佳景探訪
飛鳥山公園
東京都北区の飛鳥山公園は桜の名所として知られている。園内には旧渋沢庭園を含み、博物館などもあり、紫陽花やツツジも見事で、王子駅に至近の公園として親しまれている。紫陽花が見頃を迎えた六月半ば、飛鳥山公園を訪ねた。



飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園

飛鳥山公園
東京都北区のほぼ中央、JR王子駅の西側に飛鳥山公園がある。“飛鳥山”という名が示すように小高い丘の上の立地だが、この丘は上野から日暮里、田端を経て続く丘陵地の一角を成している。“飛鳥山”の名は昔この地に飛鳥明神を祀った祠があったことに由来するらしい。

江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗が飛鳥山に桜や楓を植樹し、“行楽地”として整備し、庶民に開放した。桜の名所として知られるようになり、付近には茶屋などもできて繁華な佇まいを見せるようになったようだ。他では禁じられていた“酒宴”や“仮装(現在のいわゆる“コスプレ”といったところか)”も飛鳥山では許され、大勢の花見客で賑わったという。

1873年(明治6年)、太政官布達によって飛鳥山は“公園”に指定され、“飛鳥山公園”が誕生する。このとき、同じ太政官布達によって指定された“公園”には上野公園(寛永寺境内)、浅草公園(浅草寺境内)などがある。近代国家への脱却を目指す明治政府による都市計画事業のひとつだが、当時の日本にはまだ“公園”の概念は根ざしておらず、土地管理政策の一環として江戸時代から続く行楽地を“公園”と定めたという性格が強いようだ。日本に於ける近代的都市公園の誕生は1903年(明治36年)の日比谷公園開園まで待たなくてはならない。

1879年(明治12年)、実業家の渋沢栄一が飛鳥山の一角に邸宅を構える。1901年(明治34年)から1931年(昭和6年)に亡くなるまで、渋沢栄一はここで暮らしたという。現在の飛鳥山公園の南側一角に「旧渋沢庭園」として渋沢邸跡が残されており、建物二棟が国の重要文化財になっている。

1970年(昭和45年)には園内に回転式展望塔「スカイラウンジ」が誕生、「飛鳥山タワー」の名で親しまれ、利用客も多かったが、やがて周辺に高層の建造物が増えるとスカイラウンジからの展望は損なわれ、その存在意義を失ってしまった。1993年(平成5年)、惜しまれつつ営業を終了、解体されたという。

そうした変遷を経て、飛鳥山公園は今も変わらず緑濃い丘を成している。南側には旧渋沢庭園を置き、その西側に三つの博物館が建つ。中央部は遊具類を配した「児童エリア」で、その北西側に一段低くなって「多目的広場」が設けてられている。北側の一角は林地となっており、木々の間を縫って散策路が延びる。面積は公園全体で7haを少し超えるほどだが、駅から至近の市街地の中の公園としては充分に広く、人々の憩いの場として親しまれている。


