幻想音楽夜話
Wish You Were Here / Pink Floyd
1.Shine On You Crazy Diamond (Part I-V)
2.Welcome To The Machine
3.Have A Cigar
4.Wish You Were Here
5.Shine On You Crazy Diamond (Part VI-IX)

Roger Waters - bass & vocals.
David Gilmour - guitar & vocals.
Rick Wright - keyboards & vocals.
Nick Mason - drums.

Roy Harper vocal on Have A Cigar.

All lyrics by Roger Waters.
Produced by Pink Floyd.
1975 Pink Floyd Music Limited.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 すいぶんと待たされた作品だった。そしてまた、すいぶんと期待を背負って発表された作品だった。「名盤」、「傑作」の名を恣(ほしいまま)にし、驚異的な売り上げを記録した「狂気」に次いで発表された作品であったのだから、それも無理のないことだっただろう。

 「狂気」の大成功によってピンク・フロイドがロック・シーンに君臨していた頃、ファンは彼らの音楽に何を求めていたのだろうか。当時、彼らの音楽はロック・シーンに於いて最も実験的で前衛的な音楽のひとつであったことは疑いの余地がない。「プログレッシヴ・ロック」の名で呼ばれた多くの音楽がジャズやクラシックの音楽性を取り込もうとしていた頃、ピンク・フロイドの音楽はそうした手法に背を向け、ひたすら純粋に「前衛」を目指しているように見えた。その音楽は「プログレッシヴ・ロック」の名を冠されながらも、「進歩的なロック」であるどころか、音楽そのものの在り方にどこか挑戦的であるようにも見えた。

 ピンク・フロイドのファンの多くは、彼らのそうした実験的要素、前衛的方向性を支持し、期待していたのではなかったか。そして「狂気」の次作となる作品にも、さらなる前衛性、実験性を求めていたのではなかったか。「狂気」の次作が待たされていた時期、「次作は既存の楽器をいっさい使用せず、いわゆるミュージック・コンクレート的作品になる」というニュースがもたらされたことがあった。事実、そうした録音が試みられたのだという。戸惑ったファンも少なくはなかっただろうが、大きな期待を抱いたファンもまた少なくなかっただろう。

 そうして「狂気」から二年を経た1975年、ピンク・フロイドの新作は発表されたのだった。タイトルは「Wish You Were Here」といった。日本語のタイトルは「あなたがここにいてほしい」にせよ、との指示がピンク・フロイド側からあったらしいのだが、そのタイトルでは「売りにくい」との判断があったのか、ヒプノシスのデザインしたジャケットの印象から「炎」という邦題となり、「あなたがここにいてほしい」は副題扱いになってしまった。思えば、「Wish You Were Here」というタイトルは、まさにこの作品の性格を如実に表現しているものなのだが、当時そんなことに気付いたファンがどれだけいたことだろう。

節区切

 何かが違っている。「Wish You Were Here」を聴いたファンの多くがそう感じたのではなかったろうか。聞こえてくる音楽は紛れもなくピンク・フロイドの音楽そのものだったにも関わらず、「狂気」以前の音楽とは何かが、しかし決定的に違っていた。

 「Wish You Were Here」には、シド・バレットがリーダーシップを持っていた頃のサイケデリック・ミュージックとしての先進性は無い。シドが去って後、「狂気」までに見られた実験性、前衛性も、この作品には見あたらない。楽曲の中にさまざまな現実音を取り込んできたピンク・フロイドは、この作品においても同様の手法を用いてはいるが、それらはすでに単なる「効果音」以上の意味を持ち得ていない。その音楽は、もはや「プログレッシヴ・ロック」ではなかった。

 「狂気」の先にある作品として、さらなる先進性、実験性、前衛性を求めていたファンは、この作品に戸惑い、あるいは落胆し、そしてまた、この作品は次の大きなステップへ至るための「ひとやすみ」的な作品に違いないと、さらに次作への期待を高めたかもしれなかった。しかしすでに歴史が証明しているように、ピンク・フロイドが後に進んだ道は前衛性を求めるファンの期待からは大きく逸れてゆくことになってしまった。その分岐点がまさに「Wish You Were Here」だったのだった。

