幻想音楽夜話
Days Of Future Passed / Moody Blues
with The London Festival Orchestra conducted by Peter Knight
1.THE DAY BEGINS
2.DAWN : Dawn is a feeling
3.THE MORNING : Another Morning
4.LUNCH BREAK : Peak Hour
5.THE AFTERNOON : a)Forever Afternoon(Tuesday?) / b)(Evening)Time to get away
6.EVENING : a)The Sun Set / b)Twilight Time
7.THE NIGHT : Nights in White Satin

Justin Hayward - guitars & vocals.
John Lodge - bass & vocals.
Ray Thomas - flute & vocals.
Graeme Edge - drums.
Mike Pinder - keyboards.

1967 Decca Record Company Limited.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 「サテンの夜」というヒット曲がある。1960年代の終わり頃から1970年代にかけて何度かシングル盤が発売されて、その度にイギリスのヒットチャートに登場した。アメリカや日本でもヒットし、ムーディー・ブルースという英国のバンドの名を知らしめた名曲だった。今でもいわゆる「オールディーズ」もののコンピレーション・アルバムの中に収録されていたりするので、知っている人も多いだろう。当時のロック・ミュージックをあまり詳しく知らない人々にとっては、ムーディー・ブルースというバンドのイメージはそのまま「サテンの夜」のイメージであり、いわゆる「一発屋」的な見なされ方をする場合もあるかもしれない。

 しかしムーディー・ブルースはいわゆる「ヒット・ポップス」のバンドではない。もちろん「サテンの夜」のヒットのみでシーンから姿を消した「一発屋」などではない。むしろその対極にあった。ムーディー・ブルースはアルバム全体をひとつの作品として構成するという方法論にいち早く指向したグループのひとつであり、1970年代になって隆盛を極める「プログレッシヴ・ロック」に先鞭をつけたグループのひとつでもあった。そして「サテンの夜」を収録したアルバム「Days Of Future Passed」こそ、そうした彼らの出発点であり、後に「プログレッシヴ・ロックの夜明け」と評され、彼らの名を不動のものにした歴史的名盤なのだ。

節区切

 1964年に結成されたムーディー・ブルースは、当初はR&B系のロック・ミュージックを演奏するバンドだった。後にウイングスに加入してポール・マッカートニーの良き理解者として一時代を築いたデニー・レインが在籍していたことも、この時代のロック・ミュージックを愛する人たちにはよく知られていることだろう。ムーディー・ブルースはDeccaレコードと契約してデビュー、「ゴー・ナウ」というヒット曲を放つが、後が続かず、デニーを含むメンバーの二人が脱退してしまう。残されたメンバーはジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのふたりを加えて活動を継続、これによってレイ・トーマス、クレアム・ロッジ、マイク・ピンダー、そしてジャスティンとジョンというメンバーが揃い、この五人が1970年代初期までの彼らの黄金期を支えるのである。

 メンバーに変動のあったムーディー・ブルースはそれを機会にその音楽性を大きく変化させることになる。新メンバーの音楽的指向の影響もあるのか、その変化は大きく、ムーディー・ブルースはまったく別のバンドに生まれ変わったと言ってよかった。当時のポップ・ミュージック・シーンはまだまだシングル曲中心に動いており、ヒット曲の有無がミュージシャンの成功を大きく左右していた時代だった。「ゴー・ナウ」のヒットに恵まれながらもその後が続かず辛酸を舐めた彼らが、そうした「ヒット曲」依存の体質に辟易し、そこからの脱却を目指したのも無理のないことだっただろう。「売れる曲」の生産ではなく、アーティストとして納得のできる作品をアルバム単位で造り上げるという姿勢は、彼らの再出発に際しての当然の方向だったに違いない。

 一枚のアルバム、一枚のLPレコードに収録される音楽全体を通して、「人の一日」を描くという発想は、再出発を果たした時からのムーディー・ブルースの構想であったという。そしてそんな彼らにDECCA傘下のDERAMレーベルとの契約のチャンスが訪れる。DERAMレーベルは新開発のレコーディング・システムのプロモート用にムーディー・ブルースとロンドン・フェスティバル・オーケストラとの共演でドヴォルザークの「新世界より」をレコーディングしようと企画したのだ。もちろんムーディー・ブルースはDERAMの意向通りに「新世界より」をレコーディングするつもりはなかった。「人の一日」を音楽によって表現するという構想を実現するべく、彼らは熱心に説得を続け、ロンドン・フェスティバル・オーケストラの指揮者であったピーター・ナイトの理解も得られ、それは実現する。そうして希有の名盤「Days Of Future Passed」が誕生する。個人的には、この時もし「新世界より」のレコーディングが成されていたなら、それに対してムーディー・ブルースも意欲的であったなら、それもまた素晴らしい作品になっていたのではないだろうかと思うのだが。

