幻想音楽夜話
閉ざされた町 / カルメン・マキ&OZ
1.Introduction
2.崩壊の前日
3.振り子のない時計
4.火の鳥
5.Lost Love
6.閉ざされた町
7.Epilogue

カルメン・マキ : vocal
春日博文 : guitar
川上茂幸 : bass
川崎雅文 : keyboards
久藤賀一 : drums

Produced by 金子章平 & Erik Scott
1976 KITTY RRCORDS, INC.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 衝撃的なデビュー・アルバムによって一気に日本ロック・シーンの頂点の一角に登り詰めたカルメン・マキ&OZは、翌年の1976年、セカンド・アルバムを発表する。タイトルは「閉ざされた町」という。その音楽性はファースト・アルバムの延長上にあり、ハードでヘヴィなロック・サウンドとリリカルで哀感に満ちた作品世界はそのまま踏襲されていた。日本ロックを代表するバンドのひとつとなった彼らの地位を不動のものにしたアルバムだった。

節区切

 アルバム「閉ざされた町」には全7曲が収録されていた。LPレコード一枚に7曲というのは通常のポップ・ミュージックの尺度で言えば少ないが、さらに「Introduction」と「Epilogue」はそのタイトルのようにアルバム作品の導入部とエンディングを担う役割のインストゥルメンタルの小品だから、楽曲としての形を整えているのは「崩壊の前日」、「振り子のない時計」、「火の鳥」、「Lost Love」、「閉ざされた町」の5曲に過ぎなかった。実質的にはこの5曲でLPレコード一枚のアルバムを構成しているのだから各楽曲の演奏時間は(現在の基準で考えれば)相当長い。「崩壊の前日」が4分半ほどで最も短く、「振り子のない時計」は6分半ほど、「火の鳥」が7分強、「Lost Love」が9分半ほど、「閉ざされた町」に至っては10分を超える。ファースト・アルバムにも「私は風」をはじめとして「六月の詩」や「Image Song」といった長い楽曲が収録されていたが、今回のセカンド・アルバムはそうした方向性の楽曲で占められているという印象だ。1970年代初期のロック・アルバムではこうした長尺曲というのは珍しくなく、LPレコードの片面それぞれに2曲、ないしは3曲しか収録していないというアルバムは決して少なくはなかった。このOZのセカンド・アルバムもそうした方法論に則って創られたものだろう。

 「火の鳥」の歌詞が栗原祐子と加治木剛の共作である以外は、「崩壊の前日」から「閉ざされた町」までのすべての楽曲が加治木剛の作詞、春日博文の作曲によるものだ。今回はマキの作詞による楽曲は含まれていないが、マキの歌唱力の前にはそうしたことはそれほど重要なことではない。これらの楽曲はすべてマキが歌うことを前提に創られたものだろう。彼女が歌うことによって初めて、命が吹き込まれ、音楽作品として形を成すのだ。加治木剛による歌詞は少しばかり抽象的なところもあるが、それがかえって思索的な深さを感じさせてマキのヴォーカル・スタイルによく似合っている。

 何やら予兆めいた響きの「Introduction」に導かれて始まる「崩壊の前日」はブラック・サバスを彷彿とさせるようなヘヴィなハード・ロックだ。このアルバムの中で唯一、ノリの良いグルーヴを聞かせる楽曲だが、決して「軽快なロックン・ロール」という形容の相応しいものではないところがカルメン・マキ&OZらしいところだ。春日博文のギターもハードにヘヴィに響き渡り、マキのヴォーカルも迫力に満ちた凄みを感じさせて聴き応え充分、1970年代日本ロックに於ける「ハード&ヘヴィ・ロック」の名曲にひとつに数えても差し支えあるまい。

 「振り子のない時計」はリリカルなバラードだ。バンドの演奏もマキのヴォーカルも知的に抑制された印象だが、その中に深い情感が滲み出ていて素晴らしい。記憶の中の心象風景を描き出したような表情を持つ楽曲で、少しばかり郷愁を感じさせる曲想が強く印象に残る。

 「火の鳥」は雄大な印象のバラードで、たいへんにドラマティックな楽曲だ。こうした楽曲でマキの歌唱は真価を発揮し、その歌声によって壮大な作品世界を聴き手の前に提示する。エンディングでは春日博文のギター・ソロが響き、やがてフェイド・アウトしてゆく。

 「Lost Love」は哀感に満ちたバラードだが、切々とした情感を醸し出す曲調からやがてハードに展開して盛り上がりを見せる。少しばかりグランド・ファンク・レイルロードの「ハートブレイカー」を彷彿とさせるような構成を見せる楽曲だ。もちろんマキの歌唱は見事に楽曲の作品世界を紡ぎ上げている。「傷み」を感じさせるようなマキの歌声と春日のギターの響きが深く印象に残る楽曲だ。

