幻想音楽夜話
Metal Reflection / Cosmos Factory
1.Down The Highway
2.Shades Of Time
3.Violent Heat
4.Rainy Day Dreams
5.A Glass Of Happiness
6.Sexy Cats
7.Strato-Dynamite
8.White Moon
9.Metal Reflection

Tsutomu Izumi : Vocals, Hammond, Fender Rhodes, Solina, Clavinet, YAMAHA CP-30, Mini-Moog, Steinway Piano, Cembalo, Guitars
Hisashi Mizutani : Vocals, Electric Guitars, Acoustic Guitars
Toshikazu Taki : Vocals, Bass, Guitars
Kuni Toyoda : Drums, Percussion
Kazu Okamoto : Drums, Percussion

Produced by Naoki Tachikawa & Nobu Yoshinari
Production Supervision Kei Ishizaka
1977
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 コスモス・ファクトリーの4枚目のアルバムが発表されたのは1977年の夏のことだった。3枚目のアルバムは何となく買いそびれてしまったのだったが、このアルバムは急かされるような気持ちで買い求めた覚えがある。記憶が定かではないが、きっと収録曲をラジオ番組などで耳にして気に入ってしまって、「これはもう買わないわけにはいかない」と思ってレコード・ショップに足を運んだのだろう。

 1970年代半ばの日本ロック・シーンで、コスモス・ファクトリーは頂点に位置するグループのひとつだった。日本では数少ない「プログレッシヴ・ロック」のバンドとして、四人囃子と双璧をなすバンドとして人気を誇った。しかしその頃、すでに「プログレッシヴ・ロック」の総本山とも言える英国本国では、「プログレッシヴ・ロック」は静かにその終焉を迎えていたのだ。やがて「パンク」が台頭し、「プログレッシヴ・ロック」はその存在意義を失ってゆく。そうした中で、コスモス・ファクトリーは英国的プログレッシヴ・ロックの遺伝子を受け継ぐ貴重なバンドだったと言っていい。1975年の「謎のコスモス号」、1976年の「ブラック・ホール」と、その音楽性を発展させてきたコスモス・ファクトリーは、しかしこの4枚目のアルバムで音楽性を大きく変化させることになった。アルバム・タイトルとなった「Metal Reflection(日本語タイトルを「嵐の乱反射」という)」という言葉が、その音楽性の変化を如実に物語っていたのかもしれない。

節区切

 コスモス・ファクトリーの音楽は、乱暴に言い切るなら、「暗く重い」音楽だった。ファースト・アルバムからサード・アルバムまで、それぞれの音楽の表情は微妙に異なってはいるが、翳りと哀感を帯びた曲想の中に重苦しい音像を封じ込め、日本ロックに於いて比類のない独自の音楽世界を提示していたと言っていい。その音楽は幻想的で神秘的で思索的な色彩を帯びており、まさに英国的プログレッシヴ・ロックのイディオムを深く内包するものだったのだ。

 そうした音楽的特徴を、このアルバムでさっぱりと切り捨ててしまったかのようだった。このアルバムの音楽は、幻想的で神秘的な意匠を削ぎ落とし、「ロック・ミュージック」の核だけを強く硬く残したもののように聞こえた。そのハードでソリッドでタイトな音像は、もはや「プログレッシヴ・ロック」のものではなかった。それは、コスモス・ファクトリーによる「ハード・ロック」だったのだ。

 いや「ハード・ロック」であると言い切ってしまうと誤解を招くかもしれない。このアルバムに聞かれる「ハード・ロック」は、例えばディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスといった、いわゆる「ハード・ロック」の有名バンドたちが築き上げた「ハード・ロック」の方法論に必ずしも則っていない。このアルバムの音楽は、そうした「ハード・ロック」とは出発点が異なっているように思える。決して「プログレッシヴ・ロック」のコスモス・ファクトリーが「ハード・ロック」に転身したというのではない。

