幻想音楽夜話
The Piper At The Gates Of Dawn / Pink Floyd
1.Astronomy Domine
2.Lucifer Sam
3.Matilda Mother
4.Flaming
5.Pow R. Toc H.
6.Take Up Thy Stethoscope and Walk
7.Interstellar Overdrive
8.The Gnome
9.Chapter 24
10.Scarecrow
11.Bike

Syd Barrett : lead guitar & vocals
Roger Waters : bass guitar & vocals
Richard Wright : organ & piano
Nick Mason : drums

Produced by Norman Smith
1967 Capitol Records
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 「プログレ四天王」などという言葉がある。1970年代前半の「プログレッシヴ・ロック」隆盛期にシーンの頂点に君臨した四つのバンドのことを指す言葉で、King Crimson、Yes、Emerson, Lake & Palmer、そして Pink Floyd の四バンドのことを言う。この四つのバンドがそれぞれ異なる音楽性で先進的なロック・ミュージックを提示し、当時の「プログレッシヴ・ロック・シーン」を牽引していたのは紛れもない事実だ。圧倒的な完成度を誇る King Crimson のデビュー作はまさに「プログレッシヴ・ロック」というもののひとつの象徴と言えるものだし、その King Crimson の初期メンバーだった Greg Lake と The Nice のメンバーだった Keith Emerson、Atomic Rooster のメンバーだった Carl Palmer の三人によって結成された Emerson, Lake & Palmer は「プログレッシヴ・ロック」の寵児と呼ぶべき存在だろう。Yes もまた「Fragile(こわれもの)」や「Close To The Edge(危機)」という傑作によって「プログレッシヴ・ロック」の頂点を極め、Pink Floyd も「Atom Heart Mother(原子心母)」や「The Dark Side Of The Moon(狂気)」、「The Wall(ザ・ウォール)」といった名作を発表してロック史に多大な功績を残している。

 しかしこれら四つのバンドの中で、デビュー当時から「プログレッシヴ・ロック」としてのアイデンティティを持っていたのは King Crimson と Emerson, Lake & Palmer の二グループに過ぎない。デビュー時の Yes は音楽的実験を試みてはいるものの「プログレッシヴ・ロック」としてのスタイルを獲得しているとは言い難く、それは比喩的に言えば“「プログレッシヴ・ロック」へ羽化する前”の状態のようだと言っていい。そして Pink Floyd だ。デビュー時の彼らを「プログレッシヴ・ロック」と呼ぶべきでないというのは、Pink Floyd のファン、そして「プログレッシヴ・ロック」のファンにとってはすでに統一見解となっているのではないか。敢えてジャンル名で呼称するなら、デビュー期の Pink Floyd は「プログレッシヴ・ロック」ではなく「サイケデリック・ロック」、あるいは「サイケデリック・ポップ」だ。ジャンルやその呼称にこだわることにあまり意味はないが、その”ジャンル名”を音楽性の特徴を象徴する言葉として使うなら、初期 Pink Floyd は「プログレッシヴ・ロック」ではなく、まさに「サイケデリック」だ。

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 「サイケデリック」という言葉は精神科医の Humphry Fortescue Osmond(ハンフリー・オズモンド)が1956年に考案した造語で、「psycology」と「delicious」を組み合わせたものとも、ギリシャ語の「psyche」と「delos」を組み合わせたものともいう。そもそもは各種幻覚剤によってもたらされる視覚や聴覚の幻覚を形容する言葉だったが、1960年代半ばになると幻覚剤の影響によって得られる極彩色の幾何学模様の視覚的イメージを積極的にアートやファッションに取り入れる動きが生じ、「サイケデリック」はひとつの”ムーブメント”として広がってゆく。その”ムーブメント”は1960年代の始めにハーバード大学の心理学教授だった Timothy Leary(ティモシー・リアリー)がLSDの精神解放作用の研究を始めたことに端を発する。LSDを危険視する反対派もあったが、Timothy Leary はLSDを擁護、ハーバード大学を退職し、各地でLSDによる意識の解放を提唱する活動を続けてゆく。その思想はそのまま既存の価値観からの解放を意味し、カウンター・カルチャーのムーヴメントを巻き込み、さらに反戦運動とも同調、支持する若者たちは増えてゆき、それはやがてアメリカ全土を覆い尽くすように1960年代後半の”ヒッピー・ムーヴメント”へと発展してゆく。そのピークは、後に「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれるようになる、1967年だ。この年の初め、サンフランシスコのゴールデンゲイトパークに三万人にも及ぶ”ヒッピー”が集まり、Grateful Dead や Janis Joplin の音楽を聴きながらドラッグの幻覚に酔い、Timothy Leary や Allen Ginsberg(アレン・ギンズバーグ)の言葉に耳を傾けた。以後、こうした集会は全米各地に広がってゆくことになる。

