幻想音楽夜話
Char
1.Shinin' You, Shinin' Day
2.かげろう
3.It's Up To You
4.視線
5.Navy Blue
6.Smoky
7.I've Tried
8.空模様のかげんが悪くなる前に
9.朝

Hisato Char Takenaka : guitar and voice.
Jerry Margosian : keyboard and voice.
Jun Sato : keyboard and background voice.
Robert Brill : drums and background voice.
George Mastich : bass and background voice.

Produced by Satoru Hagiwara.
1976.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1973年から1975年にかけての頃、イギリスやアメリカのロック・ミュージックに慣れ親しんだロック・ファンの耳にも充分に応えてくれそうな日本のバンドが少しずつシーンに登場した。1972年にサディスティック・ミカ・バンドが、1973年にコスモス・ファクトリーが、1974年には四人囃子、1975年になるとクリエイションやカルメン・マキ&OZなどがデビュー・アルバムを発表する。それらのバンドは英米のロックの模倣にとどまらない独自の音楽性を確立しており、日本のロック・シーンもいよいよ新たな時代を迎えたようにも思われた。そのような中、確固たる人気と評価を獲得しながらもいっこうにレコード・デビューに至らないバンドがあった。スモーキー・メディスンである。

 レコードが発売されていないにも関わらず、スモーキー・メディスンは音楽メディアで取り上げられる機会も多く、すでに当時の日本ロック・シーンの頂点の一角に位置していたといっても過言ではない。スモーキー・メディスンはあまりオリジナル曲は無く、カヴァー演奏が主体だったというが、その演奏と歌唱の圧倒的な力量によって人気と評価を勝ち得ていたのだろう。特に、ギタリストのチャーの人気が凄かった。クリエイションの竹田和夫、四人囃子の森園勝敏と共に、「日本の三大ロック・ギタリスト」などと呼ばれたのもこの頃だった。ヴォーカリストだった金子マリの人気もまた想像以上のものだった。「下北沢のジャニス」などと呼ばれ、当時の日本ロック・シーンで比類無き女性ヴォーカリストとしての地位を確立していたと言ってもいい。

 チャー、金子マリ、鳴瀬喜博、佐藤準、藤井章司という、今から考えれば驚くべき錚々たるメンバーを擁したスモーキー・メディスンは、しかし結局レコード・デビューには至らなかった。1972年に結成されたというスモーキー・メディスンは、1974年には解散、そのまま日本ロック黎明期の「伝説」となってしまった。そのスモーキー・メディスンが2002年春に四人囃子と共に復活コンサートを行ったことはファンにとっては記憶に新しい。この時は佐藤準が不参加だったために「スモーキー・メディスン」ならぬ「スモーキー・メディスソ」というバンド名だったが。

節区切

 お恥ずかしい話だが、実は「スモーキー・メディスン」の演奏というものを耳にしたことがない。1970年代初期当時、地方に暮らす身であったために東京近郊で活動するバンドの生演奏に触れる機会はなかった。レコード・デビューすることもなく解散したスモーキー・メディスンの演奏はついに耳にする機会に恵まれず、そのまま個人的にも「伝説」のバンドとなってしまった。

 だからチャーというギタリストについても、実際にその演奏を聴く機会もないままに想像だけが膨らんだ。スモーキー・メディスンが解散して後、「ギタリストのチャーが渡米してバンドのメンバーを探し、いよいよレコード・デビューする」というニュースを耳にした時、未だ聴いたことのないその音楽に大いに期待したものだった。

 チャーのギター・プレイを初めて耳にする機会は、しかし意外な形で訪れた。頭脳警察解散後のパンタのソロ・デビュー・アルバム「PANTAX'S WORLD」にチャーが客演していたのだ。「PANTAX'S WORLD」は1976年の春に発表、チャーのソロ・デビュー直前の時期だった。「PANTAX'S WORLD」はさまざまなミュージシャンが客演しており、セッション的な性格も濃いアルバムだが、その中の二曲にチャーが参加していた。「屋根の上の猫」と「三文役者」である。アルバム「PANTAX'S WORLD」については別頁に譲るが、この二曲に関して言えば痛快なハード・ロックだったと言ってよいだろう。壮絶なチャーの演奏を初めて耳にした印象は衝撃的の一語に尽きた。チャーのソロ・デビューに対する期待はさらに増した。

