佳景探訪
嵐山渓谷
埼玉県嵐山町の南西部に「嵐山渓谷」という景勝地がある。槻川の流れが大きく蛇行を描き、緑の山々の中に美しい景観を見せる。嵐山町の名の由来にもなった渓谷だ。新緑の五月、嵐山渓谷を訪ねた。



嵐山渓谷

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嵐山渓谷

嵐山渓谷
埼玉県の嵐山町は南北に長い。その南側、町域を東西に貫いて槻川という河川が流れている。槻川は嵐山町で都幾川に合流、さらに東へと流れてゆく。東秩父村の堂平山付近に源を発する槻川は東秩父村から小川町へと流れ、やがて嵐山町へと至る。嵐山町へと達する辺りで、槻川は大きく蛇行を描く。嵐山町の遠山地区へ西から流れてきた槻川は大きく屈曲して南へ流れを変え、1kmほど流れて今度は180度、流れの向きを変えて北へ流れ、500mほど流れて再び屈曲、東へ向かう。この特徴的な地形を形作る辺りが「嵐山渓谷」である。

1928年(昭和3年)、日本初の林学博士であり、後に「公園の父」とも呼ばれた本多静六博士がこの地を訪れ、現在の「嵐山渓谷」の調査を行った(ちなみに、本多静六博士は現在の埼玉県久喜市菖蒲町の生まれである)。その時、渓谷下流部に架かる槻川橋からの美しい景観に感銘を受け、京都の嵐山(あらしやま)によく似ているというので、「武蔵国の嵐山だ」として「武蔵嵐山」の名が生まれたのだという。現在の嵐山(らんざん)町は1955年(昭和30年)に菅谷村と七郷村が合併して発足した菅谷村が1967年(昭和42年)に町制を施行して嵐山町となったものだが、この町名の由来となったのが、他ならぬ「武蔵嵐山」である。

本多静六博士も認めた景勝ということで、「武蔵嵐山」はたいへんな評判となり、その景色を見ようと多くの人々が詰めかけたという。渓谷近くには「松月楼」という料理旅館が建ち、最盛期には年間百万人が訪れて大いに賑わった。東武鉄道も「東日本新名勝」として紹介し、200名以上が利用する場合には臨時列車も走らせていたという。駅から「武蔵嵐山」の渓谷へと、観光客の長い列ができたほどだとというのだから驚く。現在の東武東上線武蔵嵐山駅は、そもそもは菅谷村の中心部にあった駅だということから菅谷駅という名だったが、「武蔵嵐山」の最寄り駅ということで1935年(昭和10年)には武蔵嵐山駅に改称されている。

戦後、世の中は戦後復興から高度経済成長へと進み、戦前に賑わった景勝地は忘れられてしまったかのように、「武蔵嵐山」への観光客の足も戻ることはなかった。「松月楼」も本格的に営業再開されることもなく、経営者が変わって「一平荘」として営業されていたらしいが、それも昭和30年代頃までだったようだ。

現在、「嵐山渓谷」と周辺の樹林地は「緑のトラスト保全第三号地」として保全されている。さいたま緑のトラスト基金と嵐山町が1997年(平成9年)に一帯の土地を買収、13.5ha余りの面積が「武蔵嵐山渓谷周辺樹林地」として1998年(平成10年)に「さいたま緑のトラスト保全第三号地」の指定を受け、現在に至っている。

槻川の流れが180度に向きを変えて流れる地形によって生じた“半島”のような部分は「細原」と呼ばれる。細原の“付け根”に当たる辺りは行楽地としての嵐山渓谷の中心というべきところだ。ちょっとした広場になっており、トイレや展望台が設けられている。ここに、かつては「松月楼」が建っていた。

この広場から槻川上流側へも下流側へも遊歩道が延び、さらに細原の“先端部”や西側の河岸部へも遊歩道が延びる。いわば遊歩道の“交差点”、あるいは遊歩道の“ハブ”のような役割を果たしている。ここからそれぞれの遊歩道に足を延ばせば、それぞれに美しい嵐山渓谷の景観を楽しむことができる。時間が許せばすべての遊歩道を歩いてみるのがお勧めだ。嵐山渓谷の魅力をすみずみまで堪能することができるだろう。

広場の一角に「嵐山町名発祥之地」碑が建っている。碑は「さいたま緑のトラスト保全第三号地」の指定を受けたのを機会に、1999年(平成11年)に建立されたものだ。碑には「武蔵嵐山渓谷 嵐山町名発祥之地」の名と、建立当時の嵐山町長である関根昭二氏の名が刻まれている。碑の裏には「武蔵嵐山」の名が生まれた本多静六博士のエピソードが記されている。訪れたときにはぜひ見ておきたい。

