幻想音楽夜話
人間椅子
1.人面瘡
2.陰獣
3.りんごの泪
4.猟奇が街にやってくる
5.神経症 I LOVE YOU
6.人間失格
7.桜の森の満開の下

和嶋慎治:ギター、ボーカル
上館徳芳:ドラムス
鈴木研一:ベース、ボーカル

1989
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 TBS系列の深夜番組「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」の放送が始まったのは1989年(平成元年)2月11日のことだ。詳細な番組内容は他に譲るが、知らない人のために少しだけ書いておくと、毎週12組ほどのアマチュア・バンドが登場して、歌と演奏のパフォーマンスを競い合い、各週のチャンピオンが審査員によって選ばれ、前週のチャンピオンと競い合うという、”勝ち抜き合戦”のようなものだった。番組は約2年間続き、1990年暮れに終了するまで、800組を超えるバンドが登場したという。登場するバンドはまったくの素人バンドからインディーズ・シーンでの実績を持つバンドまでさまざまで、バラエティに富んで楽しい番組だった。

 この番組に「人間椅子」と名乗るバンドが登場したのは1989年5月20日放送の回である。人間椅子はギターの和嶋慎治、ベースの鈴木研二、ドラムスの上館徳芳の三人によるトリオで、猟奇的なおどろおどろしい世界観の音楽を展開するハード・ロック/ヘヴィ・メタルのバンドだった。1989年当時、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルを演奏する日本のバンドがどれだけいたのだろう。当時の日本ロック・シーンについては、寡聞にして詳しく知らない。案外、アンダーグラウンドなシーンではそれなりに活動していたバンドがあったのかもしれない。しかし、個人的にはまったく”青天の霹靂”のような驚きを持って人間椅子の登場に喝采を送った覚えがある。

 人間椅子は残念ながら前週のチャンピオンに挑戦する権利を得る「チャレンジャー賞」に選ばれることはなかったが、「ベスト・プレイヤー賞」、「ベスト・キャラクター賞」、「在宅審査員賞」を獲得している。ベースを担当する鈴木研一は水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪「ねずみ男」に扮したステージ衣装で登場し、それもかなりインパクトのあるものだったから、「ベスト・キャラクター賞」はこれが理由なのだろう。ちなみにこの週の「チャレンジャー賞」を獲得したのはジッタリン・ジンで、前週から勝ち残ったチャンピオンを破って見事に新チャンピオンの座を得ている。
 
 時代のニーズに合致したのか、「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」は爆発的な人気を呼び、「イカ天」の愛称で親しまれて社会現象になるほどだった。登場したバンドのいくつかはそれぞれにファンを獲得するに至り、1989年の秋頃だったか、それまでに登場した中から何組かのバンドが選ばれ、彼らのCDを番組サイドで制作、希望者に販売するという企画が発表された。その時に選ばれたバンドがどのようなバンドたちだったのか、詳細は失念してしまったが、その中に「人間椅子」の名があったことはよく憶えている。何故なら、その時の人間椅子のCDを購入したからだ。販売は通販の形で行われ、申し込みからCDの到着までが待ち遠しかったこともよく憶えている。そのCDが、単に「人間椅子」とだけ題された、このミニ・アルバムである。

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 このミニ・アルバムに収録された楽曲は「人面瘡」、「陰獣」、「りんごの泪」、「猟奇が街にやってくる」、「神経症 I LOVE YOU」、「人間失格」、「桜の森の満開の下」の7曲、当時の人間椅子の音楽世界を如実に表現した楽曲ばかりだ。「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」で人間椅子の演奏を初めて聴いたときの印象は至極単純明快なものだった。”ああ、これは和製ブラック・サバスなのだな”と。このミニ・アルバムを聴いてみて、その印象は確信に変わったが、事実、人間椅子のメンバーはブラック・サバスが好きだったらしい。

 人間椅子の演奏するロック・ミュージックのスタイルは”ドゥーム・メタル”と称されることもあるが、少なくともデビュー期の人間椅子の音楽は「ヘヴィ・メタル」が台頭する以前の「ブリティッシュ・ハード・ロック」のスタイルに近い。最も近いのはもちろんブラック・サバスだが、初期のジューダス・プリーストやバッジーといったバンドたちの影響も見え隠れする。後に人間椅子はバッジーの「ブレッドファン」をカヴァーしているが、そうしたところにも彼らの”ルーツ”が見て取れる。

