を抜ける道路は国道222号で、油津で国道220号から分かれて飫肥を経由して山間部を抜け、峠を越えて都城へと至る。飫肥の町飫肥城址へは、駅前から国道222号を左に向かって川を越えてゆかなくてはならない。バス路線もあるが歩いてもそれほどの距離はない。駅前広場の中央に置かれた像は飫肥に伝わる泰平踊を象ったものだ。駅前広場の傍らに国道222号を示す標識があり、その下に「飫肥停車場線」という名で県道445号を示す標識もあった。駅前のロータリーを構成する部分がこの県道なのだろうか。

駅の背後は住宅が並ぶ向こうに丘が横たわり、その一角には桜の名所として知られる竹香園がある。竹香園には飫肥出身の小村寿太郎の銅像がある。小村寿太郎は1901年(明治34年)に桂内閣の外務大臣に就任、1905年(明治38年)にはポーツマス市に於ける日露講和条約の全権大使を務めたことで知られている。竹香園の横手には日南高校があり、日南線を利用して通学する生徒たちが飫肥駅で乗り降りする。そのためもあってか、飫肥駅は日南線でも乗降客数の多い駅なのだという。

飫肥の町の中心から外れているために、周辺はのんびりと穏やかな印象で、山々に囲まれた古い町の駅としての落ち着いた佇まいが感じられる。上りの列車が行ったばかりで、次の列車が到着するにはまだ時間があるというのに、駅前ではタクシーが客待ちをしている。駅にはほとんど人の姿は無いが、運転手は気にするふうではない。少し曇りがちの夏の日の昼下がり、ゆったりとした時間が流れている。
飫肥駅 飫肥駅
INFORMATION
飫肥駅
【所】日南市大字星倉
【開】1941年(昭和16年)10月28日
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南線の旅」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2001年夏に撮影したものです。