幻想音楽夜話
Close To The Edge / Yes
1.Close To The Edge
- I.The Solid Time Of Change
- II.Total Mass Retain
- III.I Get Up I Get Down
- IV.Seasons Of Man
2.And You And I
- I.Cord Of Life
- II.Eclipse
- III.The Preacher The Teacher
- IV.Apocalypse
3.Sberian Khartru

Jon Anderson : vocals
Bill Bruford : percussion
Steve Howe : guitars, vocals
Chris Squire : bass, vocals
Rick Wakeman : keyboards

Produced by Yes and Eddie Offord
1972 Atlantic Recording Corporaion
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 イエスの最高作はどれか、という問いに対して、「Close To The Edge」を挙げることはおそらく大方のロック・ファンが納得するところなのではないだろうか。もちろんそれに異を唱えて「Close To The Edge」以外の作品を挙げるファンもいることだろう。しかし、「最も好きな作品」とか「最もイエスらしい作品」ということではなく、作品の完成度、ロック・シーンとその歴史に於ける作品のスタンス、そしてそれが後世に与えた影響、最大公約数的な一般の評価といった点を踏まえて、「イエスの代表作の名に相応しい傑作はどれか」と問うたとき、やはりその答は「Close To The Edge」以外にない。

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 「Close To The Edge」は、1972年に発表された、イエスの五作目の作品である。日本では「危機」という秀逸なタイトルが付けられている。前作「こわれもの」で比類無きプログレッシヴなロック・ミュージックを造り上げたイエスの、これはさらなる飛躍を示すアルバムであり、「こわれもの」で見せた挑戦的で斬新的な方法論の集大成のようなアルバムだった。「こわれもの」でロック・シーンに於いて独自のスタンスを築いたイエスは、このアルバムによって完全に唯一無二の音楽性を有するバンドに成長したのだ。

 この頃のイエスはヴォーカルのジョン・アンダーソン、ベースのクリス・スクワイア、ギターにはスティーヴ・ハウ、ドラムはビル・ブラッフォード、そしてキーボードにリック・ウェイクマンというメンバー構成だった。前作「こわれもの」から引き継がれたこの構成は、おそらくイエスの歴史の中でも最強の布陣だったろう。誤解の無いように言っておくが、ビル・ブラッフォードに比してアラン・ホワイトが劣っているとか、トニー・ケイのキーボードではイエス・ミュージックとして物足りないとかという意味ではない。この時期、このメンバー構成でのイエスは、各メンバーの年齢やキャリア、音楽に対する指向といった点も含めて、最もうまく互いを刺激し合って斬新な音楽の創造へと向かわせた時期だったのではないか。後になって当時を振り返って、「Close To The Edge」のレコーディングはたいへんな作業だった、という旨のことを彼らは語っているが、そうした困難を乗り越えてなお、これほどの音楽を創造し得る熱意とバンドとしての一体感があったのだろうということは想像に難くない。この作品のレコーディングを終えた後、ビル・ブラッフォードはイエスを脱退し、キング・クリムゾンへ加入することになるが、そのことは「こわれもの」から「危機」に至る時期のメンバー構成が如何に奇跡的な均衡のもとに成立していたかということを物語っているとも言えるのではないか。

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 「Close To The Edge」に収録されていた楽曲は、わずかに3曲のみ、タイトル曲の「Close To The Edge」はLP時代のA面の全てを占め、その演奏時間は19分ほどにも及んだ。B面に収録された2曲もそれぞれにやはり一般的なロック・ミュージックの楽曲としては長く、「And You And I」は10分超、「Sberian Khartru」も9分ほどの長さだ。クラシック音楽ではもちろんだが、ジャズの分野でも演奏時間の長い楽曲というものは珍しくはない。しかしロック・ミュージックの分野に於いて、しかも延々と繰り広げられるインプロヴィゼーション・プレイなどによって結果的に演奏時間が長くなったというものではなく、緻密な構成によって作品としての形を成した楽曲が19分ほどにもなるというのは驚くべきことだった。「プログレッシヴ・ロック」の分野ではピンク・フロイドが「原子心母」のタイトル曲や「おせっかい」の「エコーズ」でLP片面を占める楽曲を発表していたが、音楽の在り方そのものへの挑戦であるかのような、前衛に寄ったピンク・フロイドの音楽とは違って、イエスの音楽はあくまで卓越した器楽演奏を基礎にして成立していたのだ。