本多静六博士が「武蔵国の嵐山」と評した嵐山渓谷は、今も変わらず美しい景勝地だ。戦前の賑わいには及ばないにしても、行楽シーズンになれば多くの人たちが豊かな自然を求めて訪れる。槻川の流れが作り出す渓谷美は、やはり初夏から夏にかけて涼を求めて訪れるのがお勧めか。晩秋には美しい紅葉に染まり、紅葉の名所として知られる。紅葉が美しいということは春の新緑も美しいということだ。春の芽吹きの頃の嵐山渓谷は溢れるような新緑が見事だ。素晴らしい景勝地である。
冠水橋周辺
「嵐山町名発祥之地」碑のある広場から東へ、槻川下流側へと遊歩道を少し進むと槻川の河原へと降りてゆく遊歩道がある。降りていった先で「塩沢冠水橋」が槻川を跨いでいる。素朴な形状の冠水橋が緑濃い風景に溶け合って風趣に富んだ景観を見せる。この冠水橋の姿が嵐山渓谷の象徴的風景のひとつと言っていい。橋の下に川遊びを楽しむ親子連れの姿があったりするのも素敵な光景だ。

冠水橋の上流側、槻川の蛇行によって小さな河原が生じており、そこでは川遊びやバーベキューを楽しむ家族連れの姿が少なくない。家族や友人同士のグループで川遊びなどを目的に嵐山渓谷を訪れるなら、この付近が目的地になるだろう。槻川の流れは穏やかで、両岸には鬱蒼と緑の木々が茂っている。素敵な休日が過ごせるに違いない。
嵐山渓谷

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細原
「嵐山町名発祥之地」碑のある広場から南へ、すなわち「細原」の“先端部”へ向かって遊歩道が延びている。遊歩道は樹林の中を抜けてゆく。五月初旬、樹林は輝くような新緑に萌え、ところどころでヤマツツジが咲いている。

遊歩道の途中に、与謝野晶子の歌碑がある。1939年(昭和14年)6月、多くの行楽客で賑わう嵐山渓谷を与謝野晶子が訪れている。当時、61歳、娘の藤子さんと共に松月楼を訪れ、嵐山渓谷の自然などをテーマに「比企の溪(ひきのたに)」29首を詠んだ。この歌碑は藤子さんのご協力のもと、1998年(平成10年)に建てられたものという。歌碑には「比企の溪」の中から「槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち並びたる 山のしののめ」が刻まれている。

与謝野晶子の歌碑を過ぎてさらに進むと、ぽっかりと木々に包まれた原っぱのような場所がある。この辺りが細原の最先端部である。木々の間を抜けて河原に降りてゆくこともできる。この辺りには訪れる人の姿も少なく、ひっそりと静かな時間が流れている。岩畳と小さな河原との間を流れる槻川は、その静かな水面に河岸の木々を映している。日々の喧噪から遙かに離れた別世界である。
嵐山渓谷

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北西側の樹林地
展望台のある広場から北西側へと遊歩道が辿っている。遊歩道は樹林地の中を縫うように延びている。樹林地にはさまざまな樹木が茂り、一面の緑に包まれる。カエデの木も多く、秋は見事な紅葉に染まるが、春から初夏の新緑も素晴らしい。木漏れ日の揺れる中をのんびりと歩くのは心安らぐひとときだ。

遊歩道を進んでゆくと、やがて槻川の河岸部へと降りてゆくことができる。この辺りでは槻川が町境になっており、対岸はときがわ町である。新緑に包まれた槻川の流れはたいへんに美しい。河原の巨岩は増水時に上流側から流されてきたものか。野趣溢れる景観である。

嵐山渓谷

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谷川橋付近
嵐山渓谷の上流部、槻川が細原の西側へ沿うように大きく屈曲する辺り(ちょうど観光用駐車場が設けられている辺り)、細原へ向かう遊歩道とは別に槻川の川面近くへと降りる小径がある。降りた先はまさに渓流の景観である。右岸側には小さな河原があるが、他は“岩畳”となった堅い岩盤の河床が広く現れている。

この地域は結晶片岩と呼ばれる堅い岩石によって形作られた地形だ。結晶片岩は変成岩の一種で、板状に剥離する性質があり、石碑や墓石に利用されることも多い。河川の浸食などによって河床に現れた結晶片岩の地層はその性質から平らな面状になる。これが、いわゆる“岩畳”である。嵐山渓谷の槻川の河床にもこの“岩畳”があり、いかにも結晶片岩らしい地形を見ることができるのだ。そうしたものに興味のある人なら必見の地形だろう。