節区切

 チャーのソロ・デビュー・アルバムに先行するシングル「ネイビー・ブルー」が発表されたのは1976年6月、「PANTAX'S WORLD」からわずか二ヶ月後のことだった。正直に言おう。肩すかしをくわされた、とは、こういう時のことを言うのだ。

 ソロ・デビューするチャーの音楽は、日本のロック・シーンでもトップ・クラスの「ハード・ロック」になると思っていたのだ。竹田和夫や森園勝敏と並んでその名を語られる印象から、さらに「PANTAX'S WORLD」で耳にした演奏の印象から、何故かそのように思いこんでいた。過度の期待を膨らませての、勝手な思いこみに過ぎなかったが、「伝説」の中からついにデビューするチャーというギタリストに対して、そのような思いがあった。

 そこへ、「ネイビー・ブルー」である。その曲を初めて耳にした時、唖然としてしまったのを覚えている。その音楽は期待していた「ハード・ロック」とはほど遠かった。これではまるで「歌謡曲」ではないか、そんな思いさえあった。もちろん「歌謡曲」が良くないものだというわけではないが、少なくとも歌謡曲歌手としてのチャーを期待していたわけではなかった。

 がっかりした、というわけではない。「そうか、チャーとはこのような音楽をやる人だったのか」と、唖然とした次の瞬間には自分の無知な思い込みを恥じて、チャーに対する認識を新たにしたような記憶がある。期待していたものとは違っていたが、その楽曲、チャーの歌唱と演奏ともに、充分に魅力的なものだったのは確かだ。個人的には、そのように「ネイビー・ブルー」によってチャーに対する認識を、いわば「リセット」されたのは良いことだったのだろう。そうでなければ、デビュー・アルバムに対してずいぶんと理不尽な失望を抱いてしまっただろうから。

節区切

 チャーのソロ・デビュー・アルバムが発売されたのは1976年の夏を過ぎた頃だったか。タイトルはシンプルに「Char」であった。そのアルバムを初めて聴き通した印象は、先行シングル「ネイビー・ブルー」による印象とそれほどの違いはなかった。「なるほど、このようなアルバムなのか」と、それは充分に納得できるものだった。「PANTAX'S WORLD」でのハードな演奏をこのアルバムに求めてはいけないのだとわかっていたし、それ故に、このアルバムの音楽がチャーの音楽のすべてではないこともわかっていた。彼の懐の深い音楽性の一側面が、このアルバムに結実しているのだろうと、そんな印象を抱いたものだった。

 それにしても何とかっこいいことかと、そんなふうに思ったことをよく覚えている。これほどに洒脱で、「スタイリッシュな」ロック・ミュージックは、おそらくそれまでの日本ロック・シーンにはなかったのではないか。その音楽の、何と軽やかで自然で心地良いことか。「ハード・ロック」とか「プログレッシヴ・ロック」とか、そういった「ジャンル」によって示されるロック・ミュージックの「気負い」のようなものが、この音楽にはいっさい見られなかった。自然体のままに、無駄な力みも大仰さもなく、卓越したテクニックのギタリストとその仲間たちによる良質のポップ・ミュージックとしてのロックが、そこには在った。しかし決して「ロック」としての「切れ味」を失っているわけではない。日本のロック・ミュージックも新たな段階に達したのだと、そんなふうに思ったものだった。

 アルバムのレコーディングに臨んだバンドのメンバーは、チャーと佐藤準以外は海外のミュージシャンたちだった。そうした混合編成のバンドの在り方も、当時の日本ロック・シーンでは珍しいことだった。そのバンド編成も、音楽の在り方に強い影響を与えていたのかもしれない。