飛鳥山公園/旧渋沢庭園晩香廬

飛鳥山公園/旧渋沢庭園晩香廬

飛鳥山公園/旧渋沢庭園晩香廬

飛鳥山公園/旧渋沢庭園晩香廬

飛鳥山公園/旧渋沢庭園青淵文庫

飛鳥山公園/旧渋沢庭園青淵文庫

飛鳥山公園/旧渋沢庭園青淵文庫
渋沢栄一は1840年(天保11年)、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)に生まれた。渋沢家は藍問屋業や養蚕業などを営む大農家だったという。20代を迎えた頃に江戸へ出るが、尊皇攘夷の思想に傾倒して倒幕の計画を立てたこともあったらしい。20代半ばの頃には一橋慶喜に仕え、慶喜が将軍になった後、27歳の頃、水戸藩主徳川昭武に随行してフランスの万国博覧会をはじめとしてヨーロッパ各国を訪れて先進諸国の実情を見聞している。明治維新の後は大蔵官僚として明治政府に仕えたが、1873年(明治6年)に大蔵省を退官、第一国立銀行の総監役、後には頭取に就任、実業家としての活動を始めている。その後、日本郵船会社や東京瓦斯会社(後の東京ガス)、帝国ホテル、帝国劇場、札幌麦酒会社(後のサッポロビール)、北越鉄道会社、東京電力会社など、500ほどにもなる企業の創立に関わり、株式会社制度の育成に努め、「日本資本主義の父」とも呼ばれている。また公益事業や民間外交にも尽力、これもまた数百に及ぶ教育機関や公共事業の設立や支援に携わった。私利より公益を優先した功績が認められてか、1920年(大正9年)には子爵の爵位を授けられている。1931年(昭和6年)、91歳の生涯を閉じている。

その渋沢栄一が1879年(明治12年)、この飛鳥山に邸宅を構えた。初めは別荘として使っていたが、1901年(明治34年)からは本邸として使用、1931年(昭和6年)に亡くなるまで、渋沢栄一はここで暮らした。当時は2.8haほどの敷地に和館と洋館を繋いだ母屋を中心にさまざまな建物が建っていたという。それらの建物のほとんどは残念ながら1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失、「晩香廬」と「青淵文庫」の二棟だけが現存している。その二つの建物を中心に旧渋沢邸の庭園部分を残した区画が、飛鳥山公園内に設けられた「旧渋沢庭園」である。

「晩香廬(ばんこうろ)」は1917年(大正6年)の竣工、渋沢栄一の喜寿を祝って合資会社清水組(現在の清水建設株式会社)の清水満之助が寄贈したものという。栗材を構造材に用いた洋風茶室で、内外の賓客の接待に用いられたという。木造瓦葺き平屋建て、淡いクリーム色の外壁や隅に用いられた茶褐色のタイルなどがシックで落ち着いた印象の建物だ。内部の調度品や暖炉などもなかなか凝った意匠のものであるという。「晩香廬(ばんこうろ)」の名は「バンガロー」の音に当てたものらしい。

「青淵文庫(せいえんぶんこ)」は1925年(大正14年)の竣工、渋沢栄一の米寿の祝いと男爵から子爵に昇爵した祝いを兼ねて門下生の団体である「竜門社」から寄贈されたものという。「文庫」が示すように渋沢栄一が収集した論語関連の書籍の収蔵と閲覧を目的としたものだったが、残念ながら関東大震災で焼失した書籍も多く、実際には賓客の接待などに使用されたという。鉄筋コンクリート・煉瓦造りの二階建て、伊豆産の白色安山岩を外壁に用いた建物は直線を基調にしたデザインで、ステンドグラスなどもたいへんに美しい。ちなみに「青淵」は渋沢栄一の雅号である。

「晩香廬」、「青淵文庫」の双方とも田辺淳吉による設計、清水組(現在の清水建設)の施工による。小規模な建物ながら大正期の名建築として2005年(平成17年)に国の重要文化財(建造物)の指定を受けている。明治大正期の建築に興味のある人には必見の建物だろう。双方の建物は財団法人渋沢栄一記念財団の管理下にあり、「渋沢史料館」の施設の一部を成している。「渋沢史料館」の本館は「旧渋沢庭園」の西側、公園通路を挟んで建っており、渋沢栄一関連の資料を収蔵展示している。渋沢栄一の功績の数々から日本の近代史を学んでみるのも楽しい。
飛鳥山3つの博物館


