幻想音楽夜話

Blow By Blow / Jeff Beck
1.You Know What I Mean
2.She's A Woman
3.Constipated Duck
4.Air Blower
5.Scatterbrain
6.Cause We've Ended As Lovers
7.Thelonius
8.Freeway Jam
9.Diamond Dust

Jeff Beck - guitars.
Max Middleton - keyboards.
Phil Chenn - bass.
Richard Bailey - drums and percussion.

Produced by George Martin.
Orchestral arrangement by George Martin.
1975 CBS Inc.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 ジェフ・ベックである。あまりに直截な言い方だが、この作品の形容に相応しいのはそんな表現であるような気がする。このアルバムは、ジェフ・ベックである。

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 ジェフ・ベックはヤードバーズに在籍した経験を持ち、そのためもあってか、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンとともに「三大ロック・ギタリスト」などと呼ばれた時代もあった。ヴォーカリストにロッド・スチュワートを擁した「第一期ジェフ・ベック・グループ」時代にはヴォーカリストとギタリストの拮抗が生み出す「ハード・ロック」の方法論を提示して見せた。黒人音楽の要素を取り入れた「第二期ジェフ・ベック・グループ」は少々時代に早すぎた観もあったが、時代を先取りした第一級の音楽であったことは間違いなかった。念願かなって結成したティム・ボガートとカーマイン・アピスとのトリオ「ベック・ボガート・アンド・アピス」も豪快なハード・ロックが素晴らしかった。そのBB&Aも呆気なく解散させたベックは、同じバンドで二作以上のアルバムを作らないなどと言われたものだった。

 そして1975年に発表されたジェフ・ベックのアルバムが、この「Blow By Blow」だった。名義はシンプルに「Jeff Beck」とされ、バンド演奏ながらあくまでジェフ・ベックのソロ作という位置付けだった。サポートのバンド構成はドラムス、ベース、キーボードで、そこにギターのジェフ・ベックが加わるというシンプルなものだった。

 ヴォーカリストはいなかった。作品はいわゆる「イントゥルメンタル・アルバム」だった。口の悪い者たちは「良いヴォーカリストに恵まれないために、ジェフ・ベックの新作はとうとうイントゥルメンタルになってしまった」などと言ったものだった。確かにBB&Aに於けるヴォーカル・パートの「弱さ」を感じていた者にとっては、今回の「イントゥルメンタル・アルバム」は「ヴォーカル」というものに「見切りをつけた」ように映ったかもしれない。ある意味ではそれも正しいだろう。しかしそれは決して新作の制作に当たって良いヴォーカリストに恵まれなかったからという消極的な理由ではあるまい。当時のジェフ・ベックは自らの音楽的創造の理想型を探し求め、そしてそのひとつの解答として、この形態を選んだのに違いない。自分の音楽には、有能で気心の知れたミュージシャンさえいれば、必ずしも「歌」は必要無いのだと、おそらくそうした解答にジェフ・ベックは辿り着いたのだ。

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 そもそもジェフ・ベックという人は「ミュージシャン」である以前に「ギタリスト」である。自らの音楽的表現欲求をギターに託し、その演奏のみによって自らの音楽を創造してゆく。決して「バンドの中のひとり」として仲間と共に音楽を創造してゆくタイプの人ではない。有り体に言えば、自身の作品であろうと他のミュージシャンの作品であろうと、そこに表現の場を与えられて、思うままにギターが弾ければよいのだ。言うなれば「ギター弾き職人」である。決して「アーティスト」ではない。彼の音楽活動に於いて他のミュージシャンの作品に参加したセッション活動は数多いが、それが彼のそうした姿勢を物語っていると言えるのではないか。

 ジェフ・ベックにとって「音楽を成す」ことはすなわち「ギターを弾く」ことである。そうした彼にとって、「Blow By Blow」の在り方とその制作は、ひとつの理想型と言えるものだったのではないか。この後、ジェフ・ベックの作品制作がすべてこの方法論に則ってゆくのが、その証左と言えるのではないか。この作品はジェフ・ベックにとって到達点であり、出発点であっただろう。

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 1970年代半ば、音楽シーンで「クロスオーヴァー」という言葉をよく目にした。ジャンルの垣根を越えて互いのミュージシャンが交流し、あるいは互いの音楽的要素が混じり合って生み出される音楽、あるいはそうした動きそのものを言い表したものだった。それは特に「ジャズ」と「ロック」との間で起こった。発端は「ジャズ」に於いて「ロック」の方法論を意識した作品が発表されるようになったことだっただろう。その最も初期のものはマイルス・デイヴィスの「ビッチェス・ブリュー」であったかもしれない。その後、マイルスの他、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートといったミュージシャンたちが、従来のジャズの概念をうち破るような意欲的な作品を発表し続けるに至って、「ジャズ」は「ロック」へと接近していったのだった。

 1975年にジェフ・ベックの「Blow By Blow」が発表された時、この「クロスオーヴァー」という言葉が使われた。「ジャズ」の分野で始まった「クロスオーヴァー」の動きに対する「ロック」からの回答であると言われたものだった。それまで「ロック」で「ジャズ」の方法論を取り入れる試みは一部の実験的なものでしかなかった。いわゆる「プログレッシヴ・ロック」であり、その時点では決して「クロスオーヴァー」ではなかった。ジェフ・ベックの「Blow By Blow」は、「ロック」の分野で「クロスオーヴァー」を実現した最初の例だったのではないか。「プログレッシヴ・ロック」に見られたような、「ジャズ」の方法論を取り込むことでロックの拡大を促すような先鋭的思想は、「Blow By Blow」には無い。「Blow By Blow」は、その音楽の在り方自体が自然体のままにそのまま「ロック」であり「ジャズ」であるのであり、そこに「クロスオーヴァー」の本質があった。

