幻想音楽夜話
カルメン・マキ&OZ
1.六月の詩
2.朝の風景
3.Image Song
4.午前1時のスケッチ
5.きのう酒場で見た女
6.私は風

カルメン・マキ : vocal
春日博文 : electric guitar, acoustic guitar
千代谷晃 : electric bass
石川清澄 : piano, Hammond organ
吉田宣司 : drums

Thanks to
深町純 : strings arrangements, piano, Hammond organ, Melotron, synthesizer, clarinet
安田裕美 : acoustic guitar
成瀬ヒロ : electric bass
西哲 : drums

Producer : 金子章平
1975 Pplydor K.K.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 カルメン・マキ&OZのデビュー・アルバムが発表されたのは1975年のことだ。おや、と思って資料本やWEBサイトなどで確認してみたが、1975年で間違いないようだ。「午前1時のスケッチ」を初めて聴いたときの、記憶に残っている状況から言えば1977年頃だった気がする。とすると、その頃にはすでにカルメン・マキ&OZはセカンド・アルバムと、もしかしたらサード・アルバムも発表した後のことになる。そんなことはないような気がする。彼らがレコード・デビューして間もない頃に、その曲を初めて聴いた気がする。どこかで記憶が入れ違ってしまっているようだ。人間の記憶など、そんなものかもしれない。

 しかし「午前1時のスケッチ」を初めて聴いたときの衝撃だけははっきりと憶えている。聞くともなく聞いていたFM放送から、突然ハードなギターのリフが聞こえてきて耳を奪われた。あの頃は「ハード・ロック」が大好きだったから、そのイントロにたちまち惹きつけられた。「ブリティッシュ・ハード・ロック」風のサウンドだったが、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、ユーライア・ヒープ、ブラック・サバスなどといった聞き慣れたバンド達の音とは明らかに音像の印象が違う。いったい何というバンドの曲なのだろうかと興味を覚えて耳を傾けていたのだが、ヴォーカルが聞こえてきてさらに驚いた。なんと日本語ではないか。それも女性ヴォーカルだ。強烈なシャウトを聴かせる女性ヴォーカル、それまでの日本の音楽シーンにはいなかったタイプのシンガーだ。歌っているのはいったい誰なのか。

 曲が終わった後の曲名の紹介で、「カルメン・マキ&オズ」というバンドの「午前1時のスケッチ」という曲であることを知った。カルメン・マキというのは、あの「時には母のない子のように」のカルメン・マキなのか、と、ここでまたも驚きを感じたのを思い出す。カルメン・マキが「時には母のない子のように」の後、ロック・シンガーに「転向」していたことを、その時まで実はまったく知らなかった。

 カルメン・マキは1969年に「時には母のない子のように」で歌手デビューし、その年の「紅白歌合戦」にも出場している。寺山修司の「天井桟敷」の出身であることなどが話題になったものだ。そのカルメン・マキがジャニス・ジョプリンに影響を受け、「ロック」を志していたことはずいぶん後になって知った。「カルメン・マキ&OZ」の結成は1972年のことだそうだが、1971年には竹田和夫のブルース・クリエイションとのコラボレーション・アルバムを発表して、壮絶なブルース系ハード・ロックを聞かせている。そうしたこともかなり後になって知った。

 ともかく、その時に聞いた「午前1時のスケッチ」が、日本ロック・シーンに於ける希有の女性シンガー、カルメン・マキとの出会い(いや、正確には再会というべきか)だった。迷わずレコード店に走った。買い求めた「午前1時のスケッチ」のシングル盤を、飽きるほどに聴いた。これほどのハード・ロックを聴かせるバンドは、当時の日本ロック・シーンにはなかった。とにかくカルメン・マキのパワフルで情感溢れる歌唱の魅力が圧倒的だった。