飛鳥山公園/飛鳥山3つの博物館
「渋沢史料館」の北側には隣接して二つの博物館が建っている。すぐ北側には「北区飛鳥山博物館」、さらにその北側に「紙の博物館」が建つ。「北区飛鳥山博物館」は北区と近隣地域の歴史、民俗資料を展示したもので、1998年(平成10年)に開館している。「紙の博物館」はそもそもは1950年(昭和25年)に旧王子製紙株式会社の収蔵資料を基に「財団法人製紙記念館」として発足したもので、1965年(昭和40年)に「財団法人紙の博物館」に改称、1997年(平成9年)に現在地に新館が完成して移転したものだ。「渋沢史料館」と「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」の三館はそれぞれ展示内容も運営主体も異なっているが、飛鳥山公園内に隣接して建っていることから「飛鳥山3つの博物館」として連携、合同の企画なども行っている。


飛鳥山公園/児童エリア

飛鳥山公園/児童エリア

飛鳥山公園/児童エリア飛鳥山公園/児童エリア

飛鳥山公園/児童エリア
飛鳥山公園の中央部を占めるのが「児童エリア」だ。広場の中に種々の遊具を配した子どもたちの遊び場だ。ブランコや鉄棒、砂場といった一般的な遊具はもちろん設置されているが、中央に置かれた“お城”の滑り台がひときわ目を引く。西洋のお城を思わせる意匠で造られた大型の遊具で、複数の滑り台を組み合わせ、裾の部分の斜面には石などを埋め込み、登って遊ぶことができるように工夫されている。頂上部分の“とんがり屋根”が可愛らしく、なかなか夢のある意匠だ。その他にも滑り台を背負った象や、小さな家のような遊具、さまざまな動物を象ったオブジェのような遊具など、楽しい意匠の遊具が多い。これらの遊具は少しばかりレトロな雰囲気も漂い、キッチュな味わいもあって見ているだけでも楽しい。

「児童エリア」のこれらの遊具施設は1965年(昭和40年)にアメリカのディズニーランドをイメージして造られたものらしく、完成したときには「リトル・ディズニーランド」などとも呼ばれたという。ということは、中央に置かれた“お城”はシンデレラ城を模したものか。公園散歩の趣味の人なら必見の遊具類である。

「児童エリア」の東端部分には「さくら亭」という名の甘味と軽食の店があり、その横手は展望デッキのように設えられている。そこからは公園東側を通る線路を見下ろし、東北新幹線や上越新幹線の車両も見ることができる。その向こうには街並みの中を抜けてゆく首都高速中央環状線の姿も見つけることができる。見えるのはもちろん都内の市街地だが、ひととき眺望を楽しむのもいいものだ。
D51853と都電6080


飛鳥山公園/D51853

飛鳥山公園/都電6080
「児童エリア」の西側の隅には蒸気機関車と都電の車両とが保存展示されている。蒸気機関車は「D51853」、D51型蒸気機関車の853号機である。1943年(昭和18年)に国鉄鷹取工場で製造されたものという。1972年(昭和47年)に廃車になるまで、1942471.3kmの距離を走ったそうだ。傍らには配属箇所や大きさ、性能などを記した案内板が設置されている。都電車両は「都電6080」、6000型と呼ばれる車両で、1949年(昭和24年)に製造されたものという。1971年(昭和46年)に荒川車庫の配属となり、1978年(昭和53年)まで飛鳥山公園の脇を通る荒川線を走っていたが、都電がワンマン化されたのを機会に交通局から北区が譲り受け、ここに設置したものという。

「児童エリア」に設置されていることからもわかるが、双方の車両とも子どもたちのための施設として使われており、自由に触れることができ、「都電6080」の内部にも入ることができる(夜間は閉鎖される)。「D51853」の案内板には「おねがい」として“機関車の高いところに上ったり下をくぐったり危険な遊びをしないこと”と記されているが、子どもたちが機関車に上ったり下をくぐったりしたくなる気持ちもわからないではない。二番目のお願いとして“機関車の部品や機械をこわさないこと”とも記されているが、これは心ない大人に向けた“おねがい”かもしれない。