 1970年代半ば、「プログレッシヴ・ロック」というものの総体、そしてその方法論自体が八方塞がりの状況となってしまった時、多くのプログレッシヴ・ロックのバンドは失速した。解散の道を選ぶバンドも少なくはなかった。解散を選ばなかったバンドたちもほとんどがその音楽性を変化させた。「プログレッシヴ・ロック」に特有の幻想性や映像性を保ちつつも、エンターテインメントとしてのポップ・ミュージックに柔軟に歩み寄るバンドもあった。

 コスモス・ファクトリーはどうだったか。彼らはおそらく、「プログレッシヴ・ロック」というものの一般的概念が独り歩きして「ジャンル」化してゆく過程に背を向けようとしていたのではないのか。「プログレッシヴ・ロック」というものは、本来は「ロック・ミュージック」の可能性を探る試みでもあった。その中で手に入れた手法として幻想性や映像性、あるいは前衛性、実験性といった意匠が持ち込まれたに過ぎない。しかし、それらの特徴があたかも「プログレッシヴ・ロック」を定義づけるものとして一般化し、「ジャンル」化する傾向がすでに生まれつつあった。コスモス・ファクトリーのこのアルバムは、「プログレッシヴ・ロック」というものが一般に認識される時のそうした特徴を切り捨てた先に成立している。それまでの「プログレッシヴ・ロック」に付随していた虚飾的な部分を削ぎ落とし、より「音」を凝縮し、硬化させた末に現出させた結果として必然的に「ハード・ロック」になってしまったのだ。

節区切

 冒頭を飾る「Down The Highway」の強烈なドライヴ感から圧倒される思いがする。「疾走感」というのではない。この楽曲は、というよりコスモス・ファクトリーのすべての音楽は、「爽快な疾走感」というものとは無縁だ。研ぎ澄まされた刃の切っ先のような音像にシンセの唸りが重なる様には「戦慄を覚える」という形容も大仰ではないかもしれない。ある種の「凄み」というものが感じられて引き込まれてしまう。「プログレッシヴ・ロック」だとか「ハード・ロック」だとかといった「ジャンル」を蹴っ飛ばし、そんな言葉を並べて音楽を語ることが無意味であることを思い知らされる。

 「Shades Of Time」がまたいい。決して激しい演奏が展開されているわけではないが、抑制された中に漂う緊張感と焦燥感が独自の世界を醸し出す。闇の中から世界を見据えるようなイメージの音楽世界は、しかし「幻想的」という形容は相応しくなく、奇妙な覚醒感に覆われている。この何やら予兆めいて不安な感覚、今にもバランスを崩して墜ちてゆくような感覚が凄い。

 「Violent Heat」はファンクだ。ファンクなのだが、跳ねない。汗の匂いもない。ただ演奏形態として「ファンク」の意匠が持ち込まれているに過ぎず、その音楽世界は相変わらず張り詰めた緊張感の中に奇妙な平衡感覚を持って漂っている。演奏自体はそれほどハードではないが、音像はソリッドでタイトだ。この楽曲にはフルートの演奏が加えられており、それがとても効果的に響いている。

 「Rainy Day Dreams」はコスモス・ファクトリーの音楽の持つロマンティシズムを具現化した楽曲だ。しっとりとして哀感を帯びたメロディ、繊細で儚げな音像が印象深い。中盤、悲しげな響きを聞かせるギターに乗って聞こえる女性の「呟き」のようなナレーションが良い効果をあげている。このアルバム中で数少ない、夢想的なイメージで彩られた楽曲だ。

 LP時代には「A Glass Of Happiness」からB面だった。再び「凄み」を効かせた「ハード・ロック」だ。タイトなリズム、乾いた音像の上に、湿ったシンセが被さる。抑制された緻密な印象がさらに音楽世界の「凄み」を倍加させている。中盤で聞かれるギター・ソロが痛快だ。

 「Sexy Cats」は少々アヴァンギャルドな印象の楽曲だ。奇妙な歪みを感じさせる曲想に絡むギターやサックスの音色が何やら生々しく、それが却って現実から剥離したような非平衡感覚を誘う。