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 カルメン・マキは本名をMaki Annette Lovelaceといい、父はアメリカ人、母は日本人、1951年に神奈川県鎌倉市に生まれている。1960年代の終わり、寺山修司の主宰する「天井桟敷」の舞台に感銘を受けて入団、有名な「書を捨てよ、町へ出よう」で初舞台を踏んだという。寺山修司作詞による「時には母のない子のように」で歌手デビューするのが1969年のことだ。その歌詞の内容がいろいろと物議を呼んだ楽曲だが、美しい顔立ちながら無表情なまま、どちらかと言えば無気力な感じで歌う彼女の姿はどことなく翳りを帯びて印象深かった。いわゆる「アングラ・フォーク」の分野に扱われてさまざまに取り沙汰されたものだった。その後には、やはり寺山修司の作詞による「山羊にひかれて」などを歌ってそれなりに人気を保ったが、やがて彼女の姿は日本の音楽シーンから消えてしまったかのように見えた。

 しかし実はジャニス・ジョプリンに傾倒したカルメン・マキは「ロック」を指向し、1971年にはブルース・クリエイションとのコラボレーション・アルバムを発表、1972年に「カルメン・マキ&OZ」結成に至っている。結成当時のOZはギターの春日博文を筆頭に、ベースには鳴瀬喜博、ドラムには樋口晶之という錚々たるメンバーだったようだが、春日以外のメンバーは流動的で、「午前1時のスケッチ」のレコーディングにはベースには成瀬ヒロ、ドラムには西哲、キーボードに深町純が参加している。さらにデビュー・アルバム録音時のメンバーはベースに千代谷晃、ドラムに古田宣司、キーボードに石川清澄と変わり、深町純がゲスト・メンバーとして名を連ねている。そのバンド・メンバーも、このアルバムが発売される頃にはまた変わってしまっている。「カルメン・マキ&OZ」というバンドは、実質的にはカルメン・マキと春日博文のふたりによるユニットであったと言うこともできるかもしれない。

 そうして1975年の初頭、カルメン・マキ&OZのデビュー・アルバムが発表される。個人的には「時には母のない子のように」や「山羊にひかれて」の時代以降、「午前1時のスケッチ」を聴くまでカルメン・マキの活動をまるで知らなかったから、さまざまな噂に伝え聞くのみだが、彼らのレコード・デビューは「待ちに待った」というか、「満を持して」という形容が相応しいものだったらしい。すでに数々のライヴをこなして圧倒的な人気を得ていた彼らのレコード・デビューは、彼らのファンにとって、いや彼らを知る当時のロック・ファンのすべてにとって待望のものであったようだ。なるほどそれはそうであったに違いないと、このアルバムを聴きながら思う。

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 カルメン・マキ&OZというと、シングルとして発表された「午前1時のスケッチ」や、名曲「私は風」でのハードなサウンドが印象深いが、このデビュー・アルバム全体を見ると、必ずしも彼らが単純な「ハード・ロック・バンド」ではなかったことがわかる。今ではその音楽のスタイルを言い表す言葉として「ハード・ロック」などという形容を便利に用いてしまうが、当時のロック・バンドは、そして「ロック・ミュージック」という総体そのものが、今から考えるより遙かに多面性を持ち、「ハード・ロック」はそのひとつの側面でしかなかった。例えばキング・クリムゾンは一般には「プログレッシヴ・ロック」として認識されているが、フリー・ジャズでもあり、ヘヴィ・メタリックなハード・ロックとしての側面も持っていた。レッド・ツェッペリンは一般には「ハード・ロック・バンド」だが、その音楽の内包する先鋭性は「プログレッシヴ・ロック」と呼ばれるもののそれに何ら劣ることがない。同様に、カルメン・マキ&OZは一般には「ハード・ロック」であるかもしれないが、その一言では形容することのできない豊かな音楽性を携えてファンを魅了した。圧倒的な存在感を放つマキのヴォーカルを中心に据えて、彼らの音楽の何とスケール感に富んで力強く、情感豊かであることだろうか。