飛鳥山公園/多目的広場
「児童エリア」の北西側には東側の丘からは一段下がって「多目的広場」が設けられている。平坦な中に噴水や野外ステージなどを設置した広場だが、すぐ西側が本郷通りと明治通りとの交差点で、都電荒川線も通っており、飛鳥山公園のメインエントランスのような位置づけかもしれない。広場の北側の隅に設けられた野外ステージは「飛鳥舞台」という名で、能舞台をイメージして造られたものらしい。申し込めば各種イベントに使用することができるようだ。


飛鳥山公園/樹林地
飛鳥山公園の北側、三分の一ほどの面積を占めて樹林地が広がる。“鬱蒼としている”というほどではないが、充分に木々が茂り、緑濃い佇まいだ。さまざまな樹木があるが、やはり桜が多く、“花見の名所”として名高いだけのことはある。木々の間を縫うように散策路が辿り、散策を楽しむ地元の人の姿も少なくない。北端部分は北に視界が開け、“飛鳥山”の名の通り、少し高みであるために北方に視界が開け、王子駅周辺の繁華街から王子神社周辺の街並みを見下ろしている。この山頂部分と丘の麓を繋いで、2009年(平成21年)7月から飛鳥山公園モノレール(愛称は「あすかパークレール」)の運行が開始されている。これによって高齢者や小さな子どもを連れた人でも王子駅から公園への行き来が便利になった。
飛鳥山碑


飛鳥山公園/飛鳥山碑
公園の樹林地の中、「児童エリア」に近い散策路脇に「飛鳥山碑」というものがある。飛鳥山公園はかつて江戸時代中期の1720年頃に八代将軍徳川吉宗が桜を植樹するなどして整備したわけだが、その功績を顕彰するため、幕府の儒臣成島道筑(なるしまどうちく)によって1737年(元文2年)に建てられたもので、東京都指定有形文化財(古文書)になっている。傍らには東京都教育委員会による解説板が設置されているが、それに依れば碑文は中国の五経のひとつ、尚書(しょうしょ)の文体を意識した格調高いものだそうだが、何しろ難解で、建立された当時から読める者はほとんどおらず、「飛鳥山何と読んだか拝むなり」という川柳が残っているそうだ。


飛鳥山公園/飛鳥の小径

飛鳥山公園/飛鳥の小径

飛鳥山公園/飛鳥の小径

飛鳥山公園/飛鳥の小径
飛鳥山公園は桜の名所として広く知られているが、都内の紫陽花の名所のひとつとしてもその名を連ねている。紫陽花は公園の東側、JRの線路沿いの「飛鳥の小径」と名付けられた小径脇に植えられている。「飛鳥の小径」は南北に350メートルほどの長さで延び、その西側の斜面に紫陽花が咲き誇る。その数、約1300株という。小径の東側はJRの線路で境界のフェンスが続いており、少しばかり風情に欠けるのが難点だが、それもひとつの興趣として楽しむのがよいかもしれない。

紫陽花は小径脇の斜面に植えられているために、ちょうど目の高さで至近距離で花を楽しむことができる。写真を撮るときにもクローズアップの写真が撮りやすい、というより、カメラのレンズを向ければクローズアップにならざるを得ない、というところだ。小径は狭く、逆方向に向かう人とすれ違うときにも気を遣うほどだ。写真の撮影に夢中になっていると他の人の通行を邪魔してしまいかねないので注意が必要だ。

「飛鳥の小径」では一般的なアジサイやガクアジサイの他、ウズアジサイなども見ることができるが、特に品種名を記したネームプレートなどは設置されていないようだ。1300株ほどという数は特筆するほど規模の大きなものではないが、300メートルを超える距離で紫陽花の花が続く光景というのはなかなか見事なものだ。“紫陽花の咲く風景”としては少しばかり物足りないが、紫陽花の花そのものは充分に堪能できる。紫陽花の花を楽しみながらのんびりと歩いてみるのがお勧めだ。