 人間椅子の演奏するロック・ミュージックは、少なくともこのミニ・アルバムに収録された演奏は、ブラック・サバスの直系的なスタイルだと言っていい。ブラック・サバスが提示した陰鬱で不敬なイメージで繰り広げられるハードでヘヴィなロック・ミュージックのスタイルをそのまま踏襲した音楽だ。しかし、人間椅子の音楽がブラック・サバスの単なる”コピー”に終わっていないのは、人間椅子がブラック・サバスの音楽の持つ本質的な意味を理解し、それを完全に彼らなりの美意識の中に置き換えているからだ。

 ブラック・サバスの音楽は、”黒魔術”や”悪魔”といった概念をキーワードに展開される、”悪魔崇拝的”な不敬で冒涜的なイメージがその特徴と言っていいが、そうした概念は大方の日本人にとってはなかなか理解しにくいものだ。キリスト教文化圏の人々の世界観に於ける”悪魔”や”黒魔術”というものの捉え方は、自然崇拝的でシャーマニズム的な宗教観を基本に持つ日本人にはなかなか理解できない。そのブラック・サバスの音楽の持つ”不敬”で”不徳”で”冒涜的”なイメージを日本人的な世界観に置き換えたならどうなるのか。キリスト教文化圏の人々の世界観に於ける”悪魔”や”黒魔術”の概念は、すなわち日本人的な世界観に於ける”怨念”や”祟り”といったものに相当するのではないか。我々日本人が恐れるものは神に敵対する”悪魔”ではなく、人間そのものの情念が姿を変えた”怨霊”であり、人の嫉妬や恨みそのものが忌むべき存在となって災いを成す”祟り”や”呪い”ではないのか。そして人を恨み、妬み、呪うことによって自らも墜ちてゆく”地獄”なのではないのか。人間椅子の音楽は、そうした日本人的世界観に於ける”忌むべき”概念を中心に据えることによって、ブラック・サバスが提示した音楽と同等のものを、日本人の感性に合致する音楽として実現している。

 「人間椅子」というバンド名や「人間失格」という楽曲のタイトルが示しているように、彼らは、特にギターの和嶋は文学に造詣が深く、彼の書く歌詞には彼の敬愛する文学作品の香りが漂っている。「人面瘡」や「陰獣」といった楽曲で特に顕著だが、そうした文芸的日本語表現が彼らの音楽世界に見事に合致し、相俟って、唯一無二の音楽世界を実現することに成功していることも特筆しておかなくてはならない。

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 まるでブラック・サバスの音楽を日本人的感性に置き換えたような人間椅子の音楽が、彼らの演奏技術の高さによって実現していることは言うまでもない。特に和嶋のギターが凄い。和嶋のギター・プレイは、トニー・アイオミのギター・プレイをほぼ完璧に消化しきっていると言ってもいいのではないか。重厚で硬質で独特の湿り気を帯びたギターの音色はこうしたロック・ミュージックを実現する上で必要不可欠なものだが、和嶋はそうしたセオリーを完全に理解し、自分たちの音楽として具現化する方法を理解しているのだ。件の「イカ天」で「ベスト・プレイヤー賞」を獲得したのも頷ける。

 このミニ・アルバムに収録された7曲の楽曲は、どれも彼らのそんな演奏の魅力を堪能できるものばかりだ。文学的な表現の歌詞によって猟奇的世界を展開してみせる「人面瘡」や「陰獣」といった楽曲は彼らの音楽の象徴のような存在と言っていい。「りんごの泪」はヘヴィでありながらも「Children of the Grave」を彷彿とさせるようなグルーヴ感が素晴らしい。「猟奇が街にやってくる」と「神経症 I LOVE YOU」はスピーディに突っ走るロックン・ロールだが、”爽快感”などとは無縁なところで展開される。「人間失格」と「桜の森の満開の下」はいわば”大作”で、「人間失格」の方は5分強、「桜の森の満開の下」は6分を超える演奏時間だ。楽曲の構成もドラマティックで、ブラック・サバスがこうした楽曲を得意としたようにヘヴィでハードな音像の中に陰鬱で不吉なイメージの音楽世界が展開されている。昔から”桜があれほどに美しく咲くのは木の下に屍があるからだ”という話がある。昔から人々は桜の咲き方に美しさと共に何かこの世のものならぬものの存在を感じていたのかもしれない。「桜の森の満開の下」はそうした言い伝えをモチーフにした楽曲だろう。