 冒頭の「六月の詩」は8分半ほどの楽曲で、リリカルなピアノ演奏によって静かに始まり、やがて一気に力強く展開する構成はドラマティックだ。加治木剛による歌詞はなかなか象徴的で少々難解さもあるが、それだけに聴く者の想像力を刺激して素晴らしく、その歌詞がマキによって歌われるとまた新たな意味が吹き込まれて、思わず引き込まれてしまう。春日博文のギターも味わい深く魅力的で、中盤で聞かれるソロも聴き応え充分だ。名曲と言ってよいのではないか。

 「朝の風景」はマキ自身の作詞による楽曲で、演奏時間は5分ほど。楽曲のタイトルが意味するように、軽やかで爽快な感じが印象的な楽曲だ。それぞれに存在感のある楽曲の並ぶアルバムの中では少々印象が薄くなってしまうが、決してつまらない曲だというわけではない。比較的シンプルでストレートな構成の楽曲だが、このような楽曲もまた素晴らしい。マキのヴォーカルもバンド演奏も充分に聴き応えがあって無視できない。

 「Image Song」は11分ほどの長い曲だが、その演奏時間に負けない雄大な印象の楽曲だ。ゆったりとしたリズムに乗ったピアノの演奏、アコースティック・ギターの響き、そこへ食い込むように響き渡るエレクトリック・ギターのソロ演奏と、そしてマキの歌声が力強い。歌詞は加治木剛とマキ自身による共作のようで、味わい深い内容が楽曲の魅力を引き立てている印象だ。この楽曲ではストリングスも用いられているが違和感はなく、哀しい追憶のような楽曲の世界によく似合っている。

 「午前1時のスケッチ」は、他の楽曲とは演奏メンバーが違っており、おそらく彼らのデビュー・シングルとしてアルバムに先行して録音されたものなのだろう。シングルではいきなりハードなギター演奏から始まったが、アルバムではそれに先だって夜の街を思わせる車の音などの効果音が挿入され、楽曲のイメージを象徴している。シングル曲として制作されたためか、演奏時間は比較的短く、5分足らずだが、それだけに凝縮されたような力強さを感じさせて聴き応えがある。ハードに響き渡る春日博文のギター、パワフルにシャウトするマキのヴォーカルの迫力が凄まじい。1970年代日本の「ハード・ロック」に於ける屈指の名曲と言っていい。

 「きのう酒場で見た女」は「午前1時のスケッチ」のシングルB面曲だった楽曲だ。歌詞は加治木剛によるもので、チャールストン調の2分半ほどの小品だ。彼らは他にも「嘆きのチャールストン」という楽曲も演奏しているから、チャールストンが好きだったのだろうか。他の楽曲のようなシリアスな感じが薄く、軽妙なタッチが異彩を放っているが、意外に評判はよく、この曲をフェイヴァリットとして挙げるファンは少なくない。

 「私は風」については余計な説明は必要あるまい。日本ロック史上に残る名曲中の名曲だ。マキ自身による歌詞は、おそらく彼女の心情をそのまま投影したものだろう。11分半ほどの長い楽曲だがドラマティックな展開と楽曲の持つ力強さのせいか、その長さを感じさせない。イントロから一気にハードに展開し、中盤にはリリカルな印象の部分を含み、やがて再び力強さが戻ってクライマックスに至る。バンドの演奏もマキのヴォーカルにも、言いようのない「覚悟」のようなものが感じられて、聴く者を圧倒する。素晴らしい。これほどの楽曲と演奏は、なかなか無い。

 収録された楽曲のうち、「午前1時のスケッチ」が加治木剛の作詞作曲、「朝の風景」と「私は風」がマキ自身の作詞、「Image Song」が加治木剛とマキのふたりによる作詞、「午前1時のスケッチ」以外のすべての楽曲の作曲は春日博文による。ギター演奏と作曲との双方でバンドに貢献する春日博文の存在感は大きい。そういった点から考えても、やはり「カルメン・マキ&OZ」というバンドはマキと春日博文のふたりによるバンドだったと言えるのではないか。