 この頃にアメリカ西海岸、特にサンフランシスコを拠点に活動していたバンドたちは皆、「サイケデリック」の洗礼を浴びた。Grateful Dead や Jefferson Airplane、Janis Joplin、The Doors、It's A Beautiful Day といったバンドたちはヒッピーたちのヒーローとなり、彼らの音楽は後に「サイケデリック・ロック」などと呼ばれるようになる。彼らの音楽は必ずしも「サイケデリック」を音楽的に表現しようとしたものではなかったが、ステージ上で延々と続けられるインプロヴィゼーション・プレイはドラッグによって陶酔状態にある聴衆をさらに高揚させるには充分なものだったろう。

 1960年代後半、イギリスでもまた既存の価値観に異を唱える若者たちの新しい”文化”が花開いていた。Mary Quant(マリー・クワント)や Barbara Hulanicki(バーバラ・ フラニッキ)が女の子たちのファッションに”革命”を起こし、男の子たちはモッズやロッカーズのファッションに身を包み、Carnaby Street(カーナビー・ストリート)は世界中の若者たちの憧れの街になっていた。The Who や Small Faces がモッズたちのヒーローとなり、The Rolling Stones はドラッグでの逮捕騒動に揺れながらもロック・スターで在り続け、The Beatles は今や世界的なスーパースターに成長していた。ロンドンは世界の流行の発信地だった。世に言う「Swinging London(スウィンギング・ロンドン)」である。The Beatles は1967年に名作「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」を発表する。その音楽にもジャケットにも「サイケデリック」の匂いが濃厚に漂っていた。The Yardbirds を脱退した Eric Clapton は Jack Bruce と Ginger Baker の三人で Cream を結成、ブルースとジャズとロックン・ロールを融合させたロック・ミュージックを提示、大音量で”サイケデリックな”即興演奏を繰り広げていた。その頃、ロンドンのアンダーグラウンド・シーンでは、ライヴ・ステージでの幻惑的なライト・ショーとサウンド・メイキングによって「サイケデリック」を表現しようとするバンドたちが活動を始めていた。その中から頭角を現してゆくのが Robert Wyatt や Kevin Ayers を擁した Soft Machine と、Pink Floyd である。

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 「The Piper at the Gates of Dawn」と題された Pink Floyd のデビュー・アルバム(日本では「夜明けの口笛吹き」という秀逸なタイトルが付けられた)が発表されたのは1967年のことだ。「Swinging London」を謳歌するロンドンのアンダーグラウンド・シーンから登場した Pink Floyd とそのデビュー・アルバムは、アメリカで誕生した「サイケデリック・ムーブメント」への最も英国的な回答のひとつだったろう。ある意味では、当時のサンフランシスコのバンドたちより見事に、「サイケデリック」を音楽として具現化しているのではないか。

 前述したが、「サイケデリック」は各種薬物によって得られる幻覚やその幻覚が見せる色彩感覚のことだ。言い換えれば、いわゆる”ドラッグ”を使用したことがない者には「サイケデリック」を完全に理解することはできないということだ。”ドラッグ”を使用したことのない、ほとんどの人々にとって、それがどのようなものであるかをどれほど克明に説明されようと、「サイケデリック」は想像の域を出ないのだ。だから1960年代当時のサイケデリック・ミュージックの真の意味もまた、”ドラッグ”を使用したことのない、「サイケデリック」を体験したことのない者には完全には理解することができない。例えば当時の Grateful Dead や The Doors といったバンドたちがライヴ・パフォーマンスで繰り広げた延々と続くインプロヴィゼーション・プレイの”意味”は、”ドラッグ”のもたらす高揚感なくしては理解できないと言われる。彼らの演奏は”ドラッグ”で”ハイ”になった聴衆を、さらに”ハイ”な状態に導くものだったはずだからだ。彼らの楽曲とその演奏自体は、ごく”真っ当な”ポップ・ソングであり、”真っ当な”ロック・ミュージックであり、楽曲と演奏そのものによって聴衆に「サイケデリック」を疑似体験させてくれるようなものではないのだ。