 どの楽曲も人間椅子の個性がよく表現され、演奏も聴き応えのあるものばかりだが、個人的には前半の3曲、「人面瘡」と「陰獣」、「りんごの泪」がお気に入りだ。特に「りんごの泪」は大好きな楽曲だ。ヘヴィでありながらグルーヴ感のある演奏も素晴らしく、歌詞もいい。歌詞の内容は”収穫され、売られてゆくリンゴの悲哀”を歌ったもので、それをそのまま解釈しても充分に面白いが、「りんご」を「むすめ」と置き換えて聴くと、この楽曲の意味するものが見えてくる。名曲、と言っていい。

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 人間椅子は「イカ天」登場の翌年にメジャー・デビューを果たし、その後も息長く活動を続けていくことになる(1990年代半ばからは活動の場をインディーズに移したようだ)。もちろん彼らの音楽性では一般的な人気を得ることはかなわなかったが、それなりに根強いファンを獲得し、日本ロックシーンに唯一無二とも言える存在感を放ち続けている。ドラマーは変遷があったが、ギターの和嶋とベースの鈴木は不動で、そういう意味で言えば「人間椅子」というバンドは和嶋と鈴木の二人によるバンドなのかもしれない。

 「イカ天」から発売された、このミニ・アルバムは、人間椅子のファンの間では「0thアルバム」と呼ばれているという。メジャー・デビュー・アルバムを「1stアルバム」とするなら、このミニ・アルバムは「0th」というわけなのだろう。その「0th」アルバムである、このミニ・アルバムの収録曲のうち、「りんごの泪」と「人間失格」、「桜の森の満開の下」の3曲はメジャー・デビュー・アルバムである「人間失格」に新録音ヴァージョンで収録されたが、他の4曲は収録されなかった。「人面瘡」と「陰獣」が収録されていなかったことに少しばかり落胆を覚えたものだった。後に「人面瘡」は1994年に発売されたベスト盤「ペテン師と空気男」に収録され、「陰獣」と「猟奇が街にやってくる」は「イカ天」出演から20年を経て2009年に発売された「人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤」に新録音ヴァージョンで収録されたが、「神経症 I LOVE YOU」は再収録がなされていない(2010年4月現在)。その意味でもファンにとっては意味のある「0th」アルバムだろう。

 このミニ・アルバムは、発売の経緯から言っても、それほど制作に時間はかけられていないだろう。ほとんど”一発録り”に近い収録がなされたのではないかと思う。メジャー・デビュー・アルバムと聴き比べてみてもそれは明らかで、よく言えば”ガレージ・バンド的”な、悪く言えば”デモ・ヴァージョン的”な、荒削りな演奏だ。”完成度”という点で言えば、メジャー・デビュー後の作品に及ばないのは確かだが、しかしこのミニ・アルバムには妙な魅力を感じてしまう。件の大好きな楽曲「りんごの泪」にしても、メジャー・デビュー盤に収録されたヴァージョンよりも、このミニ・アルバムに収録されたヴァージョンの方に、個人的には大きな魅力を感じてしまうのだ。「イカ天」に出場して衆目を集め、認められ、曲がりなりにもCDを制作し、それを”代金を払っても手に入れたいと思う人々”に対して売るという機会に恵まれた時の、彼らの思いは想像に難くない。このミニ・アルバムに収録された彼らの演奏には、そんな彼らの”心意気”のようなものが渦巻いているように思われてならない。”名盤”だと言うつもりはないが、若いロック・バンドの熱気渦巻く好盤であることは断言したい。

 このミニ・アルバムはもちろんすでに廃盤、制作の経緯から考えてもリイシューされることはまずないだろう。しかし人間椅子のファンであるならば、何とかして入手したいアルバムだ。中古CDショップやネット・オークションで見かけたときは、即決すべし。