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 1996年に発売された「Best Of Carmen Maki & OZ」に寄せた春日博文の手記によれば、カルメン・マキが春日博文を誘ってバンドの結成に至ったという。結成して間もなくはキャバレー回りなども行い、「踊れない」と客に瓶を投げられたこともあったらしい。さもありなん、という気がする。カルメン・マキ&OZの音楽は、そもそも「踊る」ためのロックン・ロールなどとは異なる地平の上に展開している。

 その叙情的で雄大で情感豊かな音楽世界は単なる「ロックン・ロール」や「ハード・ロック」以上のものであったし、どこか知的な香りを放って思索的な深さを感じさせるものだった。彼らが人気の絶頂にあった頃、そのコンサートに足を運ぶ観客の中にはスーツに身を包んだ会社帰りのサラリーマンも少なくなく、他のロック・バンドよりファンの年齢層が高かったという。確かに「六月の詩」や「Image Song」などを聴いていると、これは「大人のための音楽」なのだという気がする。

 とにかく、マキの歌声の魅力は圧倒的だ。情感豊かに楽曲の世界を歌い上げ、時にパワフルに叫ぶ。その歌唱は希有の才能と言っていい。歌声そのものに「力」があり、聴く者の心の中にひとつの世界を現出する。歌声そのものに鳥肌が立つような興奮を覚える。そのような歌唱のできるシンガーはなかなかいない。まさに日本ロック・シーンが誇るべきシンガーのひとりであろう。

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 1970年代に入ってからの日本の音楽シーンは、1960年代末期の「グループ・サウンズ」を経て、ようやく「ロック」が芽吹こうとしていた。さまざまな「ロック・バンド」が登場して、いよいよ日本にも「ロック」が根付いてゆくのかと期待が高まっていた時代だった。しかし多くの日本の「ロック・バンド」は、海外のロックを聴き馴染んだロック・ファンの耳に応えてくれるものではなかった。従来の歌謡曲やフォークといったスタイルより少しだけ「ロックっぽい」ものが、おしなべて「ロック」として扱われたりもした。優れたロック・ミュージックも少ないながら生まれてはいたが、やはりヴォーカルの力強さに物足りなさがあったりした。ツェッペリンやパープルやピンク・フロイドやクリムゾンを愛するロック・ファンは失笑混じりに傍観していたものだ。中にはあからさまに「日本のロック」を蔑む者さえあった。

 カルメン・マキ&OZは、そうした中に強烈なカウンター・パンチのように登場した。カルメン・マキのヴォーカルと春日博文のギターは、欧米のロックに慣れ親しんだファンの耳にも驚愕をもって迎えられたような気がする。カルメン・マキ&OZの登場はまさに衝撃的だった。彼らのこのデビュー・アルバムが当時の「日本ロック」のアルバムとしては驚異的な売上げを記録したということだけでも、そのことの証左と言えるのではないか。

 カルメン・マキ&OZの音楽には有無を言わせぬような圧倒的なパワーがあった。これこそがロックだとでもいうような信念があり、覚悟があった。マキの歌声そのものから、春日のギターの響きそのものから、その信念と覚悟が力強さとなって放たれ、聴く者を圧倒した。カルメン・マキ&OZのデビュー・アルバムは、「日本のロック」であるとかといったことを超えて、当時の「ロック・ミュージック」というものの中に日本から結実した奇跡的な一枚である。後の日本のロック・シーンに多大な影響を与えた作品でもあった。作品としての質の高さ、その完成度も当然のことながら、その歌唱と演奏の凄まじいまでの魅力が聴く者の耳を捉えて離さない。日本のロックを、いや「ロック・ミュージック」というものを愛する者なら、誰もが一度はこのアルバムを聴かねばならない。そう言っても決して大仰ではない。それほどの傑作である。