 ”ドラッグ”で”ハイ”な聴衆をさらに”ハイ”な状態へ導くサイケデリック・ミュージックとしての性格は、Pink Floyd の音楽でも基本的には同じだ。彼らが繰り広げる幻惑的な演奏はまさにそうしたものだったろう。しかし Pink Floyd の音楽はそうした性格を超えて楽曲そのものの印象がひどく奇妙で、ポップ・ソングとしての単純な聴き方を許してくれない。その最たる例が「Interstellar Overdrive(星空のドライブ)」だ。ギターとベースとオルガンとドラムという編成によって演奏される、このインストゥルメンタル・ミュージックのなんと”奇妙”なことだろう。印象的なテーマに続いて演奏されるのは、まるでSF映画の効果音のような音のカオスだ。明確なメロディ・ラインなど初めから存在せず、幻惑的なエレクトリック・サウンドが鳴り響く。楽曲としての全体像はつかみどころがなく、明滅して流れ去る光の奔流のような”音響”が延々と続く。そして再びテーマが演奏されたかと思えば、ステレオ効果を巧みに使って右に左に音が飛び回って聴き手を翻弄する。この演奏を大音量で聴いてみるといい。できればファースト・アルバムに収録されたスタジオ録音ヴァージョンより、「Tonite Let's All Make Love In London(愛と幻想の一夜)」に収録されたライヴ・ヴァージョンがいい。その幻惑的な音の洪水に身を浸せば、”ドラッグ”による”本当の”「サイケデリック」を体験したことの無い立場でも「サイケデリック」というものをほんの少し理解できる気がする。「サイケデリック」は、もしかしたらこういうものかもしれない、と。

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 デビュー当時の Pink Floyd のメンバーはベースの Roger Waters、キーボードの Richard Wright、ドラムの Nick Mason、そしてギターとヴォーカルを担当する Syd Barrett の四人だった。バンドの運営が誰によって行われていたのかは知らない。しかし音楽的リーダーが誰だったかは明白だ。Syd Barrett である。この頃の Pink Floyd は Syd Barrett によって率いられていた。いや、”率いられていた”というのは正しくないかもしれない。”導かれていた”というのが相応しいかもしれない。Syd Barrett という人物に、ではない。Syd Barrett の天才性に、である。

 Syd Barrett はデビュー・アルバムに収録された11の楽曲のうち、8曲を書いている。例外なのは Roger Waters による「Take Up Thy Stethoscope and Walk」とメンバー四人の共作による「Pow R. Toc H.」と「Interstellar Overdrive」の3曲だけだ。このことからも当時の Pink Floyd が Syd Barrett の才能に大きく依存していたことがわかる。アルバム全体をじっくりと聴き込むと、Syd Barrett による楽曲と Roger Waters による楽曲、そしてメンバー四人の共作によるインストゥルメンタル曲とで音楽の佇まいに違いがあることに気付く。「Pow R. Toc H.」と「Interstellar Overdrive」の2曲はセカンド・アルバム以降、「The Dark Side of the Moon」までの時期の Pink Floyd の音楽の直接のルーツとも言えるものだろう。随所に後の作品で使われるアイデアの原点と思われる部分を見つけることができる。Roger Waters による「Take Up Thy Stethoscope and Walk」は、楽曲そのものは当時のブリティッシュ・ビート系のバンドの楽曲を思わせるもので、幻惑的な演奏によって Pink Floyd の音楽として成立しているという印象がある。そしてやはり Syd Barrett による楽曲は独特の存在感を放ってアルバム全体の色彩を決定している。彼の楽曲は時に宇宙的な広がりを感じさせるものだったり、寓話的な印象のものだったり、あるいは牧歌的な穏やかさを感じさせるものだったりするが、どこかシニカルで病的な香りがする。彼の楽曲のそうした特徴は、同時期にロンドンのアンダーグラウンド・シーンで活動していた Soft Machine、すなわちいわゆる「カンタベリー系」のミュージシャンたちの音楽とも共通するものかもしれない。