 発表された作品「Days Of Future Passed」はそれまでの音楽の常識を覆すものとなった。そこに見られたのは、単にロック・バンドとクラシック・オーケストラとの共演という表層的な次元にとどまらない、クラシック・ミュージックとロック・ミュージックのほぼ完璧な融合だった。それまで音楽的に対極にあろうかと思われてきたふたつのスタイルが、この作品の中で見事に解け合ってひとつの作品世界を生み出すことに成功していたのだった。「Days Of Future Passed」はクラシック音楽界を含む多くの音楽関係者から賛辞を送られることになった。決して大ヒットとなって商業的に成功した作品とは言えなかったが、クラシック・オーケストラとロック・バンドの共演という斬新な試みとその音楽的成果は多くの人々に支持され、そしてその重要な意味が時とともに深く認識されていったのである。

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 「Days Of Future Passed」という意味深いタイトルのこの作品は、一日の始まりから夜に至るまでの一日の流れになぞらえて「人生」というものを描いた壮大なものだった。永劫の時を刻む宇宙の中での「人の生」というものの儚さを描き、そしてその意味を深く問う作品だった。「一日が始まる」、「夜明け」、「朝」、「ランチ・ブレイク」、「昼下がり」、「夕暮れ」、そして「夜」と分けられたそれぞれのパートが、「一日」の流れと「人生」に於ける時期とのダブル・ミーニングとなってドラマティックに展開されてゆく。

 「Days Of Future Passed」は「人の生」というものの儚さと意義を問うような「一日が始まる」で幕を開ける。そして無限の可能性を秘めた「誕生」と「夜明け」が呼応し、「朝」の清々しい情景は希望に満ちあふれた無垢な子ども時代に呼応する。ランチ・タイムの喧噪は「人生」のピークであり、仕事や生活そのものに追われる日々の暮らしを想起させる。やがてそんな生き方を振り返り、ふと立ち止まる時期がやってくる。「昼下がり」は午後の倦怠の中にそうした情景を描く。そして老いを迎える「夕暮れ」、自分の「生」は意味あるものだったのか、自分の「一日」は意義あるものだったのか、自問の中にももうあまり時間は残されていない。そして来るべき「死」を暗示する「夜」、名曲「サテンの夜」の哀感に満ちて荘厳な響き、そこに歌われる深遠な歌詞が、「一日」の、そして「生きること」の在り方を厳然と俯瞰する。

 「Days Of Future Passed」で展開される音楽世界は、そのコンセプトからもわかるようにとても物語的な魅力に満ちている。ムーディー・ブルースとオーケストラとが造り出すさまざまな音の表情は、聴く者に映像的な情景を喚起し、それぞれのストーリーを紡ぐ。「一日が始まる」から「夜」に至るまで、その音楽に身を委ねて聴き通せば、まるで小説を読み終わった時のような、あるいは映画を見終わった時のような感覚を味わうことができるだろう。ただそうした構成は少々大仰に過ぎる側面もあり、シンプルな音楽を好む人たちには苦手なスタイルの音楽であるかもしれない。

 「Days Of Future Passed」はオーケストラとムーディー・ブルースによって演奏される音楽自体の魅力もさることながら、その歌詞の思索的深さが圧倒的な存在感を持って聴き手に感動をもたらす。英語に堪能ではない身では、歌詞の理解は歌詞カードと訳詞に多くを頼らざるを得ないが、時には辞書を紐解きながらでもその歌詞を充分に味わうべきで、そうでなくてはこの作品の良さを充分に理解することはできないかもしれない。そして、前衛的な試みやテクニカルな演奏技術に重きを置かず、もっぱらその深遠な歌詞を中心に据えて独自の世界を構築してゆく手法は、この後もムーディー・ブルースの基本的な姿勢となってゆく。

