幻想音楽夜話
Paper Lace ... And Other Bits Of Material
1.Billy - Don't Be A Hero
2.Hitchin' A Ride '74
3.I Did What I Did for Maria
4.Mary In The Morning
5.Sealed With A Kiss
6.Bye Bye Blues
7.Happy Birthday Sweet Sixteen
8.The Night Chicago Died
9.Love Song
10.Dreams Are Ten A Penny
11.Love - You're A Long Time Coming
12.Cheek to Cheek

[Bonus Track (Repertoire REPUK 1008)]
13.Celia
14.Can I Get It When You Want It
15.Black Eyed Boys
16.Jean
17.So What If I Am
18.Himalayan Lullaby

Phil Wright : vocals and drums.
Cliff Fish : vocals and bass guitar.
Michael Vaughan : lead guitar.
Chris Morris : rhythm guitar.
Carlo Santana : guitar.

Original Album Produced by Mitch Murray and Peter Callander.
Original Album Released as Philips 6303116 in 1974.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代の洋楽ヒット・ポップスを聴いていた人なら「Billy - Don't Be A Hero(日本では「悲しみのヒーロー」という邦題が付けられた)」と題されたヒット曲を覚えているのではないだろうか。Bo Donaldson & The Heywoods というアメリカのグループによるヒット曲で、アメリカでは1974年6月にビルボードチャートのトップを獲得する大ヒットになった。日本では少し遅れて1974年の秋から冬にかけて、これも“大ヒット”と呼んで差し支えないヒットになった。明るく軽快な曲調と親しみやすいメロディーが人気を得たのだろうと思うが、その曲調に反して内容は悲しい“反戦歌”である。兵となって戦地に向かうビリーに対して、婚約者が「ビリー、英雄なんかにならないで。戻ってきて、そして私をあなたの奥さんにしてね」と呼びかけるが、その婚約者の元へビリーの戦死の報せが届く。大雑把に言えば、そのような内容が歌われている。

 この「Billy - Don't Be A Hero(悲しみのヒーロー)」、アメリカと日本では Bo Donaldson & The Heywoods の歌と演奏によってヒットしたが、実はオリジナルは彼らではない。この楽曲のオリジナルを発表したのはイギリスのグループ「Paper Lace」である。 Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」は1974年のイギリスでの大ヒット曲だ。1974年3月、この曲は英国チャートのトップに3週間居座ったという。Bo Donaldson & The Heywoods は Paper Lace によるイギリスでの大ヒット曲をカヴァーして発表したというわけだ。Bo Donaldson & The Heywoods によるヴァージョンが大ヒットになったアメリカと日本でも、Paper Lace による“オリジナル”の「Billy - Don't Be A Hero」のシングル盤が発売されてはいる。しかしアメリカでの Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」のチャートアクションは96位止まり、日本でもこの曲がヒットしているときに Paper Lace のヴァージョンがラジオから流れる機会はほとんど無かったのではないかと思う。

 Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」が日本で発売されたときのことを憶えている。1974年の夏頃のことだったろうか。ラジオの音楽番組の「新曲紹介」のようなコーナーで取り上げられたのだ。Paper Lace というイギリスのグループのことや、彼らのデビューシングルである「Billy - Don't Be A Hero(悲しみのヒーロー)」のことについて簡単な説明がなされて楽曲がオンエアされた。軽快な曲調でありながら、内容に相応しいもの悲しさを湛えた印象、英国のグループらしい演奏とアレンジが魅力的だった。一度聴いただけで大好きになった。

 その「悲しみのヒーロー」を Bo Donaldson & The Heywoods というアメリカのグループがカヴァーして発表したというニュースを知ったのも同じ番組だった気がする。そして、前述のようにアメリカと日本ではオリジナルの Paper Lace ではなく、Bo Donaldson & The Heywoods によるカヴァーヴァージョンの方が大ヒットになってしまうのだ。

 反感を招くかもしれないことを承知で言うが、Bo Donaldson & The Heywoods によるカヴァーヴァージョンの「Billy - Don't Be A Hero(悲しみのヒーロー)」があまり好きではなかった。Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」が湛えていた、いかにも英国のグループらしいウィットや哀感、独特の翳りのようなものが、Bo Donaldson & The Heywoods のヴァージョンには感じられなかった。感情の機微を湛えた曲想の繊細さやアレンジの妙といったものが取り払われ、安直で陽気なポップソングに姿を変えてしまったように感じてしまい、好きになれなかった。Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」が大好きだったから、Bo Donaldson & The Heywoods の「Billy - Don't Be A Hero」が大ヒットになってしまった状況を苦々しく思っていた。Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」という希代の名曲が Bo Donaldson & The Heywoods ヴァージョンによって台無しにされてしまったとさえ思ったものだ。

