日南海岸風景
大堂津
大堂津
日南市の南東部、大堂津という町がある。JR日南線に「大堂津」の駅があるから地元の人でなくてもその名を知っている人は少なくないに違いない。「大堂津」は「おおどうつ」と読むが、地元では短く「おおどつ」などと言ったりもする。なかなか風雅な名だが、古い時代に大きなお堂があったことに由来する地名であるようだ。「津」は船着き場のある海岸、すなわち「湊(みなと)」を意味する言葉だから、「大きなお堂のある湊」といった意味なのだろう。名の由来となった「大堂」は残されておらず、どこにあったのかもよくわからない。

地図を見るとわかるが、大堂津は海と細田川とに挟まれて細長く北から南へ延びた形状をしている。この細長い部分に大堂津の町並みが横たわり、その中を国道220号とJR日南線が併走するように抜けている。大堂津の町の北側と細田川の西側から南側にかけては小高い山々の連なる丘陵地帯だが、大堂津の町は平坦な地形を成している。そうしたことを考え合わせれば容易に推察できることだが、今は大堂津の町の南側で海に注ぐ細田川の河口は太古の時代にはもっと北にあり、その洪積作用によって北から南へ向けて砂州が生じ、その砂州が長い年月をかけて伸び、現在のような地形になったものだろう。その砂州の上に現在の大堂津の町が形成されたというわけなのだろう。

大堂津の町は、現在の行政上の街区表示では「大堂津○丁目」となっているが、以前は「日南市大字下方」の一部で、その中に「浜ノ町」や「汐入」、「旭町」、「住吉」などといった小字があり、「大堂津」は地域全体を指す通称でしかなかった。だから大堂津に住む友人に年賀状を出すときなどには「日南市大字下方汐入」などと住所を記さなくてはいけないわけだが、「日南市大堂津町汐入」でも無事に届いたものだった。住所表記の改訂によって「大堂津」の名が行政上の住所表記の中に含まれるようになったが、そのことによって興趣のある小字名が忘れられてゆくのは少し寂しい気がしないでもない。
大堂津
大堂津 大堂津
大堂津
大堂津 大堂津
-
大堂津の町は基本的には漁港を抱える漁業の町で、漁業や水産加工業に携わる人が少なくない。大堂津の町を歩いているとどこからともなく干物の匂いや”てんぷら(魚のすり身を固めて油で揚げる、いわゆる「さつま揚げ」のような食品を地元では単に「てんぷら」と呼ぶ)”の匂いが漂ってきたものだが、最近では往時ほど盛んではないようにも思える。焼酎や醤油の醸造元も多く、中にはテレビ番組で紹介されるような有名な醸造元もある。

JR日南線の大堂津駅は大堂津の町のかなり北寄りに位置し、駅前から県道443号が西へ延びている。大堂津駅前の国道220号と県道443号とが丁字路を成す交差点の西側に広がる一帯が大堂津の町の中心と言っていい。現在ではかなり寂れてしまった印象が強いが、昭和40年代頃まで、大堂津はかなり繁華な町だった。1955年(昭和30年)に日南市に編入されるまで、大堂津は南那珂郡細田町に属し、細田町の商業の中心として栄えたのだ。町中には書店や衣料品店、雑貨店などが軒を並べた商店街もあり、賑やかに人々が行き交っていたものだ。一時期は町の一角に小さいながらもスーパーが出店していたが、やがて撤退し、今はない。昔に比べればすっかり商店の数は減ってしまい、かつての賑やかさも失われてしまったが、今も人々の暮らしの息づく町の中に往時の賑わいの面影を探すのは難しいことではない。
大堂津
大堂津
大堂津
-
大堂津の町は南北に細長く延び、東は海だ。海岸は浜辺で、大堂津海水浴場という海水浴場になっている。地元の人は単に「浜」と呼ぶ。海水浴場の北側には大堂津港があり、その北側には猪崎鼻が海に張り出している。海水浴場の南側には細田川の河口があり、河口の南側は目井津の町だ。目井津はかつては南那珂郡南郷町に属していたが、2009年に南郷町と日南市が合併し、現在は日南市南郷町に属している。もっとも合併以前から目井津と大堂津は同じ生活圏に属し、人々の行き来は多かった。