 Syd Barrett の書く楽曲は、ファースト・アルバムに収録されなかった有名な初期のシングル曲である「Arnold Layne」や「See Emily Play」、さらに彼のソロ・アルバムに収録された楽曲群も含めて、ある意味でとても難解だ。Syd Barrett の音楽は、ちょっと聞いただけでは幻惑的なサウンドに包まれた単純なポップ・ソングに聞こえてしまう。”ちょっと風変わりでサイケデリックなポップ・ソング”だと思って聞いているうちはいい。しかし、その”風変わりさ”の正体は何なのだろうと思い、内側へ入り込もうとして耳を傾けると、何故かひどく違和感を感じてしまう。何がその違和感をもたらすのだろう。その“違和感”は Syd Barrett の楽曲の持つ“聴き手を拒絶するような”印象によるものだ。シンプルな楽曲であればあるほど、彼の楽曲は安易な解釈を拒み、安易な共感を拒む。聴き込めば聴き込むほど、楽曲の真の姿が遠ざかってゆく。歌詞カードを手に、その不思議な歌詞に首を傾げつつ、何度も何度も彼の音楽を聴きながら、けっきょく聴き手は突き放されて途方に暮れるのだ。「いったい、これは何なのだ」と。

 そして、この”聴き手を拒絶する”ような音楽の佇まいは、実はこれ以後、「The Dark Side of the Moon」へ至るまで Pink Floyd の音楽に共通するものとして継続されてゆくのだが、それもけっきょくは「The Dark Side of the Moon」までの Pink Floyd が Syd Barrett の才能の影から抜け出ることができなかったということなのかもしれない。Syd Barrett に影響を受けたと公言するミュージシャンは少なくないが、最も影響を受けたのは他ならぬ Pink Floyd の他のメンバーたちだった、ということなのかもしれない。

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 Syd Barrett という天才的音楽家が、その私生活ではドラッグに大きく依存していたというのはファンなら周知の事実だ。過度のドラッグ摂取が彼の精神を蝕み、正常な音楽活動が困難になって Pink Floyd を去ることになったといったエピソードはファンなら誰もが知っている。Syd Barrett について語られるエピソードの数々が、どれほど真実なのかは知らない。おそらく誇張も含まれているのだろう。Syd Barrett のそうしたエピソードと彼の音楽的才能、彼が生み出した音楽の数々、そして”サイケデリック”、それらのファクターを繋ぎ合わせたとき、まるで Syd Barrett がドラッグの力を借りて”サイケデリックな”音楽を生み出していたかような図式が浮かび上がるが、おそらくそれは正しくはないだろう。少しはあったかもしれない。ドラッグによる幻覚が、彼の音楽的創造にインスピレーションを与えた可能性はゼロではあるまい。しかし、彼の音楽的創造の根源は”ドラッグによる幻覚”、すなわち”サイケデリック”にあったのではなく、彼の元来の精神性にあったのに違いない。彼の書く奇妙な歌詞世界は、おそらく”ドラッグ”の力を借りるまでもなく、彼の意識の中に在ったのだ。Syd Barrett という人物にとって、自身と世界との接点は、おそらく一般的な人々のそれとは違うのだ。彼の目には世界がどのように見えていたのだろう。もしかしたら理解不可能な、奇妙奇天烈なものに見えていたのかもしれない。「Lucifer Sam」に歌われる「Something I can't explain」である「cat」は、彼にとっての他者であり、世界そのものなのではないのか。そのことが、彼の音楽的創造の根源ではないのか。そして自身と自身を包む世界との”折り合いの悪さ”に苦悩し、”ドラッグ”によって一時的な安息を得ていたのではないのか。Syd Barrett という人物に対する考察が本稿の目的ではないし、その意図もなく、すべてはファンの一人としての想像に過ぎないが、彼の楽曲の歌詞を読みながら、彼の歌声に耳を傾けていると、そんなことを思ってしまう。

 Syd Barrett のことばかりを書き連ねていると誤解を招くかもしれない。Syd Barrett という音楽家に心酔するあまりに Pink Floyd というグループを軽んじているのではないかと。そんなことはない。デビュー当時の Pink Floyd に於いて Syd Barrett という天才性の存在はあまりに大きいが、彼の音楽的創造が形を成したのは Pink Floyd というグループがあってのことだ。当時の Pink Floyd の他のメンバーたち、Roger Waters と Richard Wright、そして Nick Mason の三人は、彼らこそが Syd Barrett の最大の理解者だったはずだ。Syd Barrett の天才性を認め、信頼し、同胞として共に音楽の創造へと向かったのは、他ならぬ彼ら三人だったはずだ。彼ら三人は決して特筆するほど演奏技術に秀でた”演奏家”とは言えない。しかし、Syd Barrett の音楽的創造のアイデアを理解し、的を射た演奏によって唯一無二の”サイケデリック”な音楽の創造を支えたのは事実だ。当時の Pink Floyd が形にした音楽に対して、Syd Barrett がどれほど満足していたかは知らない。もしかしたら不満もあったかもしれない。それでも、Syd Barrett と共に Pink Floyd というグループが形にした音楽の数々は、今もなお、それらを愛するファンに充分すぎるほどの驚きと感動をもたらしてくれる。