 もちろん、Bo Donaldson & The Heywoods にも、Bo Donaldson & The Heywoods ヴァージョンの「Billy - Don't Be A Hero」にも、それを手がけたプロデューサーにも、何ら非があるわけではない。Bo Donaldson & The Heywoods ヴァージョンの方が、特にアメリカと日本の市場向けの“流行歌”としての仕上がりに秀でており、それが商業的な成功につながったというだけのことだ。もし Bo Donaldson & The Heywoods ヴァージョンが存在していなかったら、Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」がアメリカと日本でも大ヒットになったのか、それを検証しても意味はない。Paper Lace には運が無かった。

 それから年月を経て、1970年代のヒット曲を集めたコンピレーションCDが発売されるようになっても、Bo Donaldson & The Heywoods の「Billy - Don't Be A Hero」が収録されることは希にあっても、Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」が収録されることはまずなかった。特に日本編集盤やアメリカ編集盤では、「Billy - Don't Be A Hero」は“Bo Donaldson & The Heywoods のヒット曲”という認識になってしまうのだからそれも仕方がなかった。Paper Lace は「Billy - Don't Be A Hero」の次にセカンド・シングルの「The Night Chicago Died」を発売、これはアメリカでヒットになり、日本でもちょっとしたヒットになったが、これも各種コンピ盤で目にすることはほとんどなかった。Paper Lace というグループはすっかり忘れられたグループになってしまったようで寂しい思いをしていた。Paper Lace の「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」を(そしてできれば未だ耳にしたことのない他の楽曲も)聴きたいとずっと思っていた。

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 時代は移り、インターネットが普及し、家に居ながらに輸入盤CDが販売店のウェブサイトから手軽に買えるようになった。販売店のウェブサイトを見ていて、取り扱い商品の中に「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」を見つけたのは偶然だった。特に「ペーパーレースのCDはないのだろうか」と探したわけではなく、Repertoire レーベルのCDリストの中にたまたま見つけたのだ。それが本頁で取り上げる「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」である。このCDは Repertoire Records (UK) から2003年に発売されたものだ。オリジナルの「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」収録曲に加え、6曲のボーナス・トラックが追加収録されている。CDにはブックレットが付属し、Paper Lace のプロフィールや収録された楽曲などについての解説が(もちろん英語だが)記されており、なかなか良心的なリイシューが成されている。

 「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」は「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」の二大ヒット曲をフィーチャーして発表された Paper Lace のファースト・アルバムである。英国本国では「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」というタイトルで発売されたが、アメリカでは単に「Paper Lace」というタイトルだったようだ。日本では、このアルバムが発売されたのかどうか、寡聞にして知らない。英国本国では「The Night Chicago Died」の後も「Black Eyed Boys」などのシングル曲が発表されたようだが、それらが日本でも発売されたのかどうかさえ、よく知らない。もしかしたら、「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」の2枚のシングル盤以外、日本では発売されなかったのかもしれない。もはやレコード会社の資料を調べる以外に知る方法はないだろうし、今となっては当時の日本での Paper Lace 作品の取り扱われ方を調べたところで大きな意味はあるまい。

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 Repertoire Records (UK) から2003年に発売された「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」に添えられたブックレットの記述などを拠り所に、Paper Lace と、彼らのデビューの背景について少し記しておきたい。

 Paper Lace は、ドラマーでヴォーカリストの Phil Wright が、友人だったベーシストの Cliff Fish を誘い、その二人に Michael Vaughan と Chris Morris、Carlo Santana という三人のギタリストが加わって、1969年に結成されている(ちなみに Carlo Santana はメキシコ人で、名が紛らわしいが、あの有名なギタリストのカルロス・サンタナとは何の関係もないそうだ)。結成後の Paper Lace はクラブでの演奏やTV番組への出演などを経て徐々に知名度を増してゆくが、やがて転機が訪れる。Mitch Murray と Peter Callander というソングライター/プロデューサー・コンビの目に留まり、彼らが新しく立ち上げたニュー・レーベル「Bus Stop」との契約を獲得するのである。