 「Blow By Blow」は「ロック」であり、「ジャズ」でもある。そもそもジェフ・ベックというギタリストにとって、「ロック」であるとか、「ジャズ」であるとかといったことはあまり意味のないことだったのに違いない。ロッド・スチュワートを擁したバンドに於ける音楽活動も、スタンリー・クラークの作品へのゲスト参加の活動も、その表層的な形式としての違いはあるが、ジェフ・ベックにとって音楽としての本質的な違いはあまりないのだ。ジェフ・ベックのそうしたジャンルを越えた演奏の魅力のひとつの象徴としても、「Blow By Blow」は重要な作品と言えるのではないか。

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 「Blow By Blow」は体感的な音楽である。それはそのまま「ロック的」であり「ジャズ的」でもあるということだ。ジェフ・ベックと三人のミュージシャンによる演奏はスリリングで表情に富み、味わい深く、卓越した器楽演奏というもののもたらす音楽の愉しみと快感に満ちあふれている。それは演奏者自身の愉しみであり快感であり、それはそのまま聴き手の得る愉しみであり快感であり得る。

 この音楽は映像的なイメージを喚起したり、物語性を秘めた展開を見せるわけではない。むしろそうした音楽とは対極にあり、音像のもたらす附加的なイメージを削ぎ落としたところに存在する。その音楽は極めて鋭利でクールでピュアであり、それ故にあらゆる「ジャンル」を超えて存在する。

 その一方で、この音楽は第一級のロック・ミュージックでもある。ジェフ・ベックの演奏も、それを支えるバンドの演奏も、極めて緊張感に溢れ、研ぎ澄まされたロック感覚の上に成り立っている。ロック・ミュージックがさまざまに進化の様相を呈した時代、ポップ・ソングとしての意匠をかなぐり捨て、器楽演奏自体の可能性を極限にまで突き詰めていった時の、これはひとつの到達点であったかもしれない。

 「Blow By Blow」がロック史上に残る傑作として、いわゆる「金字塔」的な作品として残るのは、この作品の持つそうした極限的な美意識に依るものであるかもしれない。

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 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは、この作品を「ギタリストのためのギター・アルバム」であると評した。最大級の賛辞であろう。その言葉が意味するように、この作品は当時のロック・ギタリストたちの多くに少なからぬ衝撃を与えた。ロック・ミュージックに於いて、ロック・ギタリストのソロ作品としてこのような方法論があったことが提示されたこと自体も衝撃的なことであったし、その作品がここまで高い完成度を見せていたことはさらに衝撃的な出来事だったと言っていい。この作品が発表されるまで、ロック・シーンにこのような音楽は存在していなかったのだ。ロック・シーンに衝撃を与え、少なからぬプロのミュージシャンたちに衝撃を与え、多くのロック・ファンに衝撃を与えた作品だった。

 このアルバムは、一般には「Cause We've Ended As Lovers」の大ヒットを生んだアルバムとしても知られる。日本で「哀しみの恋人達」というタイトルの与えられたこの楽曲は、情感豊かなジェフ・ベックのギターが「歌」以上の表情をもって聴き手に迫る。ジェフ・ベックというギタリストは、自らの情感をギター演奏に託し、表現するという行為に於いて天才的な才能を持つ人だが、この楽曲は彼のそうした資質を見事に具体化した名曲だと言えるだろう。

 情感豊かなスローな楽曲からファンキーな演奏、さらに雄大な広がりを感じさせる演奏まで、この作品に聴かれる音楽はさまざまな表情を見せるが、そのすべてはジェフ・ベックという希有のギタリストの音楽として見事なまでに昇華され、完成されていると言っていいだろう。彼の演奏を支えるバンドの演奏もいい。特に「第二期ジェフ・ベック・グループ」で活動を共にした旧友マックス・ミドルトンのキーボード・プレイが素晴らしい。プロデュースはジョージ・マーティンが担当しているが、アルバム全体に漂うインテレクチュアルで端正な印象は彼のプロデュースによる影響かもしれない。それも決して悪くない。

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 ブルース・ロック系のロック・ミュージックを好むファンの中には、このアルバムをあまり好まない人もある。例えば「第一期ジェフ・ベック・グループ」の音楽を愛する人々にとって、この作品はジェフ・ベックが「どこか違うところへ行ってしまった」ような気がするものであるかもしれない。あるいは「バンド」というものの造り出すロック・ミュージックの在り方に好感を憶える人たちにとって、例えばローリング・ストーンズやザ・フーなどの音楽を愛する人々にとって、この作品はすでに「ロック」ですらなかったかもしれない。

 しかし、それまでのさまざまな音楽活動の中でジェフ・ベックが見せた数々の素晴らしい演奏そのものを愛する人々にとって、この作品はまさにジェフ・ベックの音楽そのものだった。ジェフ・ベックのギター・プレイは、「ハード・ロック」作品の中に組み込まれようと、あるいは「ジャズ」作品の中に組み込まれようと、本質的には同じなのだ。

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 「Blow By Blow」は、おそらく1970年代のみならず、ロック・ミュージックというものが生み出した数々の傑作の中でも屈指のものであるだろう。時代というものを色濃くその背景に持ちつつも、陳腐な時代性からは遙かに超越している。「ジャンル」の「クロスオーヴァー」という側面を持ちつつ、それ故に安易なジャンル論からは潔く背を向けている。

 「Blow By Blow」は、ジェフ・ベックという天才的ギタリストが、その時点での最良の音楽を求めて、真摯に表現の欲求に従って制作した結果に過ぎない。しかしその妥協のなさ故に、そのピュアな姿勢故に、その結果としての作品は時代もジャンルも超えて孤高の音楽として成立しているのだ。
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