この辺りにも川遊びの人たちの姿がある。上流側に架かる谷川橋が風景のアクセントになり、なかなか素敵な光景である。
嵐山渓谷

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大平山

大平山

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大平山

大平山

大平山

大平山

大平山
嵐山渓谷の北東側には小高い山が横たわっている。大平山である。大平山は標高178.9m、現地に設置された「大平山と雷電神社」と題された案内板には「嵐山町の最高地点」と記されている。実際には嵐山町遠山地区の北側、小川町との町境には標高200m超の山があるので、そうした“町境の山を除けば”という意味なのだろう。

大平山山頂へ上るルートは複数あるが、嵐山渓谷展望所の横手からも“登山”ルートのひとつである遊歩道が登っている。“登山”とは言っても山頂の標高は約179m、嵐山渓谷展望所からの標高差は100mと少しである。ちょっとした丘へ登る感覚で気軽に山頂を目指せる。所要時間も10分ほどだろうか。

五月の初旬、大平山への“登山路”はヤマツツジに彩られている。新緑の中にヤマツツジが織り成す色彩が鮮やかだ。登ってゆくと、ほどなく視界の開けた尾根の上に出る。尾根の上からは南東の方角へ眺望が開けている。眼下に見えるのは嵐山町南部の田園風景だ。緑濃く連なる丘陵群の向こうに遠く霞んで見えるのは川越市方面からさいたま市方面の市街地か。爽快な眺望である。その眺望をゆっくりと楽しめるようにか、尾根にはベンチが並び、四阿も設けられている。

四阿脇からさらに尾根道を北へ進むとすぐに大平山山頂だ。山頂はちょっとした広場になっている。周囲に木々が茂って眺望を楽しむことができないのが残念だ。山頂の一角には雷電神社が祀られている。農業には水の恵みが必要不可欠、その水の恵みを願って神を祀ったのが雷電神社である。最も“天に近い場所”に社を祀って、神に降雨を願ったのだろう。雨が望まれるときには今も雨乞いの神事が執り行われるそうである。

山頂からそのまま北へ辿れば大平山北側を通る遠山道に降りてゆくことができる。東へ降りれば春日神社裏手へと道が辿っている。四阿横まで戻って、「山の神」の横を抜けて東へ降りるのが、槻川河岸へ戻るには最も近い。道は木々が取り払われた明るい斜面の横を降りてゆく。その途中、脇へ逸れて「山の神」だ。石組の簡素な社がいかにも「山の神」である。山を歩かせていただいた感謝を込めて、「山の神」に手を合わせておきたい。

大平山はどのルートから登っても“登山口”との標高差は100m前後、険しい山道もなく、比較的簡単に山頂へ達することができる。登山というより、ちょっとした丘陵散歩の感覚だと言っていい。嵐山渓谷を訪ねたときには、ぜひ併せて登っておきたい。四阿付近からの眺望は素晴らしく、その眺望のためだけに登っても後悔しないだろう。
参考情報
交通

嵐山渓谷の最寄り駅は東武東上線武蔵嵐山駅だが、駅から最短距離を通っても約3kmの距離がある。駐車場が設けられているので車の利用が便利だ。

来訪者用の観光駐車場が渓谷の上流側(北側)に設けられている。数十台の駐車が可能と思われる。

嵐山渓谷観光駐車場へは、嵐山町の市街地方面からなら国道254号の「消防分署入口」交差点から南西側へ折れ、道なりに進んで3kmほどで着く。ときがわ町方面からなら県道173号を北上し、嵐山町との市境を越える直前の交差点を左折、道なりに2kmほど進んで槻川を渡った右側だ。

遠方から訪れる場合は関越自動車道の東松山ICや嵐山小川ICがを利用すると近い。

飲食

嵐山渓谷の周辺には飲食店もコンビニエンスストアもない。お弁当を持参し、ピクニック感覚で訪れるのがお勧めだ。レジャーシートも忘れずに持って行こう。

周辺

塩沢冠水橋から1kmほど下流側、嵐山渓谷の最下流部に当たる辺りには槻川の河原を利用して嵐山渓谷バーベキュー場が設けられている。その数百メートル下流側で槻川が都幾川に合流点する。合流点を中心に都幾川右岸に桜並木が続く。「都幾川桜堤」として知られる桜の名所だ。春には訪ねてみるといい。北側の河岸には「蝶の里公園」もある。

谷川橋の1kmほど上流側、嵐山渓谷の最上流部には遠山甌穴がある。遠山甌穴にも観光駐車場が設けられているから、併せて訪ねてみるのもお勧めだ。

さらに槻川を遡るように北西へと辿れば小川町の中心市街、4kmほどで「道の駅おがわまち」に着く。町歩きの好きな人なら小川町の中心部で町散歩を楽しむのもいい。
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