 少し横道に逸れるが、Mitch Murray と Peter Callander の二人についても簡単に触れておこう。Mitch Murray と Peter Callander の二人は1960年代後期の英国ポップ・ミュージック・シーンで名を馳せた有名なソングライター/プロデューサー・コンビだ。Mitch Murray は1960年代初期からソングライターとして活動し、多くの楽曲を世に送り出していた。かの有名なビートルズの“幻のシングル”「How Do You Do It」は他ならぬ Mitch Murray が書いたものである。ジョージ・マーティンはこの曲をシングルとして発売することに意欲的だったようだが、ビートルズのメンバーが自作曲で勝負したいという意向だったらしい(ビートルズが録音した「How Do You Do It」は1995年にリリースされた「The Beatles Anthology 1」に収録されている)。ちなみに「How Do You Do It」は Gerry & the Pacemakers のデビュー・シングルとして日の目を見て、大ヒット曲になった。Peter Callander は作詞家で、主としてフランスやイタリアの楽曲に英語詞を乗せるという仕事をしていたらしい。Cilla Black が歌った「A Fool Am I(原曲は「Dimmelo Parlami」という)」の英語詞は彼の仕事である。その二人がコンビを組んで活動するようになり、数多くのヒット曲を世に送り出す。彼らが手がけた楽曲は The Tremeloes の「Even The Bad Times Are Good」や Cliff Richard の「Goodbye Sam, Hello Samantha」、Vanity Fare の「Hitchin’ A Ride」、Georgie Fame の「The Ballad Of Bonnie And Clyde」、Nana Mouskouri の「Turn On The Sun」、そして Tony Christie の「I Did What I Did For Maria」、「Don't Go Down To Reno」、「Las Vegas」など、細かく挙げてゆけばきりがない。やがて二人は自らのレーベル「Bus Stop」を興す。自分たちの楽曲を自分たちの望む形で世に送り出したいと考えたのだろう。そんな彼らの、発表を待つ作品のひとつに「Billy - Don't Be A Hero」があった。楽曲はすでに出来上がっており、後は「誰に歌わせるのか」ということだったようだ。そして Paper Lace に出会うのである。

 Mitch Murray & Peter Callander の「Bus Stop」と契約した Paper Lace は「Billy - Don't Be A Hero」によって英国デビューを果たす。そして「Billy - Don't Be A Hero」は1974年の春、英国での大ヒットになった。その大ヒット曲を引っ提げて Paper Lace と Mitch Murray & Peter Callander はワールド・ワイドな成功を目指すわけだが、前述したようにアメリカのグループ、Bo Donaldson & The Heywoods が「Billy - Don't Be A Hero」をカヴァーして発表、少なくともアメリカと日本ではこちらのヴァージョンの方が大ヒットになるのである。英国では Paper Lace の歌と演奏によって大ヒットになった「Billy - Don't Be A Hero」が、アメリカと日本では Bo Donaldson & The Heywoods の歌と演奏によって、やはり大ヒットしたという事実は、これらの大ヒットが「Billy - Don't Be A Hero」という楽曲の魅力に拠るところが大きかったということだろう。同じ楽曲でも両者のヴァージョンは味わいが異なり、それがそれぞれの国でのヒットの遠因になっているのかもしれないが、何よりまず楽曲の良さが最も大きなヒットの要因だったに違いない。Mitch Murray と Peter Callander の二人にしてみれば、自分たちの書いた楽曲が(パフォーマーが違っていたとしても)大ヒットになったのだから、喜ばしいことではあったのだろうが、自分たちのレーベルからデビューさせた Paper Lace のアメリカ市場での成功が先送りになってしまったことへの落胆もあって複雑な心境だったに違いない。

