幻想音楽夜話
Eagles
1.Take It Easy
2.Witchy Woman
3.Chug All Night
4.Most Of Us Are Sad
5.Nightingale
6.Train Leaves Here This Morning
7.Take The Devil
8.Earlybird
9.Peaceful Easy Feeling
10.Tryin'

Glenn Frey : vocals and guitars.
Don Henley : vocals and drums.
Randy Meisner : vocals and bass guitar.
Bernie Leadon : vocals, banjo and guitars.

Produced by Glyn Johns.
1972 Elektra/Asylum Records.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代初頭のアメリカは、おそらく精神的に疲弊していたのだ。ヴェトナム戦争は泥沼化していた。反戦運動は実を結ぶことなく、「愛と平和」を訴えたフラワー・ムーヴメントは結局は幻想でしかなかった。諦めにも似た醒めた想いが、若者たちの心に陰を落としていたのではなかったか。おそらくそれは日本でも同じようなものだっただろう。学生運動に荒れた激動の1960年代は過去のものになってしまった。1970年代は「シラケ」の時代などとうそぶく者たちもあった。

 「サマー・オヴ・ラヴ」もウッドストックもすでに過去の夢でしかなかった。サイケデリックの嵐も去った。ロック・ミュージックはカウンター・カルチャーとしての意味を失いつつあった。何かを癒すように、シンガー・ソングライターたちが静かに自らを見つめて歌っていた。そんな時、軽やかなメロディに乗って「Take It Easy(気楽にいこうぜ)」と歌うコーラスが響いてきた。それは夢から覚めて虚脱した若者たちに深く静かに浸透していく時代の声だったのかもしれない。

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 1970年代のウエスト・コースト・サウンドを代表する楽曲のひとつとして、イーグルスの「Take It Easy」はあまりにも有名だ。ジャクソン・ブラウンとグレン・フライの共作によるこの楽曲はイーグルスの代表曲のひとつであり、ウエスト・コースト・サウンドの代表曲のひとつであるばかりでなく、おそらく1970年代のアメリカン・ロックの名曲のひとつとして数えても差し支えあるまい。

 イーグルスはリンダ・ロンシュタットのレコーディングのために集められたミュージシャンによって結成されたグループだった。「Take It Easy」を含むデビュー・アルバムが発表されるのは1972年のことだ。その年、アメリカン・フォーク・ロックとカントリー・ロックの創始者のひとつとも言えるバーズが解散する。ウエスト・コースト・サウンドの象徴とも言えるSCN&Yは1970年に解散し、ソロとなったニール・ヤングの「孤独の旅路」は1972年の大ヒットとなった。CSN&Yの音楽性を受け継いだようなトリオが「アメリカ」というグループ名を名乗って1971年にデビューし、そのデビュー・シングル「名前のない馬」は「孤独の旅路」とチャートのトップを競い合った。ドゥービー・ブラザースの出世作「Listen To The Music」がヒットするのも、スティーリー・ダンのデビュー曲「Do It Again」がヒットするのも、奇しくも同じ1972年である。当時、ウエスト・コーストのミュージック・シーンもひとつの転換期を迎えていたとすれば、イーグルスのデビューはまさにウエスト・コースト・サウンドの新しい時代を象徴していたのかもしれなかった。

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 イーグルスの音楽は、紛れもなく1960年代から発展してきたフォーク・ロックとカントリー・ロックの延長上にある。バーズやバッファロー・スプリングフィールド、ポコ、そしてCSN&Yといったグループが育んできたアメリカン・ミュージックを正統的に受け継ぎ、さらに発展させたものだったと言ってよいだろう。イーグルスの音楽はカントリー・ロックの基本に立脚しながらもそれほどの土臭さは無い。その演奏は基本的にロック・ミュージックであったし、その楽曲はカントリー・ロックよりさらにポップ・ミュージックとして洗練されていた。デビュー期のイーグルスのそうした音楽性は、おそらくグレン・フライの才能によるものだっただろう。そしたまたプロデュースを担当したグリン・ジョーンズの音楽的指向が反映されたものだったかもしれない。

