幻想音楽夜話

1.Double Dealing Woman
2.Devil Woman
3.Rock and Roll Nightmare
4.Lazy
5.Do What You Want
6.Maze
7.Far Away

George Murasaki : keyboard
Masao Shiroma : lead vocal
Yukio Shimoji : guitar
Kiyomasa Higa : guitar
Toshio Shiroma : bass
Eiichi Miyanaga : drums & vocal

Produced by Murasaki, Hiroaki Nakamura
1976 Boubon
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 「紫」という名の沖縄のロック・バンドの存在を、いつどのようなきっかけで知ったのか、もう記憶がはっきりしない。「沖縄に凄いロック・バンドがいる」という話題が当時の業界やファンの間で語られるようになったのは、おそらく1974年頃のことだったのではないかと思う。その紫が「日本本土」のロック・ファンの前に姿を晒したのは1975年夏、「8.8 Rock Day」に出演したときだった。彼らの演奏は大きな話題を集め、その存在がますます騒がれ始めたという経緯だった気がする。彼らのデビュー・アルバムはその年の秋頃に録音され、翌1976年になって発売されている。それが、バンド名をタイトルにしたこのアルバムである。

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 個人的な紫との出合いは、彼らがラジオ番組に出演したときのことだ。デビュー・アルバム発売直前という時期で、おそらくアルバムのプロモーション目的の出演だったのだろう。ジョージ紫が司会者のインタビューに応えて、「ディープ・パープルの音楽に心酔している」といった旨のことを語っていたような記憶があるが、もう細かなところは覚えていない。その時点ではまだデビュー・アルバムが完成していなかったのか、その番組の中でオンエアされた紫の演奏はライヴ音源だった。「Double Dealing Woman」と「Do What You Want」、そしてディープ・パープルのカヴァー「Highway Star」の3曲がラジオから流れた。記憶の中ではスタジオ・ライヴだったような気もするのだが、「8.8 Rock Day」の際の音源が使用されていたのかもしれない。ともかくその時が、その名と話題ばかりが先行していた紫というバンドの演奏を初めて耳にした瞬間だった。

 その演奏を聴いてずいぶんと驚いたことを覚えている。聞こえてきたのは、まさに「第二期」ディープ・パープル、すなわちアルバム「イン・ロック」から「紫の肖像」までの時期のディープ・パープルの音楽そのものだったからだ。「Highway Star」のカヴァーは当然のことながら、紫のオリジナル曲である「Double Dealing Woman」と「Do What You Want」でさえ、「第二期」ディープ・パープルがこの楽曲を演奏したならこのようになるかもしれないと思わせるような演奏だった。それはもう「第二期」ディープ・パープルの「コピー」と言ってよかった。「コピー」というと否定的なイメージがつきまとって語弊があるが、それほどに紫の音楽の持つ佇まいは「第二期」ディープ・パープルのそれに酷似していた。ディープ・パープルの音楽に心酔していたファンの立場として、紫の音楽が安易で陳腐な模倣に陥っているものであったなら嫌悪感を感じていたかもしれない。しかしそんなことはなかった。それどころか喝采を送りたい気分だった。ディープ・パープルの音楽に対する憧憬と敬意を抱きつつ、ディープ・パープルの音楽スタイルを自らの音楽の中に昇華した末に、高水準の演奏力によって実現したスタイルであることが、充分に感じられる演奏だった。

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 紫のデビュー・アルバムが発売された1976年、ディープ・パープルは惨憺たる状況下にあった。1973年、黄金期とも言える第二期のメンバーからロジャー・グローヴァーとイアン・ギランが脱退、バンドはデヴィッド・カヴァーデイルとグレン・ヒューズのふたりを新メンバーに迎えて再出発を果たす。1974年になって発表された「Burn(紫の炎)」は傑作となり、新体制のディープ・パープルは順風満帆に見えたのだが、やがてリッチー・ブラックモアと新メンバーとの間で音楽性の違いが顕在化、1975年になってリッチーの脱退という局面を迎えてしまう。リッチーを失ったディープ・パープルはアメリカ人ギタリストのトミー・ボーリンを得て新作を発表するが、もはや新バンドの音楽性は第二期のディープ・パープルのそれとはかけ離れたものになってしまっていた。ファンは失望し、結局ディープ・パープルは1976年に解散に至る。1976年は、そのような時代だった。第二期のディープ・パープルの音楽、イアン・ペイスの正確無比なドラムとロジャー・グローヴァーの重厚なベースがリズムを刻み、イアン・ギランのシャウトとリッチー・ブラックモアのギターがバトルを繰り広げ、ジョン・ロードのオルガンが奥深い音楽性で彩りを添えていた、あの頃のハード・ロックは、もはや失われてしまったのだ。