 Bo Donaldson & The Heywoods による「Billy - Don't Be A Hero」のアメリカでの大ヒットを横目に、Mitch Murray & Peter Callander のコンビは、これも彼らの手による「The Night Chicago Died」を Paper Lace に提供、彼らのセカンド・シングルとして発表する。これも英国で大ヒットになった。そして今度はアメリカでも、1974年8月にビルボード・チャートのトップを飾る大ヒット曲になる(Bo Donaldson & The Heywoods は「The Night Chicago Died」をカヴァーしなかった)。「The Night Chicago Died」は1920年代のシカゴ、有名な“ギャング”であるアル・カポネを題材にした楽曲で、それがアメリカで大ヒットになった大きな要因でもあるようだ。ともかく、この「The Night Chicago Died」によって、Paper Lace は“先送り”になってしまったアメリカでの成功をようやく手中にしたわけだ。「The Night Chicago Died」は日本でもなかなかのヒット曲になったから、「The Night Chicago Died」をヒットさせたグループとして Paper Lace の名を憶えている人も少なくないかもしれない。

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 「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」には「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」をはじめ、12曲が収録されていた(2003年にRepertoire Records (UK) からリイシューされたCDには、さらにボーナス・トラックとして6曲が追加収録されている)。収録曲は Mitch Murray & Peter Callander コンビによる楽曲やカヴァー曲などで占められ、Paper Lace のメンバーが書いた楽曲は含まれていないようだ。

 「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」の他、「Hitchin' A Ride '74」、「I Did What I Did For Maria」、「Love - You're A Long Time Coming」が Mitch Murray & Peter Callander によるものだ。「Hitchin' A Ride '74」は Vanity Fare が1969年にヒットさせたものの、いわば“1974年 Paper Lace ヴァージョン”、「I Did What I Did for Maria」は Tony Christie によって1971年にヒットした楽曲だ。さらにBrian Hyland の「Sealed With a Kiss」や、Neil Sedaka の「Happy Birthday, Sweet Sixteen」といった60年代アメリカン・ポップスから、アメリカの著名な作曲家/作詞家である Irving Berlin の作品「Cheek to Cheek」や1930年に発表されて今やジャズのスタンダードとなった「Bye Bye Blues(David Bennett、Chauncey Gray、Frederick Hamm、Bert Lown作)などの楽曲もカヴァーしている。興味深いのは「Dreams Are Ten A Penny」をカヴァーしていることだろうか。「Dreams Are Ten A Penny」は1972年に Kincade がヒットさせた楽曲だが、“仕掛け人”はあの John Carter、曲を書いたのももちろん John Carter である。「Dreams Are Ten A Penny」は1974年に「Beach Baby」をヒットさせた The First Class(これも中心人物は John Carter だ)のアルバムにも収録されている。それぞれの歌と演奏を聴き比べてみるのも楽しい。

 そうしたことを列挙していくと自ずと見えてくるが、彼らの音楽の根底にはアメリカン・ポップスへの憧憬があるようだ。ビートルズやローリング・ストーンズをはじめとして、1960年代に登場したイギリスのロック・バンドの多くは、ブルースや1950年代のロックン・ロールなどのアメリカン・ミュージックに触発されて音楽を始めたわけだが、中にはヒット・チャートを賑わす“流行歌”としてのアメリカン・ポピュラー・ミュージックに魅力を感じ、それを指向した人たちもあった。Mitch Murray と Peter Callander の二人はまさしくそうした人たちだったのだろう。Paper Lace のメンバーにも、そうしたアメリカン・ポピュラー・ミュージックへの指向はあったのだろうか。アルバム収録曲にアメリカン・ポピュラー・ミュージックの楽曲が選ばれているのは、推測だが、Mitch Murray & Peter Callander の意向が大きかったのではないか。

 では、このアルバムに収録された Paper Lace と、そして Mitch Murray & Peter Callander による音楽が、アメリカン・ポピュラー・ミュージックと共通する佇まいを持つ音楽なのかと言えば、必ずしもそうではない。アメリカン・ポピュラー・ミュージックを指向し、それを目指して音楽を作ったとしても、仕上がった音楽はどうしてもイギリス的な色彩を帯びてしまう。どこか翳りを帯びて哀感のある印象、ウィットに富んで繊細なアレンジと演奏など、英国のポップ・ミュージックに共通する特徴が、やはり Paper Lace の音楽にもある。