節区切

 ピンク・フロイドはこの作品で音楽に対する自らの実験的アプローチ、前衛的アプローチに訣別したのだ。それは「演奏」と「歌唱」への回帰とも言えた。「音楽」を成すものとして、それはあまりにも当然の帰結であったろう。

 「Wish You Were Here」にはアーティストの表現の結果としての「情感」が満ちている。その音楽はアーティストの「想い」を聴き手に伝えようとする。その「想い」が何であったのか、何であるのか、おそらく解答は無いが、聴き手のひとりひとりにそれぞれのイメージを喚起する。そうした「情感」や「想い」といった感触は、「狂気」以前の彼らの音楽の中心には据えられてはいなかった。

 「狂気」以前のピンク・フロイドの音楽は、例えば「音の風景」のように、あるいは「音の構築物」のように、アーティストの表現衝動とは別の次元に存在しているように見えた。その音楽は、演奏するという行為や歌うという行為は音楽の本質ではない、と言っているようだった。綿密に組み上げられた音のタペストリーのように聴き手の前に存在するその音楽にとって、演奏や歌唱という行為は単なる創造のための一過程に過ぎないかのようだった。

 しかし「Wish You Were Here」はそうではない。そこにはピンク・フロイドの演奏者としての顔、シンガーとしての顔が、赤裸々と言っていいほどに現れている。音楽というものに対する過度の実験的で前衛的な試みを切り捨て、表現者の「想い」を、楽曲を創作し、演奏し、歌うという行為によってシンプルに表現した結果がそこにはある。

節区切

 「狂気」はピンク・フロイドに大きな成功と名声をもたらした。しかし、それは彼らの音楽的創造の過程と結果に対して与えられた正当な賞賛だっただろうか。彼らのあらゆる音楽的試みは「狂気」によって正当に評価され、認知されたのだろうか。おそらくそうではなかったのだ。

 彼らの表現者としての想いとはかけ離れたところで、「狂気」は聴かれ、受け入れられ、売られ、富を生んだ。シド・バレットの名もサイケデリック・ミュージックも知らない者たちが、「狂気」を「ちょっと変わったポップ・ミュージック」として、あるいは「幻想的なムード音楽」として聴き、ピンク・フロイドを賞賛し、「次の作品はどのようなものになるのか」と問うた。それは表現者としてのピンク・フロイドを幻滅させ、ひとつの理想を失わせるのには充分なことだっただろう。彼らは迷い、失望し、そして「Wish You Were Here」の創作へと至ったのだ。

節区切

 「Wish You Were Here」のタイトル曲でもある「Wish You Were Here」、そしてアルバム全体のテーマとも言える「Shine On You Crazy Diamond」のもたらすイメージは、多くの聴き手にシド・バレットへのオマージュとしての解釈をもたらすことになった。アルバム全体を覆う感傷的な感触もまた、そうした解釈を裏付けるものと受け取られたことだろう。しかし、この作品は本当にシド・バレットへのオマージュとしての意味を持つものなのだろうか。後にロジャー・ウォータースはその解釈を否定したとも聞く。作者の意図は必ずしも聴き手の解釈に干渉するものではないが、やはりそれはこの作品をシドへのオマージュとしてのみ解釈することの安易さを示していると言えるかもしれない。

 「狂気」までの音楽活動の歴史の中で、ピンク・フロイドはシド・バレットの天才的才能を受け継ごうとしていただろうか。さまざまな音楽的実験はシドの天才性の延長にあるものだったのだろうか。もしそうであるとするならば、「狂気」の商業的成功がもたらした結果はあまりに皮肉なものになってしまったと言えるだろう。自らが信じて続けてきた創作活動が、ひとつの成功を得た瞬間に、同時に無為なものになってしまったのだ。けっきょく誰も理解してはいなかったのだ、と。残るのは表現者としての疎外感、孤独感、無力感、焦燥感だけだっただろうか。

 かつてひとつの理想を目指して実験的音楽を創造し続けてきた彼ら自身、そしてそれを理解し、支持してくれていたはずのファン、そこにあったはずの音楽的感動の共有、すべては「狂気」の商業的成功の影で幻想の彼方へ消え去ってしまった。それらすべてのものへのオマージュとして「Wish You Were Here」はある。