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 ここではっきりと言っておこう。Pink Floyd のデビュー・アルバム「The Piper at the Gates of Dawn」は”名盤”と呼ぶに相応しい作品である。「Swinging London」の熱気の中から生まれ出た「サイケデリック・ミュージック」の傑作として記念碑的な作品でもある。そしてまた The Beatles の「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」や Moody Blues の「Days Of Future Passed」などと共に、1970年代になって隆盛の時期を迎える「プログレッシヴ・ロック」の最初期の一歩を記した作品でもある。そして何より Pink Floyd という不世出のグループの偉大な出発点であり、Syd Barrett という希代の才能による音楽が最良の形で具現化した作品である。

 Syd Barrett 在籍時の Pink Floyd の唯一のアルバムが「The Piper at the Gates of Dawn」だが、それ故に「The Piper at the Gates of Dawn」と次作以降の Pink Floyd の音楽とに差違があると感じるロック・ファンもいるだろう。それはある意味で正しいが、異なる視点に立てば必ずしもそうではないことがわかる。少なくとも「The Dark Side of the Moon」までの Pink Floyd の音楽は、すべて「The Piper at the Gates of Dawn」と同じ地平の上に展開している。誤解を恐れずに言っておくが、「The Piper at the Gates of Dawn」の魅力を理解できない者は、これ以降の Pink Floyd の音楽の魅力を理解できない。「The Piper at the Gates of Dawn」の魅力を理解できない者は、「Atom Heart Mother」の魅力を理解できない。「The Piper at the Gates of Dawn」の魅力を理解できない者は、「The Dark Side of the Moon」の魅力を理解できない。「The Piper at the Gates of Dawn」の魅力を理解できない者は、「The Dark Side of the Moon」から「Wish You Were Here」へ至る変化の意味を理解できない。「The Piper at the Gates of Dawn」の魅力を理解できない者は、Pink Floyd をわかっていない。

 「The Piper at the Gates of Dawn」が発表されたのは1967年のことだ。すでに”大昔”だ。そんな”大昔”の音楽が今も変わらず輝きを放ち続けている。すべてはここから始まったのだ。

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 ところで、この Pink Floyd のデビュー・アルバムのタイトルとなった「The Piper at the Gates of Dawn」だが、これはイギリスの作家 Kenneth Grahame(ケネス・グレアム)の著書「The Wind in the Willows」の第七章のタイトルから取られたものだ。「The Wind in the Willows」は1908年にイギリスで出版され、その後、世界各国で翻訳されて出版、児童文学の名作として知られる。「The Wind in the Willows」はモグラやネズミ、ヒキガエル、アナグマといった動物たちが田園地帯を舞台に繰り広げる物語を綴ったファンタジーで、そもそもは Kenneth Grahame が息子の Alistair(アラステア)のために創作した”お話”が原案になっているという。Kenneth Grahame は Alistair のためにモグラやネズミ、ヒキガエルなどが繰り広げる”お話”を語り聞かせ、あるいは手紙に書き、当初は本にして出版する意図はまったくなかったらしい。この、Kenneth Grahame と Alistair との間でのみ語られる”お話”の存在を知った知人が、本にして出版するよう、Kenneth Grahame に勧める。当初は拒んでいた Kenneth Grahame もやがて承諾し、ほとんど”思いつき”のように語られた”お話”をきちんとした物語として書き上げ、「The Wind in the Willows」が出来上がった。出版してくれる出版社はなかなか見つからなかったらしく、ようやく出版されたのが1908年のことだ。小動物が田園地帯で繰り広げる物語という点や、著者が子どものために創作した話が原案になっている点など、Beatrix Potter(ビアトリクス・ポター)の「Peter Rabbit(ピーター・ラビット)」シリーズを彷彿とさせる。「Peter Rabbit」シリーズの最初の本が出版されたのは1902年だからほぼ同時期と言っていい。また1926年に「Winnie-the-Pooh(クマのプーさん)」を出版する Alan Alexander Milne(A.A.ミルン)は「The Wind in the Willows」の熱狂的なファンだったといい、A.A. Milneの手によって「Toad of Toad Hall(ヒキガエル館のヒキガエル)」として戯曲化されている。