飛鳥山公園
飛鳥山公園は子どもたちのための遊び場としても、散策を楽しむにもいい。近隣の人たちが日常的に利用する公園としては充分なものだろう。遠方から訪れる人にとっては旧渋沢庭園や飛鳥山公園の由来そのものが魅力あるものかもしれない。園内に建つ博物館を見学するのも楽しい。桜の名所として有名な公園だが、「飛鳥の小径」の紫陽花も見事だ。ツツジも美しいという。さまざまな魅力を併せ持った、素敵な公園だ。
参考情報
本欄の内容は飛鳥山公園関連ページ共通です
「渋沢史料館」と「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」はそれぞれに入館料が必要だが、三館共通券も販売されており、共通券を購入すれば別々に購入するより割安になる。詳細は「飛鳥山3つの博物館」サイト(「関連する関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

「旧渋沢庭園」は入場料は必要ないが、開園時間が決まっており、夜間は閉鎖される。また庭園内に建つ「晩香廬」と「青淵文庫」は、普段は外観を見学できるだけだが、毎週土曜日の午後には一般公開されるようだ。詳細は「財団法人渋沢栄一記念財団」サイト(「関連する関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)内の「渋沢資料館」を参照されたい。

交通

飛鳥山公園はJR京浜東北線王子駅から至近だ。JR王子駅の西に隣接していると言っていい。JR王子駅のすぐ北側には東京メトロ南北線の王子駅があり、もちろんこちらからも近い。また都電荒川線が飛鳥山公園の北側を回り込むように走っており、JR王子駅横の王子駅前停留場や飛鳥山公園西側の飛鳥山停留場などが近い。

公園の西側を通る本郷通り沿いに有料の公園駐車場が設けられているが、大型車両用スペースが4台分、普通車用スペースが20台分ほどであまり余裕がない。王子駅周辺や明治通り沿い、本郷通り沿いに民間駐車場が点在しているが、こちらもそれほど多いわけではない。桜のシーズンなどには車での来訪は敬遠した方が賢明だろう。

飲食

公園中央部の「児童エリア」の線路側に「さくら亭」という名の軽食と甘味の店がある。北区飛鳥山博物館内にも軽食喫茶の店がある。あくまで“軽食も可能”という程度だ。

シートを持参していれば公園内に場所を見つけてアウトドアランチを楽しむことは可能だが、飛鳥山公園には芝生広場のようなスペースは無く、ピクニック気分でお弁当を広げるには少しばかり不向きかもしれない。なお「旧渋沢庭園」エリア内は飲食禁止となっている。

王子駅周辺へ行けば飲食店は多く、食事の場所には困らない。ただし桜の季節の休日には公園と周辺はたいへんな人出で賑わい、食事の場所にも困ってしまいかねない。余裕を持って出かけた方がいい。

周辺

飛鳥山公園のすぐ北側には明治通りを挟んで音無親水公園がある。春は桜、夏は水遊びで賑わう公園だ。その北に隣接する王子神社へも足を延ばしておきたい。さらにそこから北へ数百メートル進むと名主の滝公園という公園がある。かつて王子村の名主だった畑野家の屋敷があったところという。

飛鳥山公園の西側、滝野川二丁目には「赤レンガ酒造工場」がある。建築に興味のある人は訪ねてみるといい。

本郷通りを南へ下ると数百メートルほどで滝野川公園、さらに進めば旧古河庭園だ。少し距離があるが、併せて訪ねてみるのもいい。町歩きの好きな人なら旧古河庭園南側の霜降銀座商店街もお勧めだ。

桜の季節であれば石神井川を上流側へと辿ってみるのもお勧めだ。石神井川河畔に桜が植栽され、美しい景観を見せてくれる。特に板橋区に入ると見事な桜並木が続く。少し距離があるが、花見散歩のコースとしてお勧めだ。
飛鳥山公園東側

都電荒川線

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