 「Strato-Dynamite」は痛快に突っ走るインストゥルメンタル曲だ。「痛快に突っ走る」とは言っても、豪放なアメリカン・ロックのような味わいとは、もちろん全く違う。どことなくヒステリックで、屈折している。アルバム中、この楽曲のみがコンポーザーとして「コスモス・ファクトリー」の名が記されているが、メンバー全員によってなかば即興演奏のような形態で「勢い」で作られた楽曲なのかもしれない。

 「White Moon」は幻想的な味わいの楽曲だ。歌詞と呼べるほどの歌詞はなく、実質的にはインストゥルメンタル曲だと言って差し支えないだろう。静謐なピアノ演奏を背景に、美しく哀感を帯びたメロディがファルセット・ヴォイスで歌われる。ロマンティックな小品だ。

 アルバム最後となる楽曲は、アルバムのタイトル・チューンでもある「Metal Reflection」だ。楽曲の魅力、演奏の迫力ともに、アルバムのタイトル曲となるに相応しいものだ。このアルバムに収録されたコスモス・ファクトリーの音楽の、まさに集大成と言ってもいい。タイトルが意味するように金属の表面に乱反射する光を連想するような曲想が幻惑的で、歪んだ音色のギターや唸りを上げるシンセの演奏が迫力に満ちている。

 これらの収録曲のうち、「Down The Highway」、「Violent Heat」、「A Glass Of Happiness」、「Metal Reflection」がベースを担当する滝としかずのペンによるもので、「Shades Of Time」、「Rainy Day Dreams」、「Sexy Cats」、「White Moon」はキーボード奏者の泉つとむのペンによる。そのように見てみるとそれぞれの指向する音楽の傾向もわかる気がする。

 収録曲のすべての歌詞、挿入されるナレーションに至るまで、すべてが英語であるのも特筆すべきことかもしれない。予備知識無くこのアルバムを初めて耳にすれば、1970年代の日本のバンドだとは思えないのではないか。

節区切

 それにしても、この音楽の何と鋭利で、硬質であることだろうか。力強さに満ちていても豪放に過ぎず知的に抑制されて繊細だ。その音楽は幻惑的な音世界を繰り広げつつも奇妙な覚醒感に包まれ、その音像は聴き手にさまざまな心象風景を描き出すが決して幻想的であったり絵画的であったりはしない。音楽世界の全体像は人工的で無機質な感触に包まれており、表現者としてのコスモス・ファクトリーの音楽に対する心情を感じさせない。

 そうした音の感触が何とも「かっこよく」感じられ、当時何度も何度も繰り返し聞いたものだった。その鋭利な刃物のような感触に引き込まれ、この音楽を聞いていると通常の「ハード・ロック」などは刃先の鈍った粗雑な音楽だとさえ思えたものだった。硬質なハード・ロックから夢想的なバラードまで、このアルバムは当時のコスモス・ファクトリーが到達した新たな高みだったはずだ。残念ながらコスモス・ファクトリーはこのアルバムを最後に解散してしまった。もしこのまま活動を続けていたなら、彼らが次にはどのような音楽を造っていたのだろうかと、そんな意味のないことまで思ってしまう。

 コスモス・ファクトリーは1970年代日本ロック・シーンに四人囃子と並ぶ「プログレッシヴ・ロック」のバンドとして君臨した。しかし実はこのアルバムで聞かれるタイトでソリッドな音世界こそが、彼らの音楽の本来の姿だったのではないか。そうした意味でも、そして何よりその音楽そのものの魅力に於いて、このアルバムはコスモス・ファクトリーの最高作であるばかりでなく、日本ロック史上に残る傑作と言っていい。

 このアルバムの音楽は、その在り方としては確かに「プログレッシヴ・ロック」の延長にあるものかもしれない。しかしすでに「プログレッシヴ・ロック」と呼ぶべきものではない。「Down The Highway」の歌詞が実に象徴的だ。そう、もうパーティーには飽きたのだ。もっとヴォリュームを上げて、ハイウェイへと連れて行ってもらおう。