 「閉ざされた町」はアルバムのタイトル・チューンでもあり、最も長い演奏時間を持つ楽曲でもあり、最も聴き応えのある楽曲だと言っていい。これもブラック・サバス風のヘヴィなリフが響き渡り、迫力充分のマキのヴォーカルが冴える。ハードでヘヴィな前半部からやがてリリカルな静けさを感じさせる中間部を挟み、終盤ではまた迫力ある演奏へと戻ってゆく。彼らの代表曲である「私は風」を彷彿とさせる構成の楽曲だが、「私は風」ほどにはマキの私小説風な感触はなく、作品として独立している印象だ。ハードでヘヴィな演奏とマキのシャウトが唐突に途切れ、そのまま「Epilogue」へと移行するところはなかなか面白い構成だ。

 今回のアルバムは、ファースト・アルバムと同様にリリカルで雄大な印象の楽曲とハードでヘヴィな楽曲とで構成されているが、前作に於ける「きのう酒場で見た女」のような役割を果たす小品が含まれていないために、全体ではかなりシリアスでヘヴィな印象のアルバム作品に仕上がっている。「閉ざされた町」や「崩壊の前日」というタイトルの持つ語感も、そうした印象を強めているということができるだろう。どの楽曲もたいへんにドラマティックな印象を持ち、抽象的な歌詞と相俟って独特の作品世界へと聴き手を連れ去ってくれる。「Introduction」から始まり「Epilogue」で終わるところなど、構成にも凝っており、「コンセプト・アルバム」として捉えることもできるだろう。「閉ざされた町」や「崩壊の前日」ではブラック・サバス風のサウンドだが、キング・クリムゾンを思わせる要素も見え隠れし、当時のカルメン・マキ&OZというバンドの方向性が感じ取れるところだ。

節区切

 アルバム「閉ざされた町」にクレジットされたバンド・メンバーはヴォーカルのカルメン・マキ、ギターの春日博文、ベースには川上茂幸、ドラムに久藤賀一、キーボードの川崎雅文という構成で、ファースト・アルバムのレコーディング時と同じだったのはマキと春日のみで、他のメンバーはすべて違っていた。それはいわゆる「メンバー・チェンジ」と言うより、「カルメン・マキ&OZ」というバンドの場合、ステージ・デビューからファースト・アルバムのレコーディング前後にかけてもマキと春日以外のメンバーが流動的だったことを思えば、そうした状態がそのまま続いていたということだろう。

 カルメン・マキと春日博文以外のメンバーがすべて変わってしまったというのに、その音楽性が(多少は音像の印象に違いはあるものの)ほとんど変わっていなかったということは、けっきょくのところ、カルメン・マキと春日博文のふたりこそが「カルメン・マキ&OZ」そのものだったということだ。それは「カルメン・マキ&OZ」というバンドにとって幸運なことでもあったし、悲運なことでもあっただろう。ファースト・アルバムの音楽性を踏襲したセカンド・アルバムは、肯定的に見るならば彼らの確立された音楽性の所産としてファンを喜ばせたものだったろうし、その反面、否定的な見方をするならば進歩の無い「二番煎じ」的な作品でしかなかったかもしれない。もちろん「進歩」や「変革」が必ずしも良いことであるとは限らないし、「変わらない」ことが価値有ることである場合もあるが、あれから三十年余を経た今になって、このカルメン・マキ&OZのセカンド・アルバムを俯瞰してみたとき、やはり彼らの音楽性を新たな地平に導く「変化」が必要だったのではないかと、惜しまれるのだ。

 しかし、当時、「午前1時のスケッチ」や「私は風」を夢中になって聴いたファンの立場としては、同じ方向性でセカンド・アルバムが作られたことが嬉しかったものだ。「崩壊の前日」を聴いても「午前1時のスケッチ」を初めて耳にしたときのような衝撃は感じなかったが、ブラック・サバス風のヘヴィなギター・リフを血が騒ぐような思いで聴き入ったものだ。カルメン・マキの歌唱はデビュー・アルバムと変わらず圧倒的な魅力に満ちていた。矛盾するようだが、彼らの音楽が「変わらずに在った」ことにこそ、このセカンド・アルバムの魅力と価値があったこともまた認めざるを得ない。

節区切

 「閉ざされた町」は、聴き手に与える衝撃の度合いという点でも、音楽的な完成度という点でも、彼らのデビュー・アルバムを超えているとは言い難いだろう。ヘヴィでシリアスな音楽性はややもすると息苦しい閉塞感を感じさせてしまうものかもしれない。それでも、あるいはそうしたところにこそ、このアルバム作品の魅力はあったかもしれない。当時の日本ロック・シーンに(そしておそらくその後の日本ロック・シーンに於いても)、これほど思索的な深さに満ち、リリカルな雄大さを感じさせ、哀感と郷愁を滲ませて展開するハード・ロックというものは他に存在しなかった。カルメン・マキのように、その歌声の中に繊細な情感と迫力に満ちた凄みを感じさせるシンガーは他に存在しなかった。彼らの音楽が日本ロック・シーンに与えた影響は計り知れない。

 アルバム「閉ざされた町」は「名作」として語られることは少ないが、潜在的に内包する欠点を踏まえてもなお、カルメン・マキ&OZのセカンド・アルバムであるということにその存在意義がある。カルメン・マキ&OZというバンドを愛したファン、当時の日本ロック・シーンが生み出した数々の音楽を愛するファンにとって、忘れられない作品であることは確かだ。