節区切

 アルバムには英語詞による楽曲と日本語詞による楽曲とが混在している。否定的な見方をすれば散漫な印象に繋がりかねない傾向もあるが、肯定的な見方をすればアルバム構成に「メリハリ」を与え、アルバム全体の幅を広げていると言いうことができるだろう。

 日本語詞の楽曲のうち、先行シングルにもなった「Navy Blue」、さらに「かげろう」、「視線」、「空模様のかげんが悪くなる前に」は、フォーク・グループ「NSP」のリーダーだった天野滋が作詞を担当している。どうやらNSPのコンサート(あるいは、レコーディング)の際にチャーが客演したのが縁で詞の提供となったらしいのだが、そのせいかそれらの楽曲は少しばかりフォーク系の「ニュー・ミュージック」的な雰囲気も漂っている。それが見事に「ロック・ミュージック」として完成しているのが見事だ。特に「Navy Blue」、そして「空模様のかげんが悪くなる前に」などは名曲と言っても差し支えないだろう。

 「It's Up To You」はバンド・メンバーであったJerry Margosianによる作詞作曲、「I've Tried」はJerry Margosianの作詞、チャーの作曲による。双方ともJerry Margosianのリーダーシップの元にレコーディングされた楽曲なのだろう。Jerry Margosianはチャーが渡米した際に出会ってバンドに迎えられたミュージシャンであるらしいが、なかなか実力のあるミュージシャンであることを窺い知ることができる。

 ラストに収録された「朝」はチャー自身の作詞作曲による日本語詞の楽曲で、軽快感が印象に残る。そして何と言っても、このアルバム中の白眉はチャー作詞作曲による英語詞の楽曲、「Shinin' You, Shinin' Day」と「Smoky」であろう。「Shinin' You, Shinin' Day」は先行シングル「Navy Blue」のB面になった楽曲だが、その軽快で明るい曲想が素晴らしい。「Smoky」はLP時代はB面の冒頭を飾った曲だった。初期のチャーを代表する名曲と言っても差し支えあるまい。切れ味の鋭い演奏と歌唱、その疾走感、「かっこいいロック」とはこういうもののことを言う。

 アルバムに収録された楽曲は、どれも基本的に良質のポップ・ソングだと言ってもいい。往年の「ブルース・ロック」や「ハード・ロック」などのように、長々としたギター・インプロビゼイションが繰り広げられるわけではない。しかし、すべての楽曲でチャーのテクニカルで「かっこいい」ギター・プレイを堪能することができる。チャーのギター・プレイは決して「出しゃばる」ことはなく、バンドのギタリストとしての役目を全うしているが、しかしオリジナリティ溢れるチャーの演奏の魅力が溢れている。このアルバムの音楽はバンド・アンサンブルを重視したポップ・ミュージックであると同時に、素晴らしいギタリストによるギター・アルバムでもある。そのふたつが無理なく両立しているところに、このアルバムの「かっこよさ」がある。

節区切

 シングル「ネイビー・ブルー」は当時そこそこのヒットとなり、それによって初めてチャーを知った音楽ファンも少なくなかったに違いない。「スモーキー・メディスン」の名を知らずに彼のファンになった人もあっただろう。中には「ギターのうまい新人歌手」としてチャーを認識した人もあったかもしれない。そうしたことが良かったのか、悪かったのか、今さら言及してみたところで意味はあるまい。

 あの頃、何度も何度も繰り返し、このアルバムを聴いた記憶がある。あれから三十年近くを経た今、久しぶりに聴くチャーのデビュー・アルバムはいささかもあの頃の輝きを失っていないようにも思える。今では日本ロック界の重鎮と言ってもいいチャーだが、彼の出発点としてのこのアルバムには、その後の彼の活動を知る今となっても、いや、あるいは今であるからこそ、かえって新鮮に感じる魅力が潜んでいるようにも思える。やはり「名盤」だろう。1970年代日本ロックの生んだ、忘れられない名品である。