大堂津の町の西側には細田川が流れている。河口部に近いために潮の干満の影響を大きく受け、干潮時には干潟が現れる。地元では「潟(がた)」と呼ぶ。ちなみに以前の住所表記では大堂津は「日南市大字下方(しもかた)」の一部だった(「下方」の住所表示は現在も存在する)と前述したが、「下方」のさらに西側の地域に「上方(かみかた)」という字名が存在する。この「下方」と「上方」、古事を知る人の話に伝え聞いたところによれば、そもそもは「下潟」、「上潟」だったそうだ(上方地区の細田川河畔に建つ上方神社の御由緒書には確かに「上潟神社」の文字を見ることができる)。「下方」地区から「上方」地区までを含む細田川流域の水田地帯が、古い時代には広大な「潟」を成していたのかもしれない。

「潟」と大堂津の町との間には堤防が築かれており、堤防道を歩けば視界が開け、川向こうには緑の山々が連なって美しい風景を見せてくれる。「潟」の岸辺に小さな漁船が繋がれていたりするのも良い風情だ。「潟」の堤防道はなかなか素敵な散歩道なのだ。県道448号が「潟」を跨ぐ「大堂津大橋」の近く、「潟」の干潟にハマボウが自生しており、夏の初めに可憐な黄色い花を咲かせる。ハマボウはこうした干潟を好む樹木で、毎年梅雨が明ける頃から花を咲かせ始める。地元のニュースで取り上げられることもある、大堂津の”名物”のひとつだ。

「浜」と「潟」の間は、狭いところでは200メートルほどしかない。「浜」側には砂浜と松林が連なっているから、実際に家々が建っている区域の幅は百数十メートルほどだ。「浜」と「潟」に挟まれて、幅は200メートルほど、南北の長さは2kmほどで広がる町が大堂津だ。「浜(はま)」と「潟(がた)」は大堂津の町の暮らしに寄り添い、切り離すことができない。
大堂津
大堂津
-
大堂津の町から細田川を挟んだ西側、すなわち「潟(がた)」の向こう側は「塩鶴(しおづる)」と呼ばれる地区だ。塩鶴地区は東側に細田川が流れ、西側には小高い山が連なり、その間のわずかな平地に家々が点在して集落を成している。大堂津の町のやや南寄り、大堂津四丁目と大堂津五丁目の境の辺りに細田川を跨いで塩鶴橋が架けられ、大堂津の町と塩鶴地区とを繋いでいる。大堂津の町から塩鶴橋を渡ったところの橋の袂にひっそりと小さな石碑が建っている。石碑には「開田碑」とある。石碑に刻まれた碑文には、この地区では昔、製塩業が行われていたが、明治末期の専売法施行に伴い、大正から昭和初期にかけて開田が行われたとの旨が記されている。この碑文には「塩鶴」ではなく「塩田地区」と記されているから、昔の地名は「塩田」だったのだろうか。製塩業が行われていたことに由来する地名だろう。少なくとも昭和40年代頃まで、この地区の片隅には製塩業に用いられた施設の一部が残っていたが、それもすでに無く、この石碑だけが古い時代の風景を伝えている。
大堂津 大堂津
大堂津
-
大堂津の町には特に観光名所と呼べるような施設はない。大堂津海水浴場は県内の海水浴場のひとつとして名を連ねているが、猪崎鼻が観光地として紹介されることは少ない。町の中にも史跡のようなものはなく、宮崎観光に訪れた人たちにとってはあまり魅力的なところではないかもしれない。しかしかつて地域の中心として賑わった町の名残のように古い建物の残る大堂津の町は、その佇まいそのものがひとつの魅力と言っていい。町歩きの好きな人ならきっと楽しめるだろう。
大堂津
INFORMATION
大堂津
【所】日南市大堂津
【問】日南市観光協会
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。2010年6月に新規追加しました。
ページ内の写真は2007年夏、2008年夏、2010年夏に撮影したものです。