佳景探訪
天文館
鹿児島県鹿児島市の「天文館」は南九州随一の繁華街として知られる。縦横に連なる商店街には古くからの店舗も数多く軒を並べ、大勢の人たちで賑わっている。残暑の八月、鹿児島天文館を訪ねた。



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「天文館」は鹿児島の市街地中心部に位置する繁華街の通称である。「天文館」という固有の地名は存在せず、通常、鹿児島市電の天文館通電停と「天文館通り」を中心とした東千石町、中町、金生町、呉服町、千日町、山之口町周辺にかけて広がる商業地域を「天文館」と呼ぶようだが、元よりその範囲の定義は曖昧で、地元の人たちの間でも“どの範囲を「天文館」とするか”ということが話題になったりするようである。

この地域は江戸時代には鶴丸城の城下町だったところで、現在の「天文館通り」周辺には武家屋敷が並び、東側の「いづろ(石灯籠)通り」を中心とした金生町、呉服町、中町、大黒町一帯には町人の町が広がっていた。その武家町の一角に、1773年(安永2年)、薩摩藩第八代藩主の島津重豪が天体観測のための施設「明時館」を開設した。「明時館」では天体観測の成果を元に「薩摩暦」という独自の暦を制作していたという。「明時館」は「天文館」とも呼ばれ、それが現在の繁華街の通称としての「天文館」の由来である。「天文館通り」という名は大正期になって名付けられたものらしいが、「天文館」はいつしかこの地域を総称する名として定着していったということなのだろう。

明治維新後も「いづろ通り」沿いは商人の町としての賑わいを維持し、さらに発展していったということだが、武家町は屋敷の持ち主が移住して空き地も多く、寂しいところだったらしい。その屋敷跡に商業施設が建ち始めるのは明治中期以降のことで、明治末期になると映画館や劇場が開業して賑わうようになった。大正期から昭和初期にかけて路面電車が開業すると映画館や劇場への客も増え、それを目当てに周辺には飲食店が建ち並んだ。大正初期には山形屋呉服店が鉄骨鉄筋コンクリート造、モダンルネッサンス様式の新社屋を完成させ、この建物を見物に訪れる客でますますの賑わいを見せるようになったという。

1945年(昭和20年)、鹿児島もアメリカ軍による幾度かの空襲を受ける。「鹿児島大空襲」である。本土最南端という地理上の理由に加え、知覧などの特攻基地があったことから鹿児島への空襲は激しかったようだ。死者3300人余、負傷者4600人余という被害を受けた空襲だったが、これによって「天文館」の繁華街も壊滅的な被害を受け、一面は焼け野原になってしまった。しかし同年9月には山形屋が営業を再開、その後急速に復興を成し遂げ、昭和30年代には再び繁華街の賑わいを取り戻している。

南九州随一の繁華街と謳われる「天文館」だが、近年では空洞化が懸念されているという。2004年(平成16年)に九州新幹線の八代〜鹿児島間が開通(2011年には博多〜鹿児島間が開通)、それに合わせて鹿児島中央駅には大型の複合商業ビルが建つなどして再開発も進み、さらに近郊に大型の商業施設が複数開業し、それらが集客力を高めて鹿児島の商業地域が分散化、「天文館」もその影響を免れないのだろう。九州新幹線は博多〜鹿児島間を1時間半ほどで結ぶ。観光客の誘致という点では有利だが、県内の買い物客の流出を招くという側面もあるかもしれない。「天文館」では新たな魅力の創出、地域の活性化に力を注いでいるようである。

近年の空洞化が懸念されているとは言え、しかしやはり“南九州随一の繁華街”である。歴史ある商店街らしい佇まいの中に今もなかなかの賑わいを見せる。今回訪れたのは8月半ば、「天文館」を歩く人たちの中には夏休みを利用して帰省した人たちや観光客の姿もあるのだろう。

「天文館」一帯はいくつもの商店街が縦横に入り組み、それらが複合的に組み合わさって一大繁華街を構成している。「天文館本通り」や「にぎわい通り」、「はいから通り」、と言った名の通りに混じって「天神馬場通り」や「なや(納屋)通り」、「木屋町通り(きやんまっどおい)」と言った名の通りがあるところなどは、その歴史を物語るものだろう。「なや通り」は昔は「納屋馬場(なやんばあ)」と呼ばれていたところで、2015年(平成27年)で400周年だそうである。

鹿児島市電天文館通電停から北へ、「天文館本通り」を100メートルほど行ったところの道脇、店舗の入口横に「天文館跡の碑」がひっそりと建っている。かつて島津重豪が「明時館」を建てた場所である。足を止める人はほとんどないが、観光のために「天文館」を訪れたなら、「天文館跡の碑」は見ておきたい。今は店舗が建ち並び、アーケードを設けた商店街だが、「明時館」があった頃の様子を想像してみるのも一興だろう。

「天文館」の商店街は、そのほとんどにアーケードが設置されている。その総延長距離は約2kmにもなるようだ。アーケードを設けた商店街はかつて高度経済成長期に全国に多く造られたが、近年は少なくなる傾向にあるようだ。商店街のアーケードは雨の日でも快適に買い物が楽しめるという利点があるが、「天文館」の場合はそれにも増して夏の日差しや、何より桜島の降灰を防ぐという大きな目的があり、アーケードの存在なくしては「天文館」を語れないと言ってもいい。各商店街のアーケードが複雑に繋がり合う様は必見である。