 そこへ、失われた第二期ディープ・パープルのハード・ロックを大音量で響かせながら日本のファンの前に紫が登場した。失われた第二期ディープ・パープルのハード・ロックが、時と場所を隔てた極東の島国でこのような形で甦るとは誰も思ってはいなかっただろう。我々が愛した第二期ディープ・パープルの音楽が、このような形で「フォロワー」、あるいは「チルドレン」とでも呼びたいようなバンドに引き継がれたことが嬉しかった。もちろん、その音楽的スケールやメンバーの力量、カリスマ性など、あらゆる要素で紫が第二期ディープ・パープルより「小粒な」感じがあるのは否めなかったが、そんなことはどうでもよいではないか。紫のハード・ロックには、我々がかつて愛してやまなかった第二期ディープ・パープルのハード・ロックのエッセンスが濃厚に受け継がれ、息づいていた。ディープ・パープルと比べれば「小粒な」印象があるとは言え、当時の日本ロックの水準から言えば、紫の演奏の実力が突出していたのは事実だ。紫というバンドがこのまま大きく育っていったならば、もしかしたらとんでもないことになるかもしれない。そんな期待さえ抱かせたものだったのだ。

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 紫というバンドはキーボード奏者のジョージ紫を中心にしたバンドだ。ジョージ紫はアメリカ国籍のハワイ三世で、1960年代中頃から沖縄で音楽活動を始めている。ディープ・パープルに傾倒したジョージ紫が自身のバンドの名を「紫」とするのは1972年頃のことだったという。その頃、沖縄はアメリカだった。比喩的な意味ではない。1972年5月15日に日本に返還されるまで、沖縄はアメリカ合衆国の施政権下にあった。まさに文字通り、「沖縄はアメリカだった」のだ。そして同じ頃、ヴェトナム戦争はますます泥沼化し、出口の見えない状況下に大国アメリカは苦しんでいた。そのような前線に向かうアメリカの兵士たちを相手に、沖縄のバンドたちは演奏しなくてはならなかった。どのような状況だったのか、現在の日本に暮らす身でも想像に難くない。当時の紫もまた、アメリカの兵士たちを聴衆にして、ハード・ロックからブルース、ソウルなど、ありとあらゆるカヴァー演奏をこなしていたという。そうした日々が紫というバンドを鍛えたと言っていいのだろう。そして沖縄返還、紫は日本本土、中央での成功を目指す。やがて彼らの存在は日本の関係者の間で評判になり、1975年夏の「8.8 Rock Day」出演へと繋がってゆく。

 紫の演奏を耳にした日本のロック・ファンの多くは、彼らの演奏の中に「本場の凄み」とでもいうようなものを感じとったに違いない。それまでの日本のロックは、遠いアメリカやイギリスへの憧れの中で育った。1960年代の「エレキ・ブーム」や「グループ・サウンズ」を経て、1970年代になってようやく「本格的な」ロックを演奏するバンドが少しずつシーンに登場するが、それは模倣の中で足掻きつつ日本のロック・シーンを生み出す作業だったと言ってもいい。ごく少数だが海外で認められたバンドや英米のシーンでの経験を得たミュージシャンもあったが、日本ロック・シーンの総体は本場である英米の空気を知らぬまま、本場の空気を知らぬ聴衆に向かって「ロック」を演奏していた。そこへ、紫だ。紫が沖縄で相手にしていたのは若いアメリカ人兵士たち、まさに「本場の」聴衆だった。生半可な演奏は通用しない。模倣だとかオリジナリティだとか、そんなことよりまず、当時の紫が抱えた命題はロック・バンドとしてのパフォーマンスの実力を鍛え上げ、目の前の聴衆を熱狂させるだけの歌と演奏を披露してみせることだったはずだ。その中で培われた紫の歌と演奏が、当時の日本ロック・シーンに於いて「本場の凄み」を感じさせないわけがない。デビューした紫は、日本ロック・シーンで圧倒的な存在感を放ってロック・ファンの支持を受け、それによって沖縄のロック・シーン全体が脚光を浴び、「オキナワン・ロック」という造語まで生むことになる。

