佳景探訪
旧芝離宮恩賜庭園
東京都港区に江戸初期に造られた大名庭園が残っている。明治期には宮内省の芝離宮となり、大正末期に東京市に下賜されて一般公開が開始された庭園で、そこから旧芝離宮恩賜庭園と呼ばれる。晴天に恵まれた九月の半ば、旧芝離宮恩賜庭園を訪ねた。



旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園

旧芝離宮恩賜庭園
東京都港区の東部、JR浜松町駅のすぐ東側に旧芝離宮恩賜庭園は位置している。現在は西にJRの線路が南北に走り、東側には首都高環状線が通り、その間に挟まれた立地で、周辺には高層のビルが建ち並ぶ。

江戸時代初期の1678年(延宝6年)、埋め立て地だったこの地を老中大久保加賀守忠朝が徳川将軍家から拝領、屋敷を造り、作庭を始めた。庭は1686年(貞享3年)に完成、「楽寿園」と命名されたが、この楽寿園が旧芝離宮恩賜庭園の起源という。楽寿園は中央に池を置いて周囲に築山や枯滝などを配して小径を巡らせた、いわゆる「回遊式泉水庭園」の典型的なもので、江戸の湾岸という立地を活かし、池は海の水を引き入れた“潮入りの池”で、潮の満ち引きによって景観が変わり、築山の頂からは海を行き交う舟を眺望することもできるように考えられたものという。

大久保氏の後は所有者の変遷があったようだが、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となった。明治維新後は1871年(明治4年)に有栖川宮家の所有となったものを1875年(明治8年)に宮内省が買い上げ、翌年に芝離宮となった。芝離宮は1923年(大正12年)の関東大震災で甚大な被害を被り、翌1924年(大正13年)1月、皇太子(後の昭和天皇)のご成婚記念として東京市(現在の東京都)に下賜されている。現在の庭園の名「旧芝離宮恩賜庭園」の由来である。東京市は園地を復旧、整備を施し、一般公開されたのは同年4月のことだという。

現在の「旧芝離宮恩賜庭園」は総面積4.3haほど、その名に反して芝離宮当時の面影はあまり感じられず、築庭当時の姿を今に伝える大名庭園として整備されている。当然のことながら建物は一切残されておらず、わずかに芝離宮当時の洋館跡を示す遺構が残るのみだ。周囲は埋め立て地となり、かつての“潮入りの池”も今では海水を取り入れることはできず、淡水の池になってしまっており、海水取入口跡が遺構として保存されている。

庭園は「回遊式泉水庭園」の典型例と言えるもので、中心に池を置き、池には中島が浮かび、池の周囲には小径が巡り、築山があり、さまざまな樹木が巧みに配されている。小径を辿ってゆけば場所によって庭園はさまざまに表情を変え、その奥深い興趣は飽きることがない。中国西湖の景観を模して造られたという「西湖の堤」や茶室の柱に用いるために運ばれたという石柱、池の辺に悠然と立つ雪見灯籠など、園内には随所に見所が点在し、それぞれをじっくりと観賞してゆくと時の経つのを忘れる。根府川山やその麓に設けられた枯滝、中島など、根府川石を用いた勇壮な石組みも見所のひとつだ。これらの根府川石は大久保氏が藩地である小田原から運ばせたものらしい。

現在では庭園の周囲には高層のビルが林立し、園内のどこからでもそれらのビルが視界に入ってしまうが、現代的なビル群を背景に眺める庭園の姿や、池に映るビルの姿も、都会の真っ直中に残された庭園の興趣のひとつとして楽しめばよいのだろう。西の方角を見れば木立の向こうに東京タワーの姿も見える。江戸時代の面影を残す大名庭園と高層ビルと東京タワーがひとつの視界に収まってしまう景観は現代の東京を象徴するものと言っていいかもしれない。
離宮時代の洋館跡


旧芝離宮恩賜庭園/離宮時代の洋館跡
老朽化のために取り壊された浜離宮の延遼館に代わるものとして、1891年(明治24年)、芝離宮に木造二階建ての洋館が建てられた。離宮としても迎賓館としても使われた洋館だったが、1923年(大正12年)の関東大震災ですべて焼失、現在ではレンガ基礎の一部と装飾の施された大理石の一部が残るのみという。園内散策路脇に、その大理石が解説を添えて展示されている。
海水取入口跡