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 1960年代のロック・ミュージック・シーンに於いて、クラシック音楽との接近を試みる動きは少なからずあった。ビートルズの例を挙げるまでもなく、さまざまな手法が試みられたが、なかなか大きな成果を見るには至らなかった。特にフル・オーケストラの演奏とロック・バンドの演奏との融合は想像以上に困難なものだったと言ってよいだろう。そうした意味で「Days Of Future Passed」の先駆的意味は大きい。

 しかし「Days Of Future Passed」で見られるクラシックとロックの融合は、あくまでクラシック・オーケストラとロック・バンドの共演に於いて両者の音楽が違和感無く統合され、ひとつの音楽世界を現出しているというものだった。後に隆盛を見る「プログレッシヴ・ロック」に於いては、クラシック音楽の技法をロック・ミュージックの中に取り入れようとする試みや、あるいはクラシックの楽曲をロック・ミュージックとして演奏するといった試みがなされるが、そうしたものとは基本的に異なった方法論だったのだ。

 ロック・バンドとクラシック・オーケストラとの共演、ひとつのコンセプトに基づいてアルバム全体を構成する手法など、当時としては革新的であり、先進的なものではあったが、決して創造された音楽そのものが革新的で先進的なものだったわけではない。その音楽はむしろオーソドックスなものであるとさえ言える。ムーディー・ブルースが演奏する楽曲は、「サテンの夜」の例を挙げるまでもなく、ロック・ミュージックの、というよりポピュラー・ソングとしての王道とも言えるものだ。その音楽には何ら奇をてらったところはなく、卓越した演奏技法に重きを置くわけでもなく、前衛的な手法が試みられることもなく、シンプルな歌と演奏が真摯に奏でられている。それでも作品としての「Days Of Future Passed」が先進的な傑作と成り得るのは、その基底に音楽の創造に対する先進的な思想性を含んでいるからに他ならない。

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 ムーディー・ブルースの歌唱と演奏は穏やかで安らかな魅力に満ち、クラシック・オーケストラの演奏と無理なく繋がり合ってひとつの作品世界を紡ぎ出すことに成功している。決してロック・ミュージックとクラシック・ミュージックが互いに存在を主張しあって緊張感を高めるような「競演」ではない。しかし、ムーディー・ブルースにとってこの作品に於けるクラシック・オーケストラとの「共演」が大いに刺激に満ちて示唆に富むものであったろうことは想像に難くない。次作からはメンバー五人のみによる音楽の創造が続くが、その音楽にはこの時のオーケストラとの共演の経験が大きな影響を与えているように思える。

 キーボード奏者のマイク・ピンダーはすでにこの時からメロトロンを使用しており、随所でその特徴的な音を聴くことができる。1960年代からすでに三十年以上も経ってしまった現在では、メロトロンはキング・クリムゾンが「クリムゾン・キングの宮殿」で大々的に使用したことで一般的に知られた観もあるが、当時はメロトロンと言えばムーディー・ブルースの名が真っ先に挙がったものだった。次作以降のムーディー・ブルースの音楽にとって、メロトロンの使用はいわばオーケストラとの共演で見いだした自らの音楽の実現に欠かせないツールとなっていったのに違いない。

 1967年に発表された「Days Of Future Passed」、ムーディー・ブルースの演奏するロック・ミュージックには当然のことながら当時のロック・ミュージックの置かれた状況や「音」の傾向といったものが見え隠れし、さすがに時代的な「古さ」を感じる部分もある。それでも単なる「懐メロ」になってしまうことなく、今も変わらず普遍的な感動を聴き手に与え、クラシック・ミュージックとロック・ミュージックとの融合という先進性が風化しないのは、その根底に真にプログレッシヴなロック・ミュージックの息吹が感じられるからだろう。

 アルバム一枚をひとつのコンセプトでまとめ上げるという手法は、後に「コンセプト・アルバム」と呼ばれるようになり、同様の手法で数多くのロック・ミュージックの作品が生み出されることになる。その最初のひとつが、この作品だった。ロック・ミュージックに於ける最初期の「コンセプト・アルバム」の傑作として知られるビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に遅れること、わずか半年だった。後にレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジをして「真のプログレッシヴ・バンド」と言わしめたムーディー・ブルース、その大いなる出発点がここにある。「プログレッシヴ・ロック」はこの作品によって夜明けを迎えたのだ。