 イーグルスの音楽は広くミュージック・シーンに受け入れられ、やがてウエスト・コースト・サウンドの代表的なもののひとつとして認知されてゆく。それはそのまま「ウエスト・コースト・サウンド」というものの一般的な浸透と「ジャンル化」を示していたとも言えるだろう。一般に「ウエスト・コースト・サウンド」というものが語られる時、その言葉が指し示すイメージはイーグルスであり、ドゥービー・ブラザースであり、スティーリー・ダンであり、リンダ・ロンシュタットといったミュージシャンたちの音楽だが、そうした認識はまさにイーグルスが提示した音楽のイメージによるものだと言っていい。そのイメージはまさに「Take It Easy」であり、「Peaceful Easy Feeling」だった。

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 「明るく爽やか」といったウエスト・コーストのイメージとともに、「Take It Easy」はまるで時代の合い言葉のように浸透していった気がする。激動の60年代は過ぎ去ってしまったのだと、これからは深刻になることなく気楽にいけばいいのだと、「合い言葉」はささやいていた。しかし、軽やかに歌われる「Take It Easy」の奥底に、そのイメージとは裏腹の言いようのない物悲しさのようなものが漂うのは何故だろうか。

 「ロック」が「思想」と共にあった1960年代は過去のものとなり、当時のロック・ミュージックには表現すべきメッセージは残っていなかったのではないか。ロック・ミュージックと共に若者たちが既成の価値観に反抗を試みた頃からは、すでに時代は大きく隔たっている。といって、ビーチボーイズやジャン&ディーンがサーフィンやホットロッドを歌っていた時代にはもう戻れないのだ。

 だから「Take It Easy」だった。「Take It Easy」は「気楽にいこうぜ」と歌いながらも、否、そう歌わざるを得ないことによって、逆説的に当時のロック・ミュージックの喪失感と無力感を見事に表したものだったのではないか。そうした意味では、「Take It Easy」も「Most Of Us Are Sad」も同じスタンスに立って、ポップ・ソングとして洗練されながらもカルチャーとしてのメッセージを失ってゆくロック・ミュージックを象徴していたものではなかったか。

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 それでも、いわゆる「ウエスト・コースト・サウンド」のひとつの完成形をそこに提示して見せた「Take It Easy」とイーグルスのロック史的功績は大きい。カントリー・ロックから発展して洗練され、後にAORへと変貌してゆくまでの、ロック・ミュージックとしての「ウエスト・コースト・サウンド」は、ここから隆盛の時期を迎えると言ってもいい。同じ頃、遠く離れたイギリスではハード・ロックとプログレッシヴ・ロックが隆盛の時期を迎えていた。アメリカ南西部ではスワンプ・ロックから発展したサザン・ロックが台頭してこようとしていた。「ロック」の、幸福な時代だった。

 この後、彼らの音楽は作品が発表されるごとに次第にポップ・ミュージックとしての完成度を高め、イーグルスはアメリカン・ロック・シーンの頂点へ君臨するバンドへと成長してゆく。しかし、時代はロック・ミュージックから「思想」を抜き去り、商業構造の中へ組み込もうとしていた。イーグルスの成長と共にその音楽作品がさらに洗練されてゆき、商業的にも成功を得てゆく過程は、「ロック」がカウンター・カルチャーの象徴のひとつから「商品」としてのポップ・ミュージックへと変貌してゆく過程と符合する。「Take It Easy」と歌ったイーグルスは、やがて「Hotel California」によってロック・ミュージックとしてのウエスト・コースト・サウンドの終焉を自ら告げることになるのだ。

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 青空と陽光と潮風とに彩られたウエスト・コーストのイメージに、イーグルスやドゥービー・ブラザースの音楽はよく似合った。あるいはその音楽の印象がもたらす心象風景がそうしたものだった。朝の明るい陽射しも、午後の倦怠も、夕暮れの街角のセンチメンタルも、すべてがウエスト・コースト・サウンドの中にあった。その音楽は遠い日本にもアメリカ西海岸の乾いた風を運んだ。その音楽の中にウエスト・コーストの風景を見ていた。イーグルスのデビューとその音楽は、そうした幻想にも似た憧れの中で受け入れられ、支持されたような気もする。何もわかってはいなかったのだ。

 あの頃、「Take It Easy」や「Peaceful Easy Feeling」が大好きだった。あれから30年を経た今、ときおり思い出したように聴くイーグルスのファースト・アルバムで、フェイバリット・ソングは「Most Of Us Are Sad」になった。あの頃はまだ子どもだった。遠いカリフォルニアにどんな夢を見ていたのか、もう思い出せない。