 その Kenneth Grahame の「The Wind in the Willows」に於いて、第七章の「The Piper at the Gates of Dawn」だけが実は特殊な位置付けにあるものらしい。他の章の話はすべて Kenneth Grahame が Alistair に語って聞かせた“お話”が元になっているらしいのだが、第七章の「The Piper at the Gates of Dawn」はそうではなく、本として出版する際に Kenneth Grahame が新たに書き下ろした章であるという。そのためか、この第七章「The Piper at the Gates of Dawn」は「The Wind in the Willows」の中でかなり違った印象をもたらす章である。具体的な内容については言及しないが、そもそも擬人化された小動物が田園地帯で繰り広げる物語を綴ったファンタジーである「The Wind in the Willows」に於いても、第七章「The Piper at the Gates of Dawn」はさらに“ファンタジー的”だ。第七章「The Piper at the Gates of Dawn」のファンタジー性に比べれば他の章は実はファンタジーではないと思えるほどだ。「The Wind in the Willows」は、田園地帯に暮らす人々の姿を、登場人物を小動物に置き換え、誇張を交えて子ども向けに語って聞かせたもの、いわゆる“寓話”だと言ってもいい。登場する小動物の暮らす“家”の中も、実際の農家の様子とそれほど変わらないのだろうし、擬人化された小動物たちの行動もとても人間的で、きっとそんな人たちがいるのだろうと思えるものだ。しかし、第七章「The Piper at the Gates of Dawn」は違う。そこには“現実にはあり得ない”、“夢のような”出来事が語られている。第七章「The Piper at the Gates of Dawn」だけが、「The Wind in the Willows」の全編に貫かれた共通する佇まいを持っていない。言い換えれば、明らかに“浮いて”いる。

 「The Wind in the Willows」に、他の章とは佇まいの異なる第七章がなぜ付け加えられたのか、Kenneth Grahame がどのような意図を持っていたのか、そのことの考察は他に譲ろう。その第七章がなぜ「The Piper at the Gates of Dawn」というタイトルなのかも、読んでもらえればわかることなのでここでは言及しない。その「The Piper at the Gates of Dawn」というタイトルが、なぜ Pink Floyd のデビュー・アルバムのタイトルに用いられたのだろう。「The Piper at the Gates of Dawn」という、そのフレーズが与える印象が重要だった、というだけのことかもしれない。しかし、前述のような「The Wind in the Willows」の中での「The Piper at the Gates of Dawn」のスタンス、すなわち他のものとは印象が違っていて、全体の統一された色彩の中に溶け込んでおらず、夢想的で幻想的な味わいをもった章であるということを考えると、それはまさに Pink Floyd のデビュー・アルバムのタイトルに相応しいものだと思えてくる。当時のミュージック・シーンに於ける Pink Floyd のスタンスと、「The Wind in the Willows」に於ける第七章「The Piper at the Gates of Dawn」のスタンスが、不思議に符合する気がしてならないのだ。Pink Floyd のメンバーたちがどのようなことを考えてこのアルバム・タイトルを決めたのか、寡聞にして知らないし、調べてみようとも思わないが、「The Piper at the Gates of Dawn」をタイトルとした楽曲は存在せず、アルバムのタイトルにだけ用いられていることを考えれば、何らかの意図があったのだろう。

 「The Wind in the Willows」という作品は、おそらく第七章「The Piper at the Gates of Dawn」が無くても成立していただろう。しかし、この第七章が存在することによって「The Wind in the Willows」という作品が明らかに別のステージへ上がっていることは確かだ。作品の中ほどの位置、第七章に挿入された「The Piper at the Gates of Dawn」だが、この章を読む前と読んだ後では、「The Wind in the Willows」という作品に対する解釈が大きく変わってしまう。それほど大きな存在感を放つ章である。この章の存在によって、「The Wind in the Willows」は“子ども向けのお話”、あるいは単なる“寓話”から、幻想性の中に“世界の意味”や“人の生の意味”を問う文学作品へ変貌していると言ってもいい。この章の幻想性は、あなたが見ているものは世界の真実か、と、読む者に問いかける。そして同じことを Pink Floyd の「The Piper at the Gates of Dawn」もまた問いかけるのだ。あなたが見ているものは世界の真実か、と。