 「You」は、シド・バレットであり、ピンク・フロイド自身であり、ロジャー・ウォータース自身であり、創造の理想を目指した若い日々であり、それを迎え入れようとしていた時代性であり、聴き手である我々自身であり得る。それらすべてのものへ向けてロジャーは歌う。「あなたがここにいてほしい」と。

節区切

 「Wish You Were Here」は感傷に満ちている。それは表現者としての疎外感、孤独感、無力感、そして良き日々への憧憬、理解されることへの飢餓感がもたらすものかもしれない。そしてそれが「Wish You Were Here」という作品として結晶した時、それは普遍的意味を持って聴き手の心を捉えて離さない。「Wish You Were Here」に満ちた表現者の「想い」は、聴き手の疎外感、孤独感、理解されることへの飢えといったものと同調し、感動をもたらすのだ。

 この作品を制作するに当たってのピンク・フロイドの、そしてロジャー・ウォータースの想い、何を表現し、何をこの作品に込めようとしたのか、その真実はわからない。そうした表現者の想いとは異なる次元で、聴き手はさまざまな想いをこの作品の中に聴く。

 霧の中からゆっくりと姿を現すように耳に届く「Shine On You Crazy Diamond」の冒頭部分や、抽象的な歌詞と哀しみに満ちた音像が重なり合う「Welcome To The Machine」、ロイ・ハーパーの客演を得て自らの成功をシニカルに唄ったような「Have A Cigar」、切々と呟くように唄われるタイトル曲の「Wish You Were Here」、そして何かの終焉を告げるかのような「Shine On You Crazy Diamond」の後半部、それらはピンク・フロイドが自らの想いを表現した所産であるかもしれないが、それを遙かに超えて普遍的な意味を持って聴き手の心に迫る。この音楽に満ちた感傷、孤独、相互理解への渇望、そうしたものはすべて表現者の内的な意味を超えて聴き手の想いに同調し、感動をもたらす。自分もまたそうなのだ、と。

節区切

 発表当時、この作品はあまり芳しい評価を与えられなかった。ピンク・フロイドの音楽としての実験性、前衛性が感じられなかったことによるのだろう。当時「狂気」の次作としてこの作品を聴いた者にとって、この作品はそれまでの彼らの音楽への支持に対する一種の「裏切り」にも思えたかもしれなかった。

 だが後になって再評価の動きが大きくなってゆく。再評価の動きは、ピンク・フロイドの後に辿った道程、ロジャー・ウォータースのソロ作品的性格が次第に強くなっていった過程と呼応するものかもしれない。この作品の発表された当時を知らない若いファンの中には、「この作品が最も好きな作品」と屈託無く言う人たちも少なくない。彼らにとってこの作品は「狂気」や「原子心母」、「ウォール」などより遙かに聴きやすく、わかりやすいものだろう。

 再評価の背景には、この作品がすでに発表から二十数年を経てきたという事実がある。ロンドンのアンダーグラウンド・シーンで活動するサイケデリック・バンドだった彼らがやがて「プログレッシヴ・ロック」のバンドとして変貌してゆき、その頂点を過ぎてこの作品が発表されたという道程は、今はすでに過去の中に風化してしまった。あの頃の「新しいロック・ミュージック」の息吹も、「プログレッシヴ・ロック」が真の意味でプログレッシヴなロック・ミュージックであった頃の空気も、すでに歴史の中に語られるのみに過ぎない。あるいは、そうだからこそ、「Wish You Were Here」の作品としての意味は純粋に語られているのかもしれない。

 ある意味では、「Wish You Were Here」こそが、ピンク・フロイドが「ロック・バンド」として真摯に「音楽」に向き合った最良の作品であったのかもしれなかった。さまざまに試みてきた音楽的実験の名残を匂わせつつ、根本ではそうした手法に訣別し、シンプルな「演奏」と「歌唱」に回帰する。まるでシンガー・ソングライターの作品であるかのように素朴な表情を見せるタイトル曲の「Wish You Were Here」は、名実共にこのアルバム作品の象徴であるだろう。その音楽は「プログレッシヴ・ロック」の形容も時代性も超えて、今も変わらぬ魅力を持って静かに真っ直ぐに聴き手の心に届くのだ。