旧芝離宮恩賜庭園/海水取入口跡
庭園中央に置かれた池は、築庭当時は海水を取り込む“潮入りの池”だった。潮の満ち引きによって池の水位が変わり、その表情が劇的に変化したという。現在では周囲の埋め立てなどによって水路が断たれ、池に海水を導くことができなくなり、淡水の池になっている。庭園の隅には“潮入りの池”であったことを示す海水取入口の遺構がひっそりと残されている。石垣で造られた水路や鉄製の水門などを見ることができる。
石柱


旧芝離宮恩賜庭園/石柱
池の西側の岸辺に、印象的な姿で四本の石柱が立っている。まるで古代巨石文明の遺跡のようにも見えるが、大久保氏が屋敷を構えて築庭した当初に茶室の柱に使われていたものという。相模の戦国武将、松田憲秀の旧邸の門柱を運んできたものらしい。背景に見える高層ビルとの対比もおもしろい。
西湖の堤


旧芝離宮恩賜庭園/西湖の堤
中国杭州(現在の浙江省)に西湖という有名な景勝地がある。江戸時代の人たちはこの西湖に対する憧れがあったようで、泉水庭園に西湖を模した堤を造営した例が少なくない。旧芝離宮恩賜庭園に設けられた「西湖の堤」もそうしたもののひとつで、西湖の蘇堤を模して造られたものという。「西湖の堤」は池の西岸と中島とを繋いでおり、歩いて渡ることも可能だ。
藤棚


旧芝離宮恩賜庭園/藤棚
庭園入口近くには大きな藤棚がある。藤棚の下にはテーブル付きベンチが置かれ、ちょっとした休憩スペースになっている。この場所はかつて御殿があったところだそうだが、作庭当初から藤棚はあったという。かつて御殿のあった場所だからか、ここから見る庭園の表情はたいへんに美しい。藤棚そのものもなかなか大きい。花の頃の景観は見事なものだろう。


旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園は1979年(昭和54年)に国の名勝に指定された名園だ。回遊式泉水庭園として造られた大名庭園の中でも屈指の美しさを誇るものだろう。繊細な作庭に勇壮な石組みが組み合わされ、その景観は見事という他はない。春の桜やサツキ、夏の花菖蒲、秋の紅葉など、四季折々の花々も美しいという。季節毎の表情を求めて、何度も訪ねてみたくなる庭園である。
参考情報
本欄の内容は旧芝離宮恩賜庭園関連ページ共通です
旧芝離宮恩賜庭園は入園料が必要だ。ペット連れの入園はできない。その他、開園日、開園時間、注意事項については東京都公園協会サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通

旧芝離宮恩賜庭園はJR浜松町から至近で、北口へ出ると徒歩1分ほどで庭園入口に着く。都営地下鉄大江戸線大門駅や都営地下鉄浅草線大門駅からも徒歩5分ほどと近い。ゆりかもめ竹芝駅からも徒歩で10分足らずだ。

車で来訪する際には首都高環状線芝公園出口を利用するのが近い。旧芝離宮恩賜庭園の駐車場は用意されていないが、JR浜松町駅西側、国道15号線(第一京浜)沿いに大小の民間駐車場が点在している。

飲食

園内には食事の可能なレストランや茶店などはない。園内への飲食物の持ち込みは可能で、園内裏山横の芝生広場でのレジャーシートの利用が可能とのことだ。ブルーシートは利用不可で、園内裏山横の芝生広場以外の場所でのレジャーシート使用も禁止だ。園内随所に設置されたベンチを利用してお弁当を広げることもできる。またアルコール類の持ち込みは禁止、花見の時期の宴会も禁止だ。

園外に出ればJR浜松町駅周辺、地下鉄の大門駅周辺、ゆりかもめの竹芝駅周辺にかけて、ビルのテナントなどとしてさまざまな飲食店が点在しており、食事の場所を探すのにはまったく困らない。好みの店を見つけて食事を楽しむといい。

周辺

旧芝離宮恩賜庭園から西へ1kmほど行けば芝公園、東京タワーだ。北側は汐留が近い。浜離宮恩賜庭園旧新橋停車場などへ散策の足を延ばしてみるのがお勧めだ。東へ進めば竹芝桟橋、ひととき東京湾を眺めながら散策を楽しむのも悪くない。
旧芝離宮恩賜庭園

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