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1970年代初期、特に1972年から1973年にかけて、ロンドンは「グラム」の渦中にあった。その中心にいたのは言うまでもなくマーク・ボラン率いるT・レックスとデヴィッド・ボウイだったが、その周辺でも数多くのミュージシャンたちが「グラム」の名の下に語られ、それなりの人気を得ていた時代だった。日本でもT・レックスやデヴィッド・ボウイのシングルはヒット・チャートの常連だった。そのようなシーンの中から、コックニー・レベルというバンドがデビューした。彼らのデビュー・アルバムがイギリス本国で発表されたのは1973年だが、このアルバムに収録された「Sebastian(悲しみのセバスチャン)」が日本でヒットするのは1974年の夏頃のことだ。それがコックニー・レベルの日本でのデビューだった。 「グラム・ロック」は、基本的にその音楽的特徴に対する呼称ではなく、主としてその華美で派手な衣装やステージ・パフォーマンスに対する呼称として使われた。だから「グラム」のミュージシャンたちの音楽に共通する音楽的特徴が特にあったわけではないが、「グラム」のミュージシャンたちの音楽は、たいていはシンプルなブギやロックン・ロールを基調とした音楽で、概ねポップでわかりやすく、「ノリのよい」音楽だった。それらの音楽に共通する点を強いて挙げるなら、退廃的で刹那的な印象を伴っていたことだろうか。当時、「グラム」と「デカダンス(decadence:「退廃」を意味する)」という言葉は表裏一体であるかのようなキーワードとして使われていたものだった。 コックニー・レベルは、その「デカダンス」の香りを濃厚に振りまきながら現れた。「ロンドン子」を意味する「cockney」と「反逆者」を意味する「rebel」とを組み合わせてグループ名にしたコックニー・レベルは、ヴォーカルのスティーヴ・ハーリー(Steve Harley:「スティーヴ・ハーレイ」とも書かれる)に率いられた五人のグループで、そうした退廃的で背徳的なイメージを自らに演出していたようにも思える。 ロンドンのグラム・シーンから登場したコックニー・レベルは、しかし「グラム・ロック」の中のひとつとして捉えるには無理があるかもしれない。退廃的で背徳的で享楽的な「グラム・ロック」からは、どこか一線を画した印象もあり、さらに倒錯的で耽美的な印象を伴っていたように思える。ロンドンを席巻した「グラム」は、1973年が終わる頃にはその熱気も冷め始めており、コックニー・レベルはいわばその跡を継ぐような存在であったかもしれない。 |
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コックニー・レベルの音楽は基本的に「ギター・ミュージック」としての「ロック」とは異なるものだった。そもそもコックニー・レベルには「ギタリスト」がいない。当時、「ギタリスト」のいないバンドとして話題になったりもしたものだ。そのコックニー・レベルのサウンドの要となるのはJean Paul Crockerの奏でるヴァイオリンだと言ってよいだろう。その音色と旋律は時にケルティック・ミュージックを彷彿とさせる瞬間もあり、繊細な哀感を帯びて奥深い情感を誘い、彼らの作品世界に重要な色彩を与えている。 そしてその音楽世界の中心にはもちろんスティーヴ・ハーリーの歌唱がある。彼のクセのある声質と歌唱はどことなくマーク・ボランを彷彿とさせるところもあるが、言うまでもなく充分な個性を放っている。その歌声はどこか物悲しく、救いを求めて何かにすがるような印象があり、病的で妄想的で偏執的で、思わず引き込まれてしまうような魅力がある。そうしたスティーヴ・ハーリーの歌唱の魅力に、ヴァイオリンをメインにしたサウンドがよく似合う。巧みに処理を加えられた音像は少々幻惑的なところもあり、漂う哀感とは裏腹にひどく覚醒的でもあり、少し胡散臭く、そしてとても美しい。 スティーヴ・ハーリーはアルバムに収録された楽曲のすべてを作詞作曲しているが、その楽曲自体の魅力もまた無視できない。楽曲はどれも概ねポップでわかりやすく、必要以上の難解さで修飾されてはいない。ロックン・ロール的な楽曲もあるが、ライヴ感溢れるロックン・ロールのダイナミックな疾走感といったものとはまるで無縁であるところが彼ららしくていい。どの楽曲も退廃的な香りの中に繊細で儚い美しさを湛えており、都市的でアンダーグラウンドな感覚が独特の心地よさを誘う。 