 アルバムに「Dreams Are Ten A Penny」のカヴァーが収録されているということで、 John Carter の手がけた一連の音楽とも比べてしまう。John Carter もまたアメリカン・ポップスへの憧憬を持って音楽を創造した人なのだろう。特に The Flower Pot Men や The First Class の音楽は The Beach Boys の音楽へのオマージュと言っていい。しかしそれでも The Flower Pot Men や The First Class の音楽は The Beach Boys の音楽とはどこか決定的に違い、翳りのある哀感を帯びている。そうしたことに着目して捉えるなら、Mitch Murray & Peter Callander が手がけた Paper Lace の音楽は、John Carter の手がけた The Flower Pot Men や The First Class などの一連の作品群、さらにThe First Class でもヴォーカルを務めたTony Burrows が同じくヴォーカルを務めた Edison Lighthouse の「Love Grows (Where My Rosemary Goes)」などとも少なからぬ共通項を持つものかもしれない。John Carter は有能なセッション・ミュージシャンを集めてグループを作り、自作曲を演奏して発表するという手法がメインだったが、Mitch Murray & Peter Callander の場合は Paper Lace という新人グループに同じ役目を託したということなのだろう。

 軽やかで親しみやすくキャッチーなメロディを持ち、それでいて翳りのある印象の中に哀感を漂わせた楽曲を、ロック・バンドの体裁を持つグループが繊細でウィットに富んだ演奏によって聴かせるポップ・ミュージックというものが、考えてみれば英国ポップ/ロック・ミュージック・シーンには数多い。そうした音楽の頂点にあるのは、紛れもなくビートルズだ。ビートルズの音楽はあまりに“高み”にあり、そのロック・ミュージックとしての革新性が全世界の音楽に与えた影響があまりに大きすぎるために、そのように意識することは少ないが、前述のような特徴を持つポップ・ミュージックとしての一級品であることは間違いない。そのビートルズを頂点として大きく広がる裾野の中に、英国のロック/ポップ・ミュージックとしてのアイデンティティを持つ数多くのグループがあった。同時代を共有したグループもあったし、フォロワーとして登場したグループもあった。そうしたグループの中に、Paper Lace もまた位置しているのだろう。Paper Lace の音楽を聴いていると、ふと Badfinger の音楽との類似を感じることがあるが、それもまたそうした共通項によるものだろう。

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 「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」は、そうした英国のグループの生み出すポップ・ミュージックとしての魅力を存分に味わえるアルバムだ。どの楽曲も優れた英国ポップ・ソングとしての魅力に満ち溢れており、ポップ・ソングを聴く愉しみというものを充分に味わわせてくれる。収録された楽曲のすべてがシングル曲としてヒットする可能性を持っているのではないかと思えるほどだ。Paper Lace というグループは演奏や歌唱の技術に特に秀でた人たちとは言い難いが、彼らならではの“味”があり、その音楽には Paper Lace としての個性が充分に感じられる。それによって Mitch Murray & Peter Callander によるオリジナル曲やアメリカン・ポップスのカヴァーなどが混在したアルバムもひとつの色調に統一され、散漫な印象にならずに済んでいるのだろう。

 やはり「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」が強く印象に残るが、他の楽曲も味わい深いものばかりだ。「Sealed With a Kiss」や「Happy Birthday, Sweet Sixteen」といったアメリカン・ポップスの楽曲もうまく Paper Lace 流にアレンジされており、英国的な佇まいを持つポップ・ミュージックに仕立て直されているという印象がある。「Bye Bye Blues」や「Cheek To Cheek」でさえ、英国風ポップ・ロックとしての表情を得ている。軽快な楽曲もいいが、「Mary In The Morning」のようなバラードもいい。「Dreams Are Ten A Penny」もいい。John Carter 本人が手がけた The First Class のヴァージョンと比べてしまって思わずにやりとしてしまうが、Paper Lace ヴァージョンも楽曲の魅力を損なうことなく、うまく仕上げられている。

 Repertoire Records (UK) からの2003年リイシュー盤CDに収録された6曲のボーナス・トラックは、オリジナル・アルバム未収録だったシングル曲やそのB面曲だ。「Celia」と「Can I Get It When You Want It」は、それぞれ「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」のB面曲のようだ。「Black Eyed Boys」は「The Night Chicago Died」の次に発売されたシングル曲、「Jean」はそのB面曲、「So What If I Am」は1976年に発売されたシングル、「Himalayan Lullaby」はそのB面曲だ。すべての楽曲が Mitch Murray & Peter Callander のコンビによって書かれたもので、「Billy - Don't Be A Hero」や「The Night Chicago Died」と同じ佇まいを持つものだと言っていい。