「天文館」には当然のことながら飲食店も数多く軒を並べる。有名な老舗も少なくないから、訪れた時にはそうした店で食事を楽しんでみたい。ラーメン好きな人なら「鹿児島ラーメン」を味わっておきたいところだろう。今ではすっかり全国的な知名度を得た夏の味覚「白熊」も「天文館」が発祥だという。「白熊発祥の店」として知られる「天文館むじゃき」で「白熊」を味わうのもお勧めだ。
山形屋

山形屋

山形屋

山形屋

山形屋
金生町の通り沿いに店舗を構える山形屋は1751年(宝暦元年)創業という老舗の百貨店である。山形屋の歴史は、出羽国山形に生まれた源衛門が紅花仲買と呉服太物行商を興したことに始まる。源衛門は大阪に蔵屋敷を置き、その商売は大いに繁盛したという。その源衛門が島津重豪による商人誘致政策を聞きつけ、1772年(安永元年)、35歳の時に一家で薩摩に移住してくる。一家は木屋町(現在の金生町)に呉服太物店を構える。その店の名が山形屋である。名は源衛門の出身地である山形に因んだものらしいが、「やまがたや」ではなく「やまかたや」と発音するのは商売繁盛を願って濁音を嫌ったためという。

時代は徳川の世から明治、大正と移り、山形屋は、1916年(大正5年)、48万円の工費と2年8ヶ月の工期を費やして鉄骨鉄筋コンクリート造りの新店舗を完成させる。地下1階、地上4階のモダンルネッサンス様式の建物は評判となり、見物に訪れる人々で賑わい、英国オーチス社による最新式エレベーターには順番待ちの行列ができるほどだったという。翌1917年(大正6年)には株式会社山形屋呉服店が設立される(それまでは個人経営だった)。その定款には“デパートメントストアを営む”旨が明記されていたそうで、これが百貨店としての山形屋の事実上の出発点と言えるかもしれない。ちなみに1925年(大正14年)には山形屋友の会である「七草会」が発足している。「七草会」もなかなかの歴史を持っているのである。

1945年(昭和20年)の鹿児島空襲では山形屋も被災したが、1953年(昭和28年)には復興、昭和30年代以降は幾度からの増築や改築などを経て現在に至っている。現在、電車通り沿いに建つ一号館のルネッサンス様式の建物は1998年(平成10年)に外装工事が行われたものだそうだ。そのデザインは大正5年に竣工した建物へのオマージュなのだろう。現在、山形屋は鹿児島市の他、川内市、霧島市(旧国分市)、宮崎市、(宮崎県)日南市などに店舗を構える。宮崎山形屋や日南山形屋に慣れ親しんで育った身としては、天文館の山形屋には、“あの山形屋はここから始まったのか”という、感慨にも似た思いがある。見慣れたロゴやシンボルマークなども少し違って見えるから不思議である。
天文館

天文館
「天文館」の名は鹿児島県内のみならず、宮崎県でもよく知られている。名実ともに“南九州地域随一の繁華街”だ。鹿児島を訪れたなら一度は「天文館」の商店街に身を置き、町の佇まいを楽しんでおきたい。メインの商店街から小さな路地裏へ、気の向くままに足を向けて町歩きを楽しむといい。「天文館跡の碑」や、通りの昔の名を記した標柱など、古い時代の名残を見つけられるのも楽しい。散策に疲れたら気に入ったお店を探して食事やお茶を楽しもう。こうした商店街散歩の好きな人の期待に充分に応えてくれる「天文館」である。
参考情報
交通

天文館は鹿児島市街中心部で、バス路線や市電などの路線が集中しており、アクセスは便利だ。土地勘の無い人は鹿児島市電を利用するのがわかりやすいだろう。「天文館通」電停や「いづろ通」電停で下車すれば天文館の繁華街に至近だ。「鹿児島中央駅前」電停から「天文館通」電停まで5分ほどだ。

車で訪れる場合は天文館周辺に点在する民間駐車場を利用すればよい。遠方から車で訪れる場合には、まず九州自動車道や国道3号線、国道10号線などを利用して鹿児島市中心部を目指そう。

飲食

天文館は規模の大きな繁華街だ。さまざまな飲食店がある。散策を楽しみつつ、好みの店を探せばいい。

周辺

天文館の繁華街を北西側へと通り抜ければ照国神社だ。照国神社前から北へ、国道10号線(磯街道)を辿れば西郷隆盛像や鶴丸城趾などがあり、歩道は「歴史と文化の道」と名付けられた散策路として整備されている。その西側は城山、城山からは鹿児島市街と桜島とを一望する。城山の麓の「西郷隆盛洞窟」や「西郷隆盛終焉の地」なども余裕があれば訪ねてみたい。

鶴丸城趾横の「城山入口」交差点から東へ辿れば1km足らずで鹿児島港の桜島フェリーターミナルに着く。桜島フェリーは昼間は15分間隔で運行し、鹿児島港と桜島を約15分で繋いでおり、桜島へも気軽に渡ることができる。フェリーターミナルの横にはかごしま水族館やウォーターフロントパークなどもある。ウォーターフロントパークへは「いづろ」交差点から歩いても数百メートル、歩いても10分かからない。

天文館の西南側、加治屋町には甲突川の左岸に沿って「維新ふるさとの道」という散策路があり、一角に「鹿児島市維新ふるさと館」が建っている。西郷隆盛生誕地、大久保利通生誕地なども近い。

鹿児島市街の観光名所を繋いで市営や民営の周遊バスが運行しており、これを利用すれば石橋記念公園仙巌園なども便利に訪ねることができる。
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