|
ディーゼルエンジンを積んだ漁船が一般化したのは昭和初期だったらしいが、それまで日向灘沿岸の漁船として一般的なものは「チョロ船」と呼ばれる帆走木造和船だった。漁民たちは「チョロ船」を操って近海漁を営んでいた。油津の港もそうした素朴なものであったらしい。当時の「チョロ船」で現存するものは無く、油津の港に浮かぶ「チョロ船」の姿は写真に残るのみだったが、2001年(平成13年)に有志の手によって復元されている。かつて「チョロ船」造りに携わった経験を持つという古老の船大工などの協力を得て、およそ50年振りの復元であったという。
油津の港が漁港としての形を整えてゆくのは、1902年(明治35年)に制定された漁業法に基づき「油津漁業組合」が設立された頃からだったらしい。1917年(大正6年)には国内で初めて「漁港」の指定を受けたのだという。昭和に入るとクロマグロの水揚げが急増する。1931年(昭和6年)をピークに1941年(昭和16年)頃までマグロの豊漁は続く。世に言う「マグロ景気」である。油津港の岸壁にはマグロの水揚げのための漁船がひしめき、油津の町はこの上ない活況に沸いた。日本のマグロ相場は油津によって決まるとさえ言われ、「マグロ景気」は「油津」の名を全国に知らしめた。しかしやがて第二次世界大戦が始まると漁船の出漁もままならなくなり、漁獲量は激減、「マグロ景気」は終焉を迎えたのだった。
漁業は戦後再び活況を取り戻し、港の施設も整備が続けられたが、1970年代に入って「オイルショック」や二百海里問題といったさまざなな要因によって漁業は低迷の時代を迎えた。危機感をつのらせる地元漁協は水産振興といったソフト面から漁具や漁法の改良といったハード面までさまざまな努力を惜しまず、「マグロ油津」の復活を目指した。低迷を続ける漁獲量がようやく増加に転じる兆しが見え始めるのは時代が昭和から平成へと移ろうとする頃だった。今でも油津の漁業を支えるのはマグロ近海延縄漁とカツオ一本釣りだが、近年は漁獲量も比較的安定し、1993年(平成5年)には油津、鵜戸、大堂津の三漁協が合併して日南市漁業協同組合が発足し、新しい事務所が港の一角に完成、油津の漁業は新しい時代を迎えている。
現在でもなお、油津港は宮崎県南部の海の物流基地として役割を担い、大型船の着岸も可能な埠頭の工事をはじめとした整備が進められ、少しずつその姿を変えつつある。歴史遺産である堀川運河と一体化した親水空間としての整備も重要なものと認識されているようだ。2003年1月には客船「飛鳥」が初入港し、歓迎イベントなどが開催されて賑わったようだ。やがて物流や漁業のみならず、レジャーや観光の拠点としても、宮崎県南部への海の玄関口としても、油津港が新たな役割を果たす日が来ることになるに違いない。
|