 ボーナス・トラックの楽曲群も含めてこのアルバムを聴いていて改めて思うのは、やはり Mitch Murray & Peter Callander によって書かれた楽曲のクオリティの高さだ。「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」はもちろん、他の楽曲もポップ・ソングとしての出来栄えは素晴らしいものだ。「Sealed With A Kiss」や「Happy Birthday Sweet Sixteen」、「Bye Bye Blues」といったアメリカン・ポップスの名曲と並んでも何ら遜色がないと思えるほどだ。Mitch Murray & Peter Callander のコンビは、英国ポップ/ロック・ミュージック史に残る名ソングライター/プロデューサー・コンビであることは間違いない。

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 1974年の夏には「The Night Chicago Died」に続くサード・シングル「Black Eyed Boys」を発表(本アルバムのボーナス・トラックとして収録されている)、これも英国チャートを賑わすヒットになったが、それ以降の Paper Lace はヒット曲に恵まれなかった。1975年にはセカンド・アルバム「First Edition」を発表するが、この頃には Paper Lace は Mitch Murray & Peter Callander からの離脱を考えるようになったようだ。Mitch Murray & Peter Callander の二人と Paper Lace のメンバーとの関係がどのようなものであったのかは知らない。フレンドリーなものであったのかもしれないし、確執や軋轢があったのかもしれない。デビュー時はヒットに恵まれながらも、やがて失速していく中で、Paper Lace と Mitch Murray & Peter Callander との関係も変化していったのかもしれない。さまざまに推測することができるが、それをここで詳しく言及しても仕方がない。どのような経緯であったのかはともかく、Paper Lace は Mitch Murray & Peter Callander と Bus Stop の元を離れようとしたようだ。Paper Lace は規模の大きなレーベルと契約しようとして訴訟問題にもなったらしい。訴訟はやがて示談で解決したようだが、結果的にそのまま Paper Lace の未来も閉ざされてしまう形となってしまったらしい。

 もし Paper Lace が円満に Mitch Murray & Peter Callander の元から巣立ち、新たなステージに活躍の場を得たとして、そこでさらなる成功を得ることができたのかどうか、それはもはやわからない。敢えて辛辣な意見を述べさせてもらうなら、Paper Lace のデビュー時の成功が、Mitch Murray & Peter Callander の楽曲とプロデュースの力に負うところが大きかったのは間違いあるまい。Mitch Murray & Peter Callander の元を去ったとしたなら、Paper Lace には Mitch Murray & Peter Callander に匹敵する、あるいはそれ以上のソングライター/プロデューサー・チームの助力が必要だったろう。

 「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」というアルバムは、単に Paper Lace というグループのファースト・アルバムであるというだけにとどまらない。「Billy - Don't Be A Hero」と「The Night Chicago Died」の二大ヒット曲がそうであるように、このアルバムもまた Paper Lace というグループと Mitch Murray & Peter Callander というソングライター/プロデューサー・コンビが一つのチームとなって共に造り上げた、いわば“Paper Lace & Mitch Murray & Peter Callander”の作品なのだ。Mitch Murray & Peter Callander という才能がなければ、このように魅力的な Paper Lace の音楽は実現しなかったろう。その Paper Lace の音楽の最良の部分がこのアルバムには封じ込められている。このアルバムはそのようなアルバムなのだ。

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 「Paper Lace ... And Other Bits Of Material」は、一つのアルバム作品としては“名盤”と呼べるようなものではないだろう。しかし英国ポップの希代の名曲「Billy - Don't Be A Hero」の、そのオリジナルである Paper Lace による歌と演奏を収録した、Paper Lace のファースト・アルバムである。このアルバムには当時の英国ポップの魅力が存分に詰まっている。1960年代後半から1970年代初期にかけての英国ポップを愛するファンならきっと満足できるアルバムに違いない。そして、Bo Donaldson & The Heywoods ヴァージョンではなく Paper Lace ヴァージョンの「Billy - Don't Be A Hero」が大好きだという人には、ぜひとも聴いて欲しい一枚である。

 ところで、蛇足ながら付け加えておくと、グループ名「Paper Lace」の「Lace」はカタカナ表記では「レース」となってしまうので混同しやすいが、「競走」を意味するレース(Race)ではなく、手芸などでお馴染みの、いわゆる“レース編み”のレース(Lace)である。「Paper Lace」、なかなか素敵なグループ名だが、やはり“紙のレース”では耐久性に難があったか。