 タイトル曲の「Close To The Edge」と「And You And I」は、それぞれ四つのパートから構成され、クラシック音楽に於ける交響曲の在り方を連想させるものだった。アルバム中最も短い(それでも9分近くあるが)「Sberian Khartru」でさえ、その構成は単純ではなかった。それぞれの楽曲は複雑に緻密に構成され、めまぐるしくその表情を変えつつ展開し、しかし散漫に陥ることなくひとつの完成された作品として収束した。壮大な楽曲だが決してアグレッシヴなロック・ミュージックのダイナミズムを失ってはおらず、冗長に陥ることなく展開される緊張感に溢れた演奏の魅力はロック・ミュージックの新たな姿だった。そこに提示された音楽は、もはや直截なロックン・ロールやポップ・ソングとは別種の「新しい何か」だった。その「新しい何か」を、我々は「プログレッシヴ・ロック」と呼んだ。「Close To The Edge」に於いてイエスが到達した音楽世界は、当時のロック・シーンに於いて間違いなく唯一無二のものだったと言っていい。

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 ビル・ブラッフォードの卓越したドラム、クリス・スクワイアの躍動感溢れるベース、スティーヴ・ハウのテクニカルでエッジの効いたギター、ジョン・アンダーソンの透明感に満ちたヴォーカル、そしてリック・ウェイクマンの変幻自在なキーボード群、それらが巧みなアンサンブルによって織り上げられ、造り上げられたこの音楽世界の何と独創的で圧倒的な魅力に溢れていることだろうか。その音楽の何と雄大で壮大で思索的な深さに満ちていることだろうか。緻密で緊張感に満ちた演奏の中に織り込まれた幻惑的な音のタペストリー、印象的な旋律の数々の何と美しいことか。その音楽は聴き手の想像力を刺激し、眠っていた記憶を呼び覚まし、聴き手の心の中にそれぞれの物語を紡ぎ上げてゆく。卓越した器楽演奏と歌唱という行為が、これほどの音楽世界を創造し得るものなのか。

 その音楽は透明な結晶構造のように怜悧な印象を持っているが、しかし牧歌的な安らぎを内包し、宇宙的な広がりを感じさせ、神話的な物語性を携え、聴き手を遙かな異世界の地平へ連れ去る。心の扉を開け放して身を任せれば、その音楽は煌めく星々の彼方の、遙かな異郷の物語を垣間見せてくれる。張り詰めた緊張感がふっと途切れて安らぎに満ちた静けさが広がる瞬間、まるでそれは暗闇の迷路からようやく広々とした平原へ抜け出て満天の星空を仰ぎ見るかのようだ。重厚なシンセサイザーが世界を埋め尽くして響き渡る瞬間のカタルシスに満ちた感動は聴き手を物語のクライマックスへと誘ってくれる。この音楽によって得られる感動は、神秘的な驚異に満ちた壮大な物語を読むときに得られる感動にも似ている。

 かつてこの音楽を夢中になって聴いた。夜も更けたころ、部屋の照明を消し、窓の外の星空を眺めながら、この音楽に聴き入ったものだ。この音楽の奏でるすべての音を聞き逃すまいとするかのように、それこそ全身を耳にして聴いたものだ。何度聴いても飽きることはなく、聴くたびに鳥肌の立つような感動を覚えた。この音楽は自らの感覚を解き放ち、心を開け放つための鍵だった。この音楽に導かれて、永劫の時の流れを越えて遙かな星々の彼方の物語へと心を遊ばせたものだ。そのようにして、この音楽とともに宇宙や世界や時間や自分というものの存在について思いを巡らしたものだ。この音楽はそのような音楽だった。あの頃から30余年を経た今でも、この音楽はあの頃と変わらず易々と心を星々の彼方へと連れ去ってくれる。わずか40分足らずの音楽作品の中に、永劫の時の流れと無限の宇宙の広がりが、確かに存在する。

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 当時、「プログレッシヴ・ロック」はその最盛期を迎えていた。というより、前作「Fragile(こわれもの)」から本作「Close To The Edge(危機)」と続いてイエスの傑作アルバムが発表された頃、時を同じくして他の「プログレッシヴ・ロック」の傑作群も発表され、それによってこの時期が後に「プログレッシヴ・ロック」の最盛期と称されるに相応しい時代になったのだ。「Close To The Edge」は、まさにひとつの時代を築いた作品のひとつだった。「傑作」であり「名盤」だが、そのような形容を遙かに凌駕し、この作品は「プログレッシヴ・ロック」というものの、ひとつの「シンボル」として、あるいは「イコン」として、そしてまた「リファレンス」のように、特別な意味を持ってロック・シーンの歴史の中に輝きを放ち続けている。