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 バンド名をそのままタイトルにした紫のデビュー・アルバム「紫」は、ジョージ紫の作詞作曲による6曲のオリジナル曲にディープ・パープルの名曲「Lazy」を加えた7曲を収録し、その全編が第二期ディープ・パープルのハード・ロックのイディオムを色濃く感じさせるものだ。スピーディで痛快な「Double Dealing Woman」や「Rock and Roll Nightmare」、あるいは「Strange Kind of Woman」的なグルーヴを持つ「Do What You Want」、ヘヴィなブルース・ロック風の「Far Away」、そしてまた幻想的なイントロ部から「Hard Lovin' Man」的なハード・ロックへと移行する「Devil Woman」など、まさに「ディープ・パープル・フォロワー」、あるいは「ディープ・パープル・チルドレン」とでも呼びたくなるような演奏が展開される。ディープ・パープルの楽曲をカヴァーした「Lazy」も、独自の解釈を加えて異なるアレンジで演奏しているといったものではなく、ディープ・パープルの演奏に忠実な演奏が展開されている。最も「ディープ・パープルらしくない」のはアルバム中ただ一曲のインストゥルメンタル曲「Maze」だろうか。ハードなギター演奏を中心にしながらリリカルな中間部を挟みつつドラム・ソロなども交えながら展開する楽曲で、9分に及ぶ長尺曲だがなかなかスリリングで飽きさせない。

 オリジナルLPでは「Double Dealing Woman」から「Lazy」までの4曲がA面、「Do What You Want」から「Far Away」までの3曲がB面という構成で全7曲が収録されていたわけだが、2007年9月に発売されたCDでは、さらに1975年の「8.8 Rock Day」出演の際のライヴ音源から「Devil Woman」、「Do What You Want」、「Double Dealing Woman」、そしてディープ・パープルの楽曲のカヴァーである「Highway Star」の4曲が追加収録されている。2007年9月発売のこのCD(TKCA-73240)は24bitデジタル・マスタリング、紙ジャケット仕様で復刻され、往年のファンとしては嬉しい限りだった。

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 当時、紫はディープ・パープルのすべての楽曲を演奏できたという。その紫の演奏を聴いて「第二期」ディープ・パープルのファンはどのように感じるのか。好意的な人ばかりではあるまい。粗悪な模造品を目にしたように嫌悪感を感じる人も中にはあるかもしれない。イアン・ギランのようには唄えないのに、リッチー・ブラックモアのようにはギターを弾けないのに、ディープ・パープルになりたがっている身の程知らずのバンドだと、中には思う人もあるかもしれない。しかし彼らは決して「ディープ・パープルになりたがって」いたのではない。ヴォーカルの城間正男はイアン・ギランのように唄おうとしていないし、ギターの比嘉清正もリッチー・ブラックモアのようであろうとしていたわけではないし、ハモンドを奏でるジョージ紫もジョン・ロードのように演奏しようといていたわけではない。彼らには彼らならではの持ち味があり、個性的なロック・バンドとしてのアイデンティティを確立しているのだ。彼らはディープ・パープルが確立したハード・ロックのスタイルを見事に踏襲してみせたが、決してディープ・パープルのようであろうとしていたわけではない。彼らはただ、ディープ・パープルが具現化してみせたハード・ロックの在り方を支持し、理解し、信じ、自らもまたそのスタイルのハード・ロックを演奏しただけのことなのだ。

 彼らの演奏を、「要するにディープ・パープルの模倣ではないか」と断ずることはたやすい。しかし、彼らの音楽が安易で陳腐な模倣に過ぎないのだとしたら、これほどまでに聴衆の心を捉えることができただろうか。確かにそれは模倣から始まったかもしれない。しかし手本とするものを忠実に準えて鍛え上げた後にようやく実現するものもある。殊更にオリジナリティというものににこだわるあまりに本末転倒的に自らの立脚点を見失って行き詰まってしまうより、それは遙かに潔いではないか。これほどの魅力に満ちたハード・ロックを、「模倣」の一言で貶めてはなるまい。

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 紫のデビューは当時の日本ロック・シーンに於いてまさに衝撃だった。その演奏力の水準の高さ、それに支えられて実現する彼らの音楽のハード・ロックとしての完成度、そのダイナミズム、その「ロック」としての熱気は聴衆を熱狂させずにはおかなかった。1976年にレコード・デビューした紫は即座に日本ロック・シーンの頂点の一角に登り詰め、日本のハード・ロック・ファンの期待を背負った。しかしその後、紫はセカンド・アルバム「Impuct」、ライヴ録音のサード・アルバムを立て続けに発表した後、残念ながら解散してしまう。ジョージ紫は「ジョージ紫&マリナー」を結成、他のメンバーもそれぞれの道を歩き始める。

 「本土デビュー」後の紫が紫として活動した期間は短い。しかしそれだけに彼らが日本のロック・シーンに残した足跡の意義は大きい。そしてこの彼らのデビュー・アルバムの、日本ロック・シーンに於ける存在意義もまた大きい。1970年代日本ロック・シーンが生んだ名作のひとつであり、「ハード・ロック」のファンにとって忘れられない作品である。