アルバムを構成する楽曲の中で、やはり白眉はシングル・ヒットとなった「Sebastian(悲しみのセバスチャン)」だろう。静かな導入部から劇的な盛り上がりを見せる楽曲で、ストリングスやコーラスなども交えたアレンジは少々大仰なところもあるが、それが曲想に似合っていて聴き応えがある。7分近い演奏時間の、いわば「大作」だが、こうしたどちらかと言えば「シングル向きではない」楽曲がデビュー・シングルとしてヒットしたということも興味深い。やはり楽曲そのものの放つ魅力に加え、スティーヴ・ハーリーの類い希な個性の魅力に負うところも大きいのだろう。 LP時代にはアルバムの最後を飾った「Death Trip(死の旅)」もまたストリングスやコーラスを交え、これは10分近くとなる「大作」で、アルバムの作品世界の締めくくりとして相応しい楽曲だ。スティーヴ・ハーリーの楽曲、歌唱は、総じてドラマティックで演劇的な印象を与えるものが多いが、この「Death Trip(死の旅)」などはその最たるものと言えるだろう。 このアルバムは哀感漂う「Hideaway(真夏の秘め事)」からドラマティックな「Death Trip(死の旅)」までの10曲を収録したものだが、1992年にCD化された際、これに加えてセカンド・シングルとして発表された「Judy Teen(ジュディーは恋人)」と「Sebastian(悲しみのセバスチャン)」のB面曲だった「Rock'n Roll Parade」がボーナス・トラックとして収録されており、これもファンにとっては嬉しいことだった。「Judy Teen(ジュディーは恋人)」は1974年に日本でもヒットした。コックニー・レベルの魅力溢れるポップな佳曲で、コックニー・レベルの好きな人には忘れられない楽曲だろう。 |
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「グラム・ロック」がロンドンを、そして世界中のヒット・チャットを賑わせていた頃、しかしその人気とは裏腹に一部の評論家やロック・ファンは「グラム」をまるで時代の徒花のように扱っていたものだった。派手なコスチュームやメイクで飾って人気を得てはいても、結局は一時期の流行に過ぎず、時が過ぎれば忘れ去られてしまうような、見せかけだけの「実」の無い浅薄なものであるのだと、一部の者たちは「グラム」を嘲っていたものだった。 確かに「流行」としての「グラム」は一時期の隆盛を誇った後に呆気なく去ってしまったが、「グラム」は実を結ばぬ花などではなかった。「グラム」はその「見せかけだけ」と思われていた表層の下に、従来とは異なる美意識や価値観というものを携えていたのであり、それはロック/ポップ・シーンの奥底にじわじわと根を張り、ゆっくりとその影響を及ぼしていったのだ。 「グラム・ロック」の流行の後に、明らかにその影響下に現れたと思えるアーティストは数多い。コックニー・レベルは、そうしたアーティストたちの最初のもののひとつであったかもしれない。 |
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コックニー・レベルはバンドだったが、実質的にはスティーブ・ハーリーの才能によって支えられていたバンドだった。その才能はこのデビュー・アルバムでも遺憾なく発揮されているが、続くセカンド・アルバムではさらに大きく花開く。しかしその才能故に、「バンド」という形態の中に収まりきれなくなったのではないか。セカンド・アルバムを発表した後、スティーヴ・ハーリーはいったんコックニー・レベルを解散させ、ほぼすべてのメンバーを入れ替える形で再出発、スティーヴ・ハーリー&コックニー・レベルの名で活動を開始する。その後、日本ではあまりその名を聞かなくなってしまったが、イギリス本国ではなかなかの人気を誇って活動を継続したという。 このコックニー・レベルのデビュー・アルバムは、すなわちスティーヴ・ハーリーという才能のデビュー・アルバムであり、1970年代のロンドン・ポップの象徴のひとつであるだろう。作品の完成度という点では次作に譲るものだが、その少々未完成なところもかえって瑞々しい魅力を放っている。名曲「Sebastian(悲しみのセバスチャン)」を含むという点でも、1970年代のロック/ポップを好む者にとっては忘れられない作品であるに違いない。 |
This text is written in July, 